「きみのて」


エピローグ






「えいりあんVSやくざの新作のDVDが出たから、借りてきたぞ」



トシがそう言って、ほくほくとした顔で帰ってきた。


ほくほく、と言っても多分誰が見ても、いつもの仏頂面に見えるだろう。
でも俺だけはトシの僅かな表情の違いが、ちゃんと分かるんだ。


俺はもう何年もずっとずっと、この顔ばっかり見つめてきたからな。



今のトシは、とっても嬉しいカオしてる。



「コーヒー、入れるよ。そしたら一緒に観ようぜ」


俺がそう返事する間に、トシはもうDVDをセットして、リビングのソファでスタンバイ。
のんびりとコーヒーミルや豆なんかを準備している俺を、じいっ・・・と見ながら、素直に待ってる。

・・・トシは本当に面白いヤツだなあ。


ポコポコと可愛らしい音を立て飴色の液体を抽出するコーヒーメーカー。
次第に、いい香りが部屋中に漂ってくる。


俺はキッチンからその香り越しに、リビングにいる愛しい人を、目を細めて暫く眺める。






高校を卒業したトシと俺は、ルームシェアという口実で部屋を借りて、ふたりで同棲生活を始めた。




トシは大学に進学したが、俺は働き始めた。
・・・と、言ってもかぶき町でのアルバイトを続けている、単なるフリーターだけど。

お登勢ババァに生活費と学費を負担させているのが嫌で、とにかくあの家を出たかった。
ババァにはかぶき町の店で定期的に会えるから、いいだろ?

案の定、「大学くらい行っときな!家だって出て行くこたないだろ、そんぐらいの金はあるんだよ!」と愛情タップリに叱られちまった。
けれどここは、俺の我侭を無理やり押し通した。
ババァには俺の事で、けっこう迷惑かけたなって思ってるんだ。
だからこう見えても、実はすげー感謝してる。ンな事は誰にも言わないけどさ。



だからこそ、俺は自分の力でちゃんと1人立ちしたかった。





---------- 1人暮らしをする。

そうトシに告げたら、一緒に暮らすと言ってきかなかった。
俺はもう誰にも迷惑かけたくないから、1人きりで生活したかったのに。
そうでなきゃ、意味がないと思ってた。

でもトシはそれを許さなかった。何度もケンカした。
最終的には仕方なくこっちが折れてやった。
だって、どうしても俺を1人にしたくないって言うから、その言葉だけはちょっと嬉しかったんだ。



微妙にわだかまりを残しつつ、渋々、同棲生活が始まった。





・・・・・・でも。


恋人とのふたり暮らしっていうのは、意外と楽しいもんだな?

もちろん一日何度もケンカはする。

ケンカしないと気持ちが悪いくらいだ。俺たちにとっちゃ口喧嘩は挨拶みたいなもんだから。

それでも毎日ふたりで下らねえ話したり、ドラマの再放送でチャンネル争いしたり、並んでメシ食ったりして、一日の終わりには一緒に眠るんだ。



こんなありきたりで平凡な日常生活が、俺にとっちゃすごく新鮮。
意味もなく笑っちまうくらいに、楽しくて、充実している。



「満たされる」ってこういう事なのかなーって、思う。

一体、何が何で満たされてるんだろうな?

・・・よく分からないけど、時々、胸がいっぱいになっちまって、「もうこれ以上、なんにもいらねえ!」って、感じる時があるんだ。

俺の胸を満たしてくれてるものが何なのか、その正体はサッパリ見当がつかねーけど、そん時はいつも心があったかい。




淹れたてのブレンドコーヒーをマグカップに注ぎ、トシの前のテーブルにふたつ並べて置く。

トシはブラック。俺のはミルクを入れたラテ。

俺がソファに座るのも待ちきれなくて、トシはもうDVDを再生しようとしてる。


ほんっと、昔からせっかちなんだよな。
でも早く観たいクセに、ちゃんと俺のこと待ってるのが、かわいい。

俺もせっかちだけど、俺の場合観たいもんは、構わず先に観ちゃうもんなあ。
『何でちょっとの間も待ってられねえんだテメーは!!』って何かっつうと、いつも怒らせちゃうんだ。

俺の所為でいつも苛々させちまう。
・・・損な性格してるよな、トシは。



そう思いながらトシの隣に並んで座り、その横顔を見る。

凛としてキレイな横顔、俺の好きな顔。


まばたきするのも忘れて、すっげえ真剣に画面を観てる。
身体も前のめりだし、完全に映画に集中してるな、こいつ。

せっかく俺がいれたスペシャルブレンドも、完全に無視だ。
おいおい、冷めちゃうぜ、ったく・・・そう思っているうちに、俺のご機嫌がナナメになってきてますよ、トシ君?


そんなに面白いのか、この映画は?
えいりあんとやくざが戦う・・・まあ、んー、暇なら見てやってもいいけど、くらいだな。
・・・要するに、つまんねェ。


こんな映画観てるより、トシの横顔見てる方がよっぽど面白いぜ。



映画が盛り上がってくるにつれ、トシも白熱してくる。
両手に拳を握って「丈の兄貴」の応援をしたり、こめかみに血管を浮かべてマジで怒ったりする。
子供みたいなトシの仕草があまりに可笑しくて、つい吹き出す瞬間もある。

トシのリアクションって、けっこう、でかいよな。
注目すると面白いんだ。
顔見れば何考えてるのか、大体分かっちまう。

楽しくトシの観察をしていた俺だけど、さすがに1時間も見ていたら飽きてくる。
映画はまだまだ、1時間半はある。

俺も映画の世界に入ろうとするけど、もう途中からだと何が何だかついていけない。
あー、つまんねー・・・

もうこうなったら、俺にはトシしかねえ。
トシで遊ぶしかねえよウン・・・ってことだけど、観察は飽きたから、チョッカイ出してみることにした。


わき腹とか肩とか膝とか、くすぐってみるが・・・全く反応がない。
横顔を指で突付いてみる。
ウザそうに顔を動かして俺の指を避けたが、視線は映画に釘付けだ。



うーん、もっと面白い反応する方法ねえかな?



