「逆3Z」
〜坂田君の恋物語。
「土方センセー、俺としようよ!」
まさかそれが情事の誘いとは思えないほど明るい声で、坂田銀時はそう言った。
にこにこと人懐こい笑顔。
まるで、ピクニックに行こうとでも言うかのように、爽やかに。
そしてその言葉に対して土方は、咥えた煙草をふかしながら、返事をする。
「アホか」
煙草を灰皿に乱暴に揉み消して、ついでに銀時の誘いもバッサリ。
銀魂高校3年Z組では、こんな会話は日常茶飯事であった。
「なんで土方先生は俺のコト構ってくんねーんだろ、なあヅラ?」
「ヅラじゃない。桂だ」
授業の合間の10分間の休み時間、銀時は後ろの席の桂に話かける。
桂小太郎は銀時の幼馴染で、気の置けない関係のふたりには隠し事などない。
ずっと一緒でお互いのことは何でも知っている。
よって桂は銀時が担任の土方に恋心を寄せているという話を、心底嫌になるほど聞かされていた。
銀時は自分の想い人である担任の土方先生が全く振り向いてくれない不満を桂にこぼす。
それがほぼ毎日のように繰返される。
桂にしてみれば、もはや答えるのも面倒な話であった。
「銀時、分かりきった事だろう。先生はお前に興味がない。それだけだ」
「だから!どうしたら興味持ってくれんのかな、って言ってんの!」
銀時が頬を膨らませて怒る。
桂は怯む様子もなく、うるさい銀時にトドメを刺した。
「とりあえず、性転換でもしたらどうだ」
「〜〜〜〜・・・やっぱ男じゃダメってこと・・・?」
がっくりと肩を落として、銀時はくるりと前を向き机に突っ伏した。
毎度のことではあるが、桂にこう言われると落ち込む。
授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。次は土方の授業だ。
生真面目な土方はチャイムと同時に教室へ入ってくる。
教卓へ教材を置くと同時に学級委員が「起立」と号令がかけられる。
ガタガタと椅子をひいて立ち上がる生徒たちを壇上から見渡す土方は、問題児の銀時と目が合った。
その瞬間、銀時は素早く自らのシャツのボタンひとつ余計に外して、意味深に怪しく微笑む。
胸元の肌を多目に露出させ色気をアピールする作戦だ。
しかしこれもいつもの事。土方の授業のたびにこうしているため、土方も慣れていて動揺すらしない。
「そこ、しまっとけ」
土方は教科書に視線を落としたまま、銀時の方を指差して突き放すような冷たい口調で注意した。
ボタンを止めて胸元を仕舞えと言っているのだ。
銀時はつまらなそうに唇を尖らせたが、ボタンは止めなかった。
わざととらしくシャツの前をはだけさせたまま。銀時のささやかな抵抗、だが全く効果はない。
その後は静かに、授業が始まった。
土方は生徒指導も担当している。
黙っていれば整った顔立ちで見栄えがするが、低い声と鋭い双眸で生徒を威嚇する。
授業時間にふざけようものならば、どれほど厳しい折檻が待っているか分からない。
『切腹しろコルァァ!』などと叫び恐ろしい剣幕で竹刀を振るい、生徒が滅多打ちにされる事もある。
生徒たちの間では密かに「鬼」と呼ばれるほどに恐ろしい。
短気で怒りっぽいため、いつ雷が落ちるかと生徒は緊張しっぱなしだ。
普段は冷静な土方だが、キレると理不尽な体罰も当たり前のように行われる。
緊張感に包まれしんと静まりかえった教室に、土方の低く凛とした声だけが響く。
ノートと黒板しか見ていない生徒たちの中、銀時だけは教壇に立つ土方の姿ばかり見つめていた。
授業を聞いているとは思えない不自然な視線に気付いた土方は「授業聞け」と睨むものの、まったく効果はなかった。
・・・バカにしてやがる・・・。
土方はそう思っていた。
銀時が毎日のように「俺としようよ」とストレート過ぎる表現で誘ってくることも。
これ見よがしにシャツの前を肌蹴させて、目のやり場に困るような思いをさせることも。
そして、突然抱きついてくることも、・・・何もかも。
(俺をからかって遊んでやがるんだろ。ふざけるんじゃねえ。大人をバカにしやがって!)
