3,色




君が見る夢の中は、どんな色?

願わくば、明るく美しい色に彩られていてほしい。

普賢真人は、そんなふうに彼を想う。





太公望は修行の合間に抜け出して、街へと降りていく。

あまりない事だ。

特にその必要はないのだが、何となく人々のいるところに行きたくなる。

また、普通の人間の毎日の暮らし、その素朴な営みが恋しくなるのだった。




空から降りる時に見下ろせる人間の世界は、

とても狭い。

山は高く、野は広く果てしない。

そんな大きな自然の、ほんの隅っこに、自然とは少し異なる色の集まりが見えてくる。

そこをめがけて降りていく。

近づけば近づくほどに雑多なヒト・モノの集まり。

それが人間の暮らす「街」だ。

こんなに広い世界に生まれながら、どうしてこんなに狭い集まりを作っているのか、もったいなく思ってしまう。

やはり世界は壮大だ。

太公望は、清々しい風を受けながら速度を上げて地面を目指す。


空から降りて街に入ると、自分も雑多な色のひとつとして埋もれてしまう。

少しくらい他と違うモノが混じったところで、分かりもしない。

そんなふうにして、俗世間を離れてなお人間の暮らしに興味が尽きない。


あんまり小ぎれいにしていては、不審に思われるので、
手足や顔に少し土をつける。

そして使い古した麻布を被ってしまえば、貧しい物乞いのように見られる。

これで、どこへ行っても噂にはならない。

毎回、そんな格好をして街をふらふら歩き、
邪魔にならないような場所を見つけて座り込む。



ぼんやりと行き交う人々を眺めて、その人々の人生を勝手に想う。




太公望は俗世間を離れた身なので、殆ど歳はとらない。

下界に降りることもめったにしないので、例え同じ街に降り立ったとしても同じ人々には会えない事が多い。

元気な子ども。

疲れたおとな。

笑う人に嘆く人、怒る人に喜ぶ人。

客観的に見るとその人々の事は、不老不死の身にはとても辛い。

そこに永遠はなく、すぐにも終わる人生に見えるからだ。

人は生まれて、亡くなって、いつの間にかまた新しい人が同じような日々を営んでいる。

住人という中身を入れ替えても、街は変わらずに在る。

雑多な色は、褪せずに同じように残っている。

この人々人生は一体、地球の”何回目”にあたる人生なのか、
前と違うのか、この世界はまた次も同じくあるのか。

無意識のうちに、何かの回数を数えていた。

その数字は確実に彼の記憶に刻み込まれていた。

何の回数なのかは、自分でも思い当たるフシのない太公望であった。



仙人・道士にもそれなりに毎日がある。

そこに人間の営みはないので、足下に人間が存在する事など忘れかけてしまう。

なので、たまにこうして人間を見に行く。


忘れないように。

自分が人間であったことを。



そうしているうちに、あっという間に日が暮れる。

明るい日の下では雑多な色彩が輝いて見えたが、

夕方に一瞬燃える様な夕焼け色に染められて、
日が暮れると濃紺一色となってしまう。

光がなけれな、色は生まれない。


夜になって色もなくなり、音もなくなった街。

眠っているというより、死んでしまったように見える。

静かだが劇的な変化だと、太公望は思う。


人も死ぬが、街も死ぬ。

朝になって日が昇ると、また生まれてくる。

不老不死の身には、人生すら一日に感じられる。



空へ帰るとさらに色はない。

視界の殆どは果てしなく広がる薄い色の空と白い雲。

足場に作られた土も、日の光にさらされて色は薄い。

強烈に、目の中に飛び込んでくる色はない。


何もかもが薄い。

光がないと色は生まれないが、光が強すぎてもまた色は生まれない。



そんな自分が唯一自由になれるのは、
現実の世界ではなくて夢の中だと思っていた。

夢だけは、どんな世界になったっていい。

目を瞑れば、薄い色の中に紛れてしまう事もなく、
雑多な色に埋もれてしまう事もない。

自分だけの色になれるはずだ。

どんな色なのだろう、他の何にも影響されない自分自身の色とは?

期待しながら見る夢は、大抵が遠い記憶ばかり。

真っ暗な闇の中燃えさかる生まれ故郷。

夢の中ですら、自分の思い描く世界にはならなかった。



普賢真人が言うように、
明るく美しい色に彩られた夢を見たい、と太公望も切なく思う。

どうしたらいいのだろう。

彼は、明るく美しい色というのを体験した事があるのだろうか。

彼の世界は、一体どんな色をしているのだろう。

色があるのは、昼間多くの人間が暮らすところと、
その、普賢真人の持っている世界だけだ。

そこに行ければ、自分の孤独を癒せるやもしれぬ。

太公望は、夜明け前の星空を窓から見つめた。



早く彼に会いたい。

夜が明けたら、聞いてみよう。




もう一度眠りにつく時、

またあの雑多な色合いが恋しくなった。