***高校生日記***
7月7日、七夕。
いまだ梅雨も明けていない雨続きの空には、このまま夜を迎えても天の川が流れることはなさそうだ。
「こりゃ今年は、彦星と織姫の逢瀬は叶わねーな」
高校3年生の土方十四郎は、とても残念そうに教室の窓から空を見上げた。
雨雲に覆われた空はまだ昼間とは思えないほど暗く、朝から続く雨で校庭も水浸しになっていた。
雨空と同様に暗い表情の土方を除き、昼休みの生徒たちはみな明るく賑やかだった。
土方は昼食の焼きそばパンに、自前の業務用マヨネーズをブリュブリュと汚らしい音を立ててかける。
かけると言うより、デカ盛りに限界に挑戦するかのごとくマヨネーズを盛る。
衝撃的ないつもの食事風景の向かいで、いつものように眉をひそめる坂田銀時は、砂糖味のメロンパンを齧っていた。
土方十四郎と坂田銀時。
二人は同級生で幼馴染であり、いつの間にやら一般的に「恋人同士」と呼ばれる関係になったのは、つい最近だった。
焼きそばパンだったものは、山盛りのマヨネーズに覆われただの「黄色いやつ」としか表現できないシロモノに変化した。
土方は当たり前のようにそれを口に運ぶが、銀時は何度見ても吐き気がした。
甘党の銀時も食の好みは少々偏っているが、土方のマヨネーズ中毒とは比較にならない。
土方の味覚センスは壊滅的で、それさえなければ文句なしのいい男だと言えただろう。
自分の幼馴染兼恋人を残念に思いながら、銀時は土方につられてうす暗い窓の外を見上げた。
「あー今日は七夕だっけ。ていうか七夕ってなんだっけ。笹の葉に食べたいものリクエストする日だっけ」
銀時が興味なさそうに、死んだ魚のような無気力な瞳を細める。
「どんなイベントだそれは。笹の葉じゃなくて、短冊に願い事を書け。俺が言ってるのは天の川の話」
「天の川って星だろ?食えねーもんには興味ねーよ」
「色気より食い気か銀時。あ、もし腹減ってんならコレ食うか?」
メロンパンを食べ終わってしまった銀時に、土方は純粋な親切心でマヨネーズを差し出した。
マヨネーズを、1本である。
土方にとってマヨネーズは小腹を満たす間食にもなるし、主食にもなる。もちろん飲み物にもなる。
うんざりとした銀時はわざと一瞥もせず、無言のまま窓の外を睨むように見つめ、全身でマヨネーズを拒否した。
土方の親切心には一切気づかなかったフリをして。
「えーと、確か天の川を挟んで、彦星と織姫が遠距離恋愛してるんだっけ?」
「まあ平たく言うとそうだな。一年に1回、七夕の夜だけカササギが川に橋をかけてくれるんだと。
今日みたいな雨じゃ川が氾濫しちまうから、二人は会えねえんだろうなあ」
土方がまるで自分のことのように寂しそうに語るので、銀時は死んだ魚のような半開きの瞳を丸くして驚いた。
「ちょ、どーしたの土方。何でお前が落ち込んでんの!誰かと賭けでもしてた!?」
「賭けるか!彦星と織姫が可哀想だと思っただけじゃねーか。ていうかお前にはそういう感情はないのか」
「えー可哀想と言われても、俺には関係ないし!だいたい宇宙で雨なんか降らねーし!」
「ったく銀時は。ガキみたいな屁理屈言うんじゃねーよ」
「どっちがガキだっつうの!!」
銀時が苛々として怒鳴るが、土方は相変わらず神妙な面持ちで空を見上げていた。
その表情からは土方がただふざけているだけではないと、銀時を僅かに不安にさせた。
土方の様子がおかしい。
心ここにあらずといった様子の土方と、その視線の先にある雨雲に覆われた暗い空を銀時は見比べる。
付き合いの長い銀時には、土方が落ち込んでいる理由がふと分かったような気がした。
「あのさあ、土方。もしかして今、七夕の世界にハマっちゃってる? お前影響されやすいし」
「どういうことだ?」
「彦星サンと織姫サンに感情移入しちゃってるんだろ」
「まあ、だってよ、マジで可哀想だろ。あいつら1年間も今日を待ち望んでいたのに、この雨だぜ。辛いよなあ」
まるで見てきたかのように、彦星と織姫の人生について語り出す土方。
どうやら銀時の予想は大当たりであったらしい。
強面に似合わずロマンチストで想像力が豊かな土方は、神話の世界に感情移入しきっていた。
熱血モノや人情モノのストーリーには特に影響を受けやすい土方だが、銀時の知る限り恋愛関係には関心が薄いはずであった。
彼は絵に描いたような硬派を気取っている、少しばかり古くさい性格の男だからだ。
幼馴染として人生の半分以上の時間を土方と共にしてきた銀時は、当然毎年7月7日もその例外ではない。
