翌日の昼ごろに、土方は銀四郎を抱いてパチンコ店に行った。
土方がパチンコ店の前に立つと、偶然なのかそれとも待っていたのか、すぐに大きなガラスの自動ドアが開き、中から銀時が出てきた。
姿を見たのはほぼ一週間ぶりだ。
土方が目を細めてその姿を捉える。
ドアが開いた瞬間、店内のジャラジャラという騒音が辺りに響いたが、ドアが閉まると静かになった。
銀時は後頭部をぽりぽりと掻きながら、だらしのない動きで土方の前まで歩く。
「よぉ」
銀時は昔から変わらない死んだ魚のような覇気のない瞳で、土方に気安く声をかける。
その様子は赤の他人として出会った頃と変わらず、今では自分の家族であるはずなのに、特別な親近感のカケラもみせない。
その態度に、土方はがっかりとした。
(もっと懐かしそうな顔をしてくれてもいいだろう・・・)
相変わらずマイペースな銀時に、気持ちを振り回されてしまっている。
「テメー何を呑気に遊んでやがる・・・こっちは散々な思いしてるってのによ」
「結構似合ってるぜ、ガキ連れて仕事してんの」
銀時がからかうように笑うと、土方が眉間のシワを深くした。
「銀四郎は、元気か?」
土方の腕の中にいる銀四郎をひょいと覗き込む。
その時の銀時の優しげな瞳を見て、土方はやっと安心した。
(良かった、まだ銀四郎を忘れたわけじゃねェんだな・・・
よく考えてみりゃ、コイツがガキを捨てるわけねェか)
銀四郎も銀時の顔や声はちゃんと覚えているようで、声をかけられた途端に手足をばたつかせて動いた。
銀時に抱いてもらいたいのだろう、銀四郎は必死に身体を仰け反らせて銀時に向って両手を出す。
差し出されたもみじのような小さい手のひらに、銀時は丁寧に赤い毛糸のミトンを嵌めた。
「何だ、そりゃ・・・手袋か?」
「そう、パチンコの景品。
こうして抱っこしてるとな、赤ん坊の手足ってけっこー冷えちまうんだぜ?」
そう言いながら、銀時はかがんで銀四郎の足にも、やはり同様に赤い毛糸の靴下を嵌めた。
どちらもサイズはぴったりだ。
ミトンも靴下も形がでこぼことしており、それらは明らかに手編みだった。
「こんな下手くそな編物、パチンコの景品なわけねェだろが」
「・・・うるせェ!お前にも何か編んでやろーと思ったけど、やーめたっ!」
その言葉に、土方の気持ちが揺らぐ。
まだ自分のことを想っていてくれたと感じ、嬉しくなる。
銀時への愛しい気持ちが湧き上がるように溢れ胸の中で大きく膨らんでいく。
もう、家を出たことを許してやってもいい、そう思った。
謝るのはシャクだが、銀時に帰ってくる気があるのなら、少しくらい折れてやってもいい。
土方は目を細めて、銀時を見つめた。
「俺にも何か作れよ。そうだな、マフラーがいい」
「んだよ、俺に命令すんじゃねー。
・・・まァ銀四郎の帽子の後なら、作ってやらない事もないけど」
「あと、手袋も作れよ」
「命令すんなって、そういう言い方されっと腹立つから!
手袋は面倒くせーからミトンなら・・・銀四郎とお揃いにしてやるよ、それならどうだ?」
「・・・なあ、もう帰ってこいよ」
「・・・ッ・・・だからオメ・・・命令すんなって・・・!!
