*** 大学生日記 ***



「大体なァ、テメーはエロ過ぎンだよ!そのツラ見るたびに勃っちまう俺の身にもなってみやがれ!ちったぁ反省しろコラ!」


居酒屋のテーブルに拳を叩き付け、土方がそう怒鳴りつけたのは、昨晩のことだった。
目の前の坂田銀時の赤い瞳が、驚愕のためこれ以上ないほどに見開かれている。
一緒に飲んでいた仲間たちは勿論、あまりの大声に店中の注目を浴びていたと思う。
そのあと銀時がどんな顔で何を言い返してきたのか、その辺りの記憶は定かではない。
土方の記憶にはっきりと残っているのは、銀時を叱り付けたこの一言だけだった。
自分の声だけは、嫌と言うほど鮮明に覚えている。



「く・・・、消してェ・・・」

自分の部屋で目覚めてからの土方は、もう何度こう呟いただろう。
居酒屋で大酒を飲んで泥酔しどのように帰宅したか記憶にないが、ちゃんと自分のベッドにいた。
不快感に呼び起こされた最悪の目覚めだ。
これこそが、と自信を持って宣言できるほど、絵に描いたような二日酔いが土方を襲う。
激しい頭痛、吐き気、眩暈、腹痛、倦怠感。表現出来得る全ての体調不良を体内に抱え込んでいた。

土方を襲う脅威はそればかりではない。昨晩の出来事だ。
それは容赦なく、繰り返し何度でもその光景を土方の瞼の裏へ映し出す。
頭痛の合間に断片的に蘇ってくる記憶は、靄がかかったようで明確ではない。
全く思い出せない時間帯もある。いや、実際は殆ど思い出せていないのだろう。
嘘か真か怪しい記憶の中で、唯一、鮮明に思い出せるのは、むしろ思い出したくない自分の言葉。
つまり「テメーはエロ過ぎンだ」云々という、銀時へのあまりにも乱暴な言葉であった。


「ッあー、消してェェェ・・・」

無意識に土方が呟く。もうこれで何度目になるだろう。
3分に1回は同じ場面を思い出し、後悔してそう呟いている。

いっそ消してしまいたい、昨晩の記憶。
きれいさっぱり忘れてしまっていたら、ここまで後悔する事もなかったのに。
失言や失態ばかりをしっかりと記憶している自分が恨めしかった。

消したいのは自分の記憶だけではない。
相手の銀時の記憶も、あの時店にいた人物全ての記憶も、出来ることなら昨夜の出来事を丸々消去してしまえたら、どんなに良いだろうか。
土方は憂鬱な深い溜息をついた。激しい後悔と羞恥の念に心が折れそうだった。

それどころか、今でこそすっかり忘れているが、実はこれ以上にとんでもない失言をしていたかもしれない。
あの一言は数ある失態の中でもマシな方、だとしたら・・・。
土方の中で被害妄想にも似た恐怖が渦巻く。

「・・・マジで、消してェ」

何度目の呟きだろう。我ながら鬱陶しいと知りながらも言わずにはいられない。
消えるわけはないが、何かの間違いでこの願いが叶えばいいという下らない空想さえしてしまう。
二日酔いが酷く考えることが面倒くさい。
生きていることすらも、面倒くさい。
(いっそ、もう、チーズ蒸しパンになりてェ)と投げやりな気持ちになる土方だった。




坂田銀時は同じ大学に通う顔見知りだ。
学年は同じだが専攻している学科が違うので、学校では殆ど顔を合わせる事はない。
銀時と知り合うきっかけになったのは、下宿しているこのアパートだ。
二人とも同じアパートに住んでおり、それぞれ一人暮らしをしている。
ここは大学から近く、入居者の殆どが同じような学生ばかりなのである。

学校では滅多に会うことのない二人だが、アパート内では時々顔を合わせた。
友人だと言うほど特に親しい間柄ではない。
同じアパートに住んでいる同級生、ただそれだけの関係だった。
当たり前だが恋愛感情など一切無く、酔った土方が口走ったように「顔を見るたびに欲情する」なんて事も無い。
そんなバカな事は、絶対に有りえない。

だからこそ昨晩の酒の席で何故「あんなこと」を口走ってしまったのか土方自身、理解出来ずにいる。
身に覚えのない嘘を吐いたのだ。
しかも吐いたところで自分の得にもならないような、最低の嘘を。
まるで自分が銀時に対して生々しく下劣な欲望を抱いているようではないか。
さらにそれを銀時の所為にして、尋常でない剣幕で叱り付けるとは、一体どういうつもりなのか。
銀時にしてみたら言いがかりもいいところ、非常に失礼な話である。
自分のどこからそんな言葉が出てきたのか、全くもって分からない。