しかし土方がこれほど七夕の神話に関心を寄せたのは、今年が初めてだ。
一体、何があったというのだろう。
銀時は違和感たっぷりに口元を曲げ、幼馴染の不思議な言動に動揺していた。
「ど、どしたの土方。去年まで七夕なんか話題にしたこともなかったのに。今年のお前、変だぞ」
「彦星と織姫は結婚したばかりだったのに、寂しいだろうな。もしも俺とお前がそんな目に遭ったらと思うと、なんだか辛くてよ」
「あ、そっち?そっちに妄想を持っていっちゃったの、お前」
「せっかく付き合い始めたのに、例えば突然、遠距離恋愛する羽目になっちまたらどうする。
しかも1年に1回しか会えねえほどの距離だとしたら」
土方は深く溜息をつき、自分の世界に入り込むように、静かに目を伏せる。
「バカじゃね、お前」
銀時は心底呆れた。いくらロマンチストだとしても、これは病的ではないだろうか。
昨年までの七夕では、こんな事は一度もなかったのに。
「あ、そうか。去年はまだ俺たちって・・」
銀時がハッと目を見開く。
昨年の今ごろはまだ、二人は恋人同士ではなかったのだ。
恋人同士となって、初めて迎える七夕が今日である。
幼馴染の同級生が、いつの間にか恋人に昇格したのはつい最近だった。
銀時にとってみれば、その切欠は本当に「いつの間にか」だった。
恋人同士になったとは言え、二人の関係に劇的な変化があったわけでもない。
二人でつるんで遊び、全力で喧嘩をして、また遊ぶ。
有耶無耶のまま、何となく親友から恋人へと雪崩こんだような感覚だ。
七夕神話という甘く切ない恋物語を自分たちに置き換えるなどという発想など、銀時に浮かぶはずもない。
ただし、それは銀時に限ったことであり、土方は全く違う感覚でいたらしい。
恋愛に関する物語は何であれ深く感情移入が出来てしまうくらい、「恋人同士」という間柄に強い思い入れがあるようだ。
土方にとっては銀時と両想いだという事実への喜びの大きさと、正比例しているのかもしれない。
「なあ土方。お前ってさ」
「なんだ?」
「意外と、結構、真剣に、俺のこと好きなんだ?」
「・・・・・・ったり前だろうが!な、何を言ってんだ!」
銀時があまりに驚いた様子で聞くので、土方はもっと驚き憤慨した。
憤慨した後、ふと不安にかられ、疑うように銀時を睨みつける。
「だから俺たちは付き合ってんだろ。まさかお前は違うのか?何となく〜ってノリで交際してるわけじゃねえよな?」
「う、うん。そうそう、そうだな。わかるわかる。そーゆうんじゃないからね。うん」
完全に瞳孔の開ききった恐ろしい眼力で睨みつけられ、銀時は自らの失言を適当に誤魔化そうとした。
その指摘が図星であることを、土方にはどうやらバレているらしい。
実は銀時にとって、土方が恋人であろうと友達であろうと大して心境の変化は無かった。
ある日土方に告白されたが、冗談なのか本気なのか分からず、「まあどっちでもいいや」という軽い気持ちで流されたまでのこと。
その気持ちは土方も同じだと思っていた。
しかし違っていた。
土方は銀時の想像以上に、劇的な心境の変化を迎えていたのだ。
硬派気取りの土方の心の一部を、まるで恋愛体質のように変えてしまうくらいには。
イエスともノーとも言わない銀時の中途半端な答えに、土方のこめかみに血管がビキビキと浮かぶ。
「まあまあ、そんなに怒ることかよ。どーでもいーじゃねーか」
「どーでも良くねーよ!付き合ってると思ってるのは俺だけかよ」
「そこまで言ってねーだろ!」
幼馴染の親友が恋人になる。
それが自分達の関係にどれだけの変化をもたらしたのか、銀時には実感できずにいた。
変化があるのだろうか。
同じなのではないか。
昔も今も、彼が自分にとって特別な存在であることに、変わりはないのだから。
親友か恋人か、名称が変わるだけで、自分の想いはずっと一筋だった。
それを言葉にするとまるで自分がのろけているようで、特に土方には絶対に言いたくない。
会話の続きを探して何気なく視線をさ迷わせた銀時が、再び窓から空を見上げると、相変わらずの重く真っ黒な雨雲。
土方も銀時と同じく空を見て、また残念そうにため息をついていた。
天の川を、来年こそは土方と二人で見てみたい。
銀時は初めてそう思った。
きっと今まで見たどんな天の川よりも、綺麗に感じることだろう。
終わり。
100707
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