えっと何、銀さんが居なくなっちゃって、もしかして寂しいの?」
土方がぽろりと零した言葉に、銀時がうろたえた。
一瞬、銀時の頬が赤らんだが、ふざけたように笑いそれを誤魔化した。
土方も自分が素直に銀時を迎え入れようなんてつもりはまだなかった。
銀時が自ら帰って来るというのなら構わない。
けれど、土方は自分から「帰って来い」と言う気などなかったのだ。
しかし久しぶりに顔を見た懐かしさと、突然に思い出した愛しさの所為で、つい言葉が零れてしまった。
その事に自分でも驚いたし、さらに銀時が照れたように顔を赤くしたことにも動揺した。
つられて照れそうになる自分を隠すために、土方は表情を引き締めた。
「俺は別に、お前なんざ居なくたって構わねェけどよ。
でもよ、やっぱり赤ん坊には親が、母親が必要なんじゃねェの」
その言葉を聞いて、銀時はつまらなそうに唇を尖らせた。
「・・・なんだ、そういうこと。
いやいや、お前がいるから大丈夫だろ、銀四郎はさ。
ガキなんざ適当に寝て、食って、出すモン出してりゃあ、勝手に育つんもんだよ。俺がそーだったし。
別に親・・・つーか俺なんか必要ねーって・・・このバカ野郎!」
「おい、何を怒ってんだ?」
「・・・べつに!怒ってねーよ」
銀時の欲しかった言葉を与えてやれなかった土方は、無駄に銀時の機嫌を損ねただけであった。
せっかく素直に意志を伝えたはずなのに、銀時が何を怒っているのか分からない。
(帰ってこい、そう俺が言った時の銀時は、嬉しそうに微笑んだのに・・・。
・・・何がいけなかったんだ・・・?)
土方は胸の中で今までのやりとりを思い返してみた。
と、そこで何やら引っかかる銀時の一言を思い出す。
「そういや・・・出すもん出して・・・って言ったよな・・・赤ん坊の排便っていつするんだ?」
「は?大きい方?
いつって・・・銀四郎は寝起きとかよくするよな?一日1回、2回か?
チビのクセにいっちょまえのもん出しやがって、ホント手間かけさせるよなァ」
銀時は銀四郎のほっぺたをつつきながら、愛しげに目を細めて笑った。
他人の下など好んで世話したい者などいないだろうが、我が子ならばそれすらも愛しいものだ。
銀時にからかわれた銀四郎も目をまんまるに見開いて、嬉しそうにしていた。
この時、楽しそうに笑っていたのは、銀時と銀四郎だけであった。
土方の顔が、次第に真っ青になっていく。
額に冷たい汗が流れ、目の前がくらくらと揺れた。
「・・・お、おい・・・!!
一日1回も何も・・・お前が出て行ってから、銀四郎は1回も、でかい方はしてねえぞ!?」
「え、何を?
まさか、ちょ・・・マジでか!?
って事はこいつ、一週間も便秘してんのォォォ!?」
顔を見合わせ、そして二人同時に銀四郎へと視線を走らせる。
当の本人はけろりとしていて、苦しむ様子などない。
むしろ両親に注目されて嬉しそうに機嫌良くしていた。
真っ青になった土方が銀時に問う。
「おい、一週間も溜めてたらどうなるんだ?
腸が詰まって病気になったりすんのか・・・やばくねえか」
「うるせェ知るかよ!
とりあえず、腸マッサージしてみようぜ。
それでも出ねーんなら薬・・・いや、病院へ行こう」
土方が銀四郎を腕の中で水平に抱きかかえ、銀時が両手で優しく腸の上あたりを押しながらマッサージする。
赤ん坊のお腹はただでさえもパンパンに膨らんでいる上、ロンパースの上からの感触では分かりにくかったが、確かに多少、腹が張っているようであった。
「大丈夫か・・・ああ、ったく!
マッサージやりにくいわコレェェ!」
銀時が心配の余り焦り、苛々と険しい表情になる。
「そうだな、場所変えるか。
寝かせてやれる場所にしよう・・・近くに公園があったな」
土方も重々しい口ぶりでそう言い、マッサージを一時中断し公園目指して移動した。
公園のベンチに銀四郎を寝かせ、二人でその腹を撫でさすり、優しく揉んだ。
銀四郎だけはキャッキャッと笑い声を上げて、二人に遊んでもらっている気分で喜んでいた。
焦っているのは、両親ばかり。まさに、親の心子知らずだ。
「こんなマッサージで、出るのか?」
土方の発言にカチンときた銀時は、ただでさえも苛々としていたところにきて更に機嫌を悪くした。
「うるせェ!文句あんのか!んな事ぁやってみないと分からないだろ!
刺激があれば腸が動くかも知れないし、薬飲ませるよりいいだろが!」
「そうか?薬を飲ませた方がいいような気がするが・・・」
「つーかお前のせいだからな!もうちょっと反省しろよ!」
「何で俺のせいなんだ・・・」
銀時に叱られることに納得いかない土方が、ブツブツと文句を言う。
「お前の管理不行届だろ!