本当に好かれているとは、とても思えない。
からかわれている、バカにしてやがると想像すると、腹の底から沸き上がるような怒りを感じることもある。
万一、銀時が本気だったとしても、土方は銀時に恋愛感情など持てるはずもない。
教師と生徒、しかも男同士だ。考えたこともない。
僅かに気分を苛立たせた土方は、銀時の熱い視線を無視して授業に戻る。
その後は銀時を一瞥もしなかった。
チャイムが鳴ると土方は資料を片付け、足早に教室を出る。
無駄な話は一切しない。
(こんなところに長居したら、またあの問題児に掴まっちまう・・・次の授業もあるってのに、あいつはしつこいからな。)
相手すんのも面倒臭ェ、やってられるか、そう声に出さず忌々しげに呟く。
教室を出て行く土方の背後、銀時が何か言いたそうにしている気配を感じた。しかし振り向かなかった。
「もしかして、俺、先生に嫌われたかも・・・」
放課後、西日の差す眩しい教室で銀時は友人たちを前にうなだれていた。
「アッハッハー、なーにを言うとんじゃー金時ーー!」
底抜けに明るい声で笑う、クラスメートの坂本辰馬。
「辰馬、俺は銀時だって。もー何度言えば分かるんだよ」
「フン・・・コイツがバカなのも、お前が先生に嫌われてるのも、今さらだろう」
「高杉の言うとおりだ、銀時。今日、特に何かあったとでも言うのか?」
やはりクラスメートで幼馴染の高杉と桂が、まるっきり他人事のように冷静に答えた。
面白くない流れに、銀時はちぇっと舌打して視線を外す。
「・・・今日の土方先生は、やけに冷たかったんだ」
しょんぼりと元気の無くなった銀時を見て、坂本、高杉、桂の3人は目を見合わせた。
「銀時、お前・・・あの土方先生のどこがいいんだ?」
桂がそう聞くと、銀時はひとこと、答えた。
「カワイーじゃん・・・」
再び3人は目を見合わせ、それぞれ苦笑いする。
「・・・どこ、が?」
3人のうちの誰かがそうポロリと零すと、銀時がピクリと反応し、激しく反論した。
「あの歳でバカみたいにマヨ食ってんのカワイーし、ペドロ観て泣くのがバカでカワイーし、
すぐ怒るトコもバカでカワイーし、カッコイイのにバカなとこカワイーじゃん!」
どうだ!と言わんばかりに威勢良く、銀時が自信たっぷりに言い切った。
一瞬の沈黙のあと、3人はまた、顔を見合わせる。
「アハハ、いやあ土方先生の魅力はゼンッゼン分からんが、とりあえずバカだっちゅう事はよーぉ分かったき!」
「バカなのか、あの先生は?」
「バカが好きなのか、銀時は?」
坂本だけは笑っていたが、高杉と桂は眉間にシワを寄せた。
「おいおいおい、何、何なのオマエラ!俺の先生の事、バカにしないでくんないィィ!?」
「・・・一番バカにしてるのはお前だろうが、銀時」
「アッハッハー!いやあ、バカもんはおんしじゃ、金時よ」
「理解できねェな」
坂本は愉快そうに笑い、高杉は吐き捨てるように言った。
仲間に散々笑われてふて腐れた銀時を尻目に、3人は連れ立って下校してしまったが、
何となく帰る気分でない銀時だけは、そのまま教室に留まっていた。
ひとりぼっちの教室は、夕日の色に染まっていく。
オレンジ色の光の中、銀時はぼんやりと校庭を眺めていた。
「・・・大丈夫、オレ、嫌われてない・・・って」
意味もなく、そんな曖昧な言葉を口にしていた。
一体何が大丈夫だというのか、銀時にも分からない。
ただ沈んだ気持ちを少しでも和らげたいだけ。
「あ、坂田・・・?」
開けっ放しだった教室の扉をくぐり入ってきたのは、土方だった。
窓際にいた銀時の姿が逆光で暗く影に隠れ、土方には見えなかった。
土方は銀時の姿を見つけると「マズイ」と眉をひそめた。
ここに銀時がいると知っていたら入ってこなかったのに、そう顔に書いてある。
声さえ出さなければ、銀時に気付かれる前に教室を出てしまうことも出来た。
しかし銀時は既に背後を振り返り、その紅い瞳は土方の姿を捕らえていた。
「土方先生・・・?」
「いやいや勘違いすんな、別にお前に会いに来たんじゃねーぞ!忘れ物があってここに・・・