髪の毛をくしゃくしゃしたり、耳をひっぱってみる。
これもシカト。

よーし、じゃあこれでどうだ・・・って、横からギュっと抱きついてみる。
やっぱりシカト。

あっれー、なんかこう、「やめろやコラァァ!」みたいな反応がねえとイマイチ・・・


トシの姿を上から下まで見ても、弱点になりそうなところがない。



もうこうなったら、「アレ」しかねーか、「アレ」・・・。



俺が顎に手を添えてイタズラ案を練っていると、さっきから映画に釘付けだったトシが、 

---------- 突然、くるりと俺の方を向いた。



「うわっ!?」



強引に肩を抱かれて、俺の唇が奪われた。

唐突な口付けに驚きつつも、トシの唇に塞がれちまって声が出ない、それどころか呼吸すら出来なくなる。


片手で背中を支えられ、もう片手が俺の頬に添えられる。
体重をかけられてソファに押し倒されそうになるが、なんとか持ちこたえた。


とにかく、息が苦しい。


「ん、ちょっ・・・」


無理やりに声を出した時に開いた唇の割れ目から、トシの舌が差し込まれてくる。

俺の口の中に入ってくる濡れて生暖かいトシの舌を迎えてやり、俺の舌と絡める。

いつもなら、この後にはもっと激しい愛撫が続く筈だ。

予想していなかった展開に驚きながらも、気持ちが先に進んで、もう止まらない。


・・・熱い。

身体中が急に熱くなる。肌が汗ばむ。

湧き上がる欲望に突き動かされた俺は、ひたすら夢中でトシを求め、何度も角度を変えて深いキスをした。


「んんっ・・・は・・・ぁ」


いよいよ息苦しくなった頃に、ゆっくりとトシの唇がはなれていく。


名残惜しかったけれど、その唇が次は俺の身体のドコに降りてくるのか想像して、興奮してしまう。




額か、耳朶、瞼かな、もう一度唇か、首筋か・・・・・・それとも・・・?




自然と身体がそれを期待していて、恥かしさからつい瞳を閉じてしまった。


そして感じるままに身体の力を抜き、トシの愛撫を待つ。




柔らかなソファに身体が沈む。手足からだんだんと溶けていってしまいそうだ。




しかしその後は、待っても待っても何もしてこない。




・・・あれ?


トロンと蕩けてしまった瞼をゆっくりとあげると、トシは先ほどと寸分も違わない前傾姿勢で、映画の続きをガン見している。




・・・あれ、あれエエェ?




「おいちょっ・・・何してんだテメー!!」


「うるさい、映画観てんだろうが」


トシは視線を映画から外さずに、事も無げにそう言う。


「今のキスは、何だよ!!」


「お前が退屈してるみたいだから、相手してやったんだ」


「相手・・・ってこんなもん?こ、こんな一瞬なの、俺の相手っていうのはぁ!」


「あぁ・・・コレの次の戦闘が終わったら、また相手してやっから・・・待っ・・・て・・・」



その言葉すらも、途中で途切れてしまった。

トシの意識はもう完全に映画に吸い込まれちまってる。



「いーよ、もうっ!」


俺はソファに身体を倒して、横からケツの辺りを思いっきり蹴ってやったが、それにも気づいていないようだ。





そんなに映画を観たいくせに、俺のコトも無視できないんだな。


一度にふたつのコトなんか出来ないくせに、気ィ使いやがって。


優しい、けれど、ほんと不器用な奴・・・


やっぱり、トシは面白いなあ・・・






俺はそのままソファに寝転がり、ふて腐れながら、ぼんやりと映画を眺めていた。


途端にまどろみ、意識がふわふわと浮かんで遠くに飛んでいきそうだ。


あくびを噛み殺すと、目頭に涙が滲んだ。







どこにでもあるような、休日の午後のワンシーン。


この部屋には、ゆっくりと、穏やかな時間が流れている。




ふたり暮らしで家具の少ない殺風景なリビング。

ブラックコーヒーとカフェラテの入ったマグがふたつ並んでいて。

部屋中に響くのはうるせえ映画音楽。

そんな安っぽい映画に没頭してる恋人と、その恋人に構ってもらえなくてふて腐れている、俺。





ふわふわと宙に浮かんだ俺の意識が、上から俺たちを見下ろしているみたいだ。


ほら、ここには、なんて優しい空気が流れているんだろう・・・




するとまた、正体不明の『何か』が胸の中で湧き上がり、そして溢れんばかりになって、すっかり満たされてしまった。


胸がイッパイになったこんな時に、俺はまた ---------- こう 想うんだ。


「もう、これ以上、なんにもいらねえ」って・・・。


もし時間を止められるんなら、今がいいな。

そんな在り得ないコトを、切なくなるほどに願ってしまう。







・・・なあ?



こういうのってさ、この俺を満たしているものってさ、



もしかして、もしかして・・・




------------- 「幸せ」って言うヤツなんじゃねえの?









不意に俺は、気づいてしまったんだ。


俺を満たしてくれる、この温かなものの正体を。








トシが俺のために、用意してくれたもの。


トシが俺のために、願ってくれたものだろ?










俺は確か今、ふて腐れている筈なのに・・・つい顔がほころんでしまう。






なんでだろう、なあ・・・トシ?








俺は「次の戦闘」とやらが終わるのを、





---------------- 実は、楽しみに待っている。







 終





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