銀四郎は静かにしておいてやらないと、しないんだよ!
お前が仕事で連れまわしてるから、踏ん張るタイミング逃してんだろうが!」
土方の文句を聞き捨てならなかった銀時が、まくしたてるように抗議した。
「んな事、俺が知るか。育児はお前の担当だったろう。
ちゃんと教えて行かないお前が悪い!」
「そんぐらい分かれよな!
ったくこんなんじゃ、ゆっくり家出もできねーじゃねーか!!」
銀時が思わずそう叫ぶ。
そしてすねるように唇を尖らせた。
(ゆっくり家出・・・か。羽伸ばしてやがったな。
ちゃんと帰ってくる気はあるんじゃねえか・・・まったくコイツは・・・)
土方は銀時の素直とは言えない感情表現に、親しみと懐かしさを覚えた。
知らず知らずのうちに、口元が微笑んでいた。
ここが公園でなければ、そして銀四郎がいなければ、
銀時を強く抱きしめていただろう。
「だから家出なんかするんじゃねェよ。
銀四郎も俺も、困るし・・・・・・寂しいしな。
もう帰ってこい、銀時」
「・・・・・・あぁ・・・」
土方の言葉に、銀時は顔を上げずに答えた。
その視線は、銀四郎のお腹をマッサージする自らの手へと落ちたまま。
ただ、不本意ながらも顔が熱い。
自分の頬は赤く染まっているだろう・・・そんな気がした銀時は、悔しくて顔が上げられない。
やっと、銀時が欲しかった「寂しい」という言葉をプレゼントして貰えた。
そのことが、嬉しかった。
何より銀時も、やっと出来た小さな家庭を手放すことが、寂しかったからだ。
途中で放り出すくらいなら、最初から家族なんか作らない。
そういう覚悟で一緒になったのだ。その気持ちは今だに変わらない。
今はただ、この小さな命を、家庭を守り通すのが自分の役目だ・・・それぞれに二人はそう思った。
銀四郎の小さく柔らかなお腹の上で、銀時と土方の手が重なる。
やけに、それを、温かく感じた。
寒空の下、しばらく二人は無言で寄り添い、銀四郎の様子を見ていたが変化はなかった。
一度土方は屯所へ、銀時は万事屋へ戻ってそれぞれの仕事をすることにした。
数時間後、マッサージの効果があったのか、見事に銀四郎が踏ん張り、彼の仕事を成し遂げた。
「おい銀時、銀四郎がでかしたぞ!」
「ついに出たかアァ!」
・・・と、まるで大事件が解決したかのように大喜びしたのは、土方と銀時だけであった。
報告の電話で、二人はそれぞれ受話器を持ったままバンザイでもしそうな勢いだった。
少なくとも銀時は、胸の前でこぶしを握ってガッツポーズをしていた。
彼らの周囲の真選組の面々、また万事屋の面々には全く意味の分からないニュースであった。
受話器に向かって一体何を喜んでいるのかと、怪訝に思われていた。
あまりのテンションに、宝クジでも大当たりしたのかと神楽や沖田にそれぞれ問われ、二人は真実を言い難かった。
誰にも理解されずとも、たかが赤ん坊のそれが家族にとっての大ニュース。
家族とは、そういうものだろう。
極めてマイナーなニュースを共有できる他人。
小さな出来事を、一緒に喜び、一緒に悲しみ、一緒に悩んで、生きていく。
土方と銀時も、赤ん坊のおかげで、ゆっくりと家族らしい関係を作っていた。
そんな穏やかな日々を、一緒に過ごしていくのだ。
その日の土方家の夜は、
『銀四郎便秘解消&銀時帰宅祝い』という意味不明な名目で、ささやかな晩酌が行われた。
銀時は気合を入れ腕によりをかけてご馳走を作ったし、土方は一切の残業を断り、空が暗くなった頃には帰宅してきた。
どちらも、後にも先にもあまりないような珍しいことだった。
毎日喧嘩の絶えない二人だったが、今夜くらいは喧嘩せずに過ごせそうだ。
リビングには温かで優しい灯が点る。
土方と銀時はお気に入りの日本酒で、
銀四郎は果汁のジュースで 乾杯した。
終
ノベルメニューへ戻る