放課後の生徒が皆帰った教室ってやつは、どうも落ち着かないと思う。
生徒どもが居た時は、すごく狭く感じるが今は落ち着かないくらいに広く寂しい。
先ほどまで眩しいくらいに入り込んでいた強い夏の西日はだいぶ沈んでしまって、わずかに沈んでしまうかとあがいている陽の光と、夕方の少し涼しい風が教室に入り込んでいるだけだった。
ヒートアイランド現象の為か、年々上昇している気温でこの時間でも汗がにじみ出るのだが、こういった忘れていた頃に思い出したように流れる風が、気持ちいいいと思う。
今日の日付は七月七日。数時間前の帰り前のホームルームでは、短冊の代わりに生徒たちには進路希望の用紙を渡した。
まぁ、バカばっかりが集まったクラスだし、どうせ進学希望を書いてくる生徒の方が少ないだろう。…もしくは、バカのクセに東大に行きたいとか書いてくるやつが居るくらいだろう。
俺の仕事は、生徒に見合った進路希望を応援してやることと、バカなことを書いてきたヤツらに正しい道をちゃんと教えてやることだと思っている。
一応は、教師という自覚もある。
それなりに、可愛い生徒の為に出来ることはやってやろうと思うわけだ。
「先生は、何で教師になろうと思ったんですか?」
数日前、そう聞いてきた生徒がいた。
マヨ方こと土方十四郎だ。
マヨネーズが異常なほどに好きでアホだけの男だが、たまに俺を見る真剣な目が印象的な男だ。
「ん?別に、教師って安定してるし、女子高生とか正々堂々と見れるってのが、何とも言えずに魅力的だったからかなぁ〜…」
「けど、教師ったって、なろうと思って簡単になれるもんでも無いだろ?勉強だって、それなりに出来なきゃだし、一番努力が嫌いそうな先生が努力したってのが信じられねぇんだよ」
「はぁ?俺は今も昔も、努力って言葉が大嫌いだよ。単に運良く教免が取れて、運良くこのガッコーが採用してくれただけだよ」
普段突っかかってくるように声をかけてくるのに、この日は普通に声をかけてきたから、俺もちゃかしは無しで答えてやった。
流したようにも取れる答えだが、実際に本当の話なのだから仕方ないだろう。
「もしかして、あいつ教師になりたいのか?」
まぁ、バカなやつだが、真面目ではあるから案外似合ってるかもしれねぇな…。
タバコを吸おうと思って白衣にポケットに手を突っ込んでみるが、タバコと一緒にしまっておいたと思ったライターが入っていないことに手探りで気がつき、タバコを吸うのを諦めた。代わりに、違うポケットから今日生徒から貰った飴玉を口の中へと放り込んだ。
その飴をガリっと噛む。
飴とは舐めるものだと分かってはいるが、つい噛んじまうんだよなぁ〜…。
ガリガリとした音が、骨を伝って聞こえてくる。
その響くような音に気を取られ、教室の人が静かに入ってきたことに俺は気がついていなかった。
「先生、一人で何してるんスか?」
「んぁ?」
ぼんやりとしていたせいか、驚いたというよりも反射的に呆けたままに振り向くと、今何となく思い出していた土方その人が居た。
「先生、まだ帰らないんですか?」
「そうゆうお前こそ、忘れ物か?」
だが土方は自分の机ではなく、俺の居る窓際へと進んできた。
「はい。忘れ物です」
それなら、自分のロッカーか机だろうが。それとも俺に何か用がるのだろうか?
「もしかして、今日渡した進路希望での相談か?そうゆうのは、進路指導担当の先生がちゃんと居るから、そっちにしてくれ」
「けど、俺は先生に心理指導してもらいたいんスけど…」
「俺、か?無理無理。わかってると思うけど、俺は反面教師ってやつだから、止めとけ」
追い払うように、右手をひらひらさせてやる。
こんな風に大人いと、俺の方がどう接していいのか分からなくて困るっつーの。
「お前なら、大学だっていけるだろ?適当に行きたい大学名書いてくれば、俺が責任持って進路指導の先生に渡してやるから安心しろ」
「…大学には、行くつもりです…。俺の頭だからたいした大学は入れないだろうけど」
「そんなことないだろう。お前なら、そこそこいい大学にいけると思うぞ」
お世辞抜きに正直そう思っているから、言ってやったんだが土方にとってみれば適当に流されていると思ったのだろうか?
まぁ、普段の俺の態度からしても、真面目に答えるキャラでもないしな。仕方ないか…。
「…銀八先生、今日は七夕ですよ」
「…は?」
突然に、脈絡無くそう振られたら俺だってどうボケればいいのか分からないだろうが!
「離れ離れになった二人が、今日だけは会うことを許された日なんだってよ…」
だから、何だというのだろうか?
もしかして!
今日はそんな七夕なのに進路希望のプリントを渡したことへの嫌味か?
だが、そのプリントは別に渡せと学年主任から言われたから渡しただけのものであって、俺のせいじゃありませんからねー!
単に嫌味を言いに来ただけなら、いくらでも先生応戦しちゃいますよ?
「だから、今夜は一緒に居てくれませんか?」
「はい・・・?」
「だから、今夜は俺と一緒に過ごしてくれませんか?」
どうやったら、その『だから』に繋がるんだ?
運良くっても、一応俺だって国語教師ですからね。
どんなに教師っぽく無くても、その言葉がおかしいことくらい採点できるぞ。
「先生って、いつもタバコすってるけど、甘いの好きですよね?口の中は、苦いんですか?それとも甘いんですか?確認、させて下さい…」
そう言うと、土方の顔が近づいてきた。
「…甘いんだ…」
それは、今飴をかじっていたからにすぎないだけですから!
「鳩が豆鉄砲を食ったよう顔してるって、こうゆう時言うんだろ?」
俺の顔のことか?
多分、そんな顔してるだろうよ!
驚くなって方が無理だから!
先ほどまでわずかではあるが、教室に差し込んできていた陽は完全に沈み、外はいつの間にか夜へと入り込んでいた。
窓の外を見ると街灯などの明りが見えるが、その明りはグランドを挟んで離れたこの教室までは光りを届けてくれないらしい。
「抵抗しないと、他も甘いのか確認しちゃいますよ?」
一体、俺のどこを確認するというのだろうか?
いくら糖尿で血液がドロドロだとは言っても、そんな風に体を舐めたって甘くないぞ!
「今日だけは、許してください・・・」
「何を、許すんだ?」
「今日だけですから…」
土方はそう言うと、再び俺の口を塞いだ。
***
体はダルイわ、腰は痛いわ、腹は減ったわ!
頭痛までしてくる始末だよ!
生徒と体の関係なんて、クビだよクビ!
安定した職業につきたかったって理由なのに、俺はいきなり犯罪者ですか?
「で、一体どうゆうことなんだ?」
本当は理由なんて聞かずにボコボコに殴ってやりたいところだが、今の俺にはそんな体力なんて残ってない。
それに、散々乱暴に俺に突っ込んですっきりしたハズの土方の方が、今にも泣きそうな顔で黙ったまま俯いたままだし。
普通ここで泣きたくなるのは、俺の方だろうが!
「お前、そんなに欲求不満だったのか?そうゆうのは、彼女作るとか、風俗行くとかしろよな」
風俗店に高校生は入店禁止だということは、完全にスルーである。
つうか、だんまりかよ・・・。
「あーあ。このシャツ血付いちゃってるじゃんか。血液って洗濯じゃ落ちてくれないんだぞ」
確か更衣室に予備のシャツがあったよな…。帰りはそれ着て帰るしかないか…。
とりあえず痛い体を我慢して動かし、乱暴に脱がされ散らばった服をみじめにも自分でかき集めて、着る事にする。
「お前も、早く彼女でも作った方がいいぞ。こんなオジサン相手にしちゃいけないぞ」
明日からどんな顔で教室入ればいいんだよ。
せめて明日から夏休みとかなら、その間に忘れちゃったりできるかもしれないが、夏休みまで半月くらい残っちゃってるし。俺は全然悪くないのに、何でこんなにきまづい思いをしなくっちゃいけないわけ?
どう感えても、理不尽だよな・・・。
考えれば考えるほどに、面倒になってきた…。
さっきから、言い訳いとつしようとしない男を放って俺は帰ることにしようと立ち上がると、ようやく土方は顔を上げた。
「七夕の願い事…」
「?」
さっきから、突然すぎるのだこの男は。
もしかして言語に何か障害があるのだろうか?
ようやく言葉を発したかと思うと、今日配布した進路希望用紙を目の前に出してきた。
数時間前に渡したばかりだというのに、その用紙はすでに記入済みらしい。俺は受け取ってその用紙を見た。
第一希望には、妥当な大学名が書いてある。学部は教育学部ね。やっぱりこいつは教師になりたいのか?
しかし第二、第三希望欄は空欄になっている。
「本当は、あんたを嫁に欲しいって書こうと思ったんだ…。けど、先生以外に読まれるかもしれないから、一応こう当たり障り無く書いてみたんだけど…」
「…嫁って…。つうか、これは進路希望用紙だからな!」
「希望って言えば、願いだろうが!」
誰だ、こいつにそんな間違ったことを教えたのは!
「それで、七夕にこの用紙渡されたら、俺の願い事を書けってことだって誰だって思うじゃないか…」
「・・・誰がそんなことを教えた・・・?」
「え?近藤さんだが…」
あの変態ゴリラか!
「つうか、近藤の言うことが合ってるわけないだろうが!」
「帰る前に教室寄ったら、先生が居たから俺、きっと今日だけ織姫と彦星が俺の願いを叶えてくれたと思ったんだ…。今夜だけでもいいから、あんたが欲しいって・・・だから、俺…気がついたら何か暴走して…」
「へ?お前、泣いてるのか?」
自分を見上げる普段生意気な顔は真っ赤になり、そしてその目からは涙があふれ出そうだった。
顔をぐちゃぐちゃにさせながら、泣き崩れている男を一人置きっぱなしにもできたが、何となく帰るタイミングを逃したというか…。
つまりは、あれだよな…。
コイツは俺が好きだから、勘違いして暴走しちゃったということみたいだが…。
被害者、俺のはずなんだけどな…。
あ〜…。面倒臭い…。
「おいマヨ方、これやるからいい加減家に帰れ」
ポケットの中から、飴を出してもったいないがくれてやった。
「・・・怒ってないんですか?」
「まぁ、俺も本気で抵抗しなかったのもいけなかったしな」
一応俺だって大人の男だ。逃げようと思えば逃げれたと思うが、何となく逃げるタイミングを逃したというか…。
何でかわからないけど、さっきからそんなんばっかだな俺・・・。
「で、家に帰って短冊に願い事でも書けばもしかしたら、今から織姫と彦星が叶えてくれるかもしれねぇぞ。こっちの紙は進路希望として俺が預かっておくから」
提出された用紙を持って、俺は先に教室を出るべくドアの方へと歩いていった。
「あ。そうだ、俺襲う前に、本当は言わなきゃならねぇことあったろ。そんなんも言えないようじゃ、願いなんて到底叶わないからな」
「え?先生、それって…?」
「なんだよ、全然分からないのか?そんなんだからお前はマヨ方なんだよ。それ、来年の七夕までの宿題な」
そう課題を残して、俺は教室を出ていった。
「それって、卒業しても、来年の七夕に会ってくれるってこと・・・だよな…?」
教室に取り残されたヘタレ土方は銀八の言葉を理解して、両手のコブシを天井高くに突き上げるのであった。
離れていく教室から、土方のはしゃぐ声が聞こえてくる。
まだまだ子どもだな。あんな一言で、あっという間に元気になりやがって。
やっぱり、もっとしっかりと反省させるべきだったのか?
あのヘタレが好きかって?
そんなの知らねぇよ。
ただ、嫌じゃなかったことに自分自身驚いているだけで。
けど、俺も一応聖職者なわけだ。さすがに、生徒とどうこうなっちゃならんと思うわけだ。
だから、来年の七夕に今年忘れた大事な答えを提出するまでは、全部無かったことにしてやろうってことなわけだ。
来年の七夕、生徒じゃなくなったら、もう一回チャンスをやろうってね。
考えるのはそれからでも、悪くないかなって…。
「あぁ〜あ、俺もヤキが回ったよなぁ〜・・・。可愛い女の子ならともかく、男子生徒かぁ〜・・・」
END
木村育美様より土銀八小説を頂きました!
当サイト3周年のお祝いとの事で、感謝感激です!
銀八先生は土方君の若さに押されまくりですね!
このまま一生幸せバカップルになっていけばいいと思いますー!
木村様、ありがとうございました!!
ギフトトップへ戻る