酒が入り気が大きくなっていたのだろう。
だからと言って簡単に自分自身を許すことが出来ず、土方の頭痛が一段と酷くなる。

「ダメだ、やっぱ消してェ」

−−− 何もかもを。

土方は後悔と絶望に力なく四肢を伸ばし、ベッドで大の字になる。





俺は何であんなこと言っちまったのか・・・。
寝ても起きても眩暈のする最悪な体調の中、昨晩の出来事を思い返しては後悔する。
後悔と同時に、納得がいかない。
心にもない言葉、心にもない気持ち、つまりは嘘。
一体どこから生まれてきた嘘なのだろうか。

心身共に苦しさでもがきながら、土方は銀時を思い出す。

「アイツのどこがエロいって? そんな風に思った事もねえのに、」

目を瞑り思い描く銀時の姿。
すぐに彼をイメージできるほど、じっくりと観察した事がない。
土方は脳内で確かめるようにゆっくりと、彼の形を、身体の線を、何気ない仕草を、様々な表情を、そして声を、丁寧に再現していく。

特徴的な銀髪は光の中で美しく輝き、柔らかく巻いている様子はまるで愛らしい動物のよう。
瞳は鮮やかに赤く、目が合うと自分の視線の全てはその赤に吸い込まれそうになる。
気だるげに半分ほど降ろされたままの瞼は、髪の毛同様に銀色で長い睫が赤い瞳を隠す。
顔の真中には形のいい鼻、その下には意外と厚めの唇がぽってりとピンク色に色づき、非常に肉感的だ。
ピンク色と言えば彼の頬。酒の席などで薄い色に染まると肌の白さと相まって何とも美味しそう、一度でいいから味わってみたいと思う。
真っ直ぐに伸びた首筋、そして鎖骨や胸元は程よい肉付きで、透き通るような白い肌が誰の目にも魅力的に映ることだろう。
思い出す彼の姿の全てが、土方を誘っているかのようだ。

(あの白い首筋にキスして紅い跡をつけてみたら、どんなに綺麗だろう)

固く瞑った瞼を開け、目の前に広がる自室の見慣れた天井を見つめる。
そこには自分を見つめる銀時の熱っぽい表情が浮かんでいる。土方が記憶を頼りに脳内で再現したものだ。
あらためて正確に、じっくりと用心深く思い描いた銀時の姿は、やけに官能的だった。


「あ・・・れ? ちょっと待て・・・」

そこで土方は自分の状態に気付く。
胸の奥底にざわざわと湧き上がる欲望、同時に下腹部に感じる自らの熱。

「ま、まさか、俺が・・・アイツで勃つわけ・・・」

土方のそれはまだ完全に勃ち上がりこそしていないが、確かな熱を持って硬くなりその存在を主張し始めていた。
銀時を思い出す行為をあと3秒でも続けていれば、この熱は無視はできないほどになっていただろう。
今でも十分に身体が火照っていると言うのに。

「っていうか、この妄想は誰だよ、誰を思い出してんだ俺は!? アイツはそんなにエロいわけねーだろ!?」

そんなはずはないと否定していたはずの現象が、いとも簡単に現実となっている。
土方は自分自身に戸惑い、信じられないとばかりに目を見開いた。
身体中からじっとりと流れ出す油汗は、二日酔いのためばかりではなさそうだ。


”大体なァ、テメーはエロ過ぎンだよ!そのツラ見るたびに勃っちまう俺の身にもなってみやがれ!ちったぁ反省しろコラ!”


昨夜の自分の声が遠くに聞こえた気がした。

「マジじゃねーか・・・」

嘘から出た真なのか、気付かなかっただけで元より真実であったのか。
どちらにしろ反省するのは自分の方だと、土方は再び瞳を伏せて後悔の渦に飲み込まれた。
伏せた瞼の裏に写る銀時の姿が消えない。

「あー、消してェ・・・何なんだよこれは」

土方の消したいものがまた一つ増えた。
それは恋なのか欲望なのか、銀時への不可解な感情。
全部まるごと消えてしまえばいいと願いながら、今さら気付いたこの気持ちだけは手強そうだと、土方は溜息をつく。

顔も身体も、胸の奥まで何もかもが熱い。気付いた途端、火がついたように燃え上がった。
ついさっきまでの冷え切った心は何だったのだろう。
土方は苦い表情で舌打ちし、気だるく天井を見つめる。

「銀時、相当怒ってンだろーなァ」

何としてでも銀時に赦されなければ、泥沼のような後悔の念からは解放されない予感がしていた。
不本意ではあるが、改めて謝らなければいけないだろう。
身勝手な自分にむかむかとして、気分が悪くなる。


「くそ、何でこんな事になってんだよ」


どうしようもなく落ち込んだ土方はぐったりと疲れ、ベッドに横たわったままうつらうつらと眠りに落ちていった。

−−− 次に起きた時は完全に素面だ。
もう酔いのせいにして逃げられはしない。


意識を手放すその瞬間に、土方は得体の知れないこの熱と向き合う覚悟を決めたのだった。




終わり。




20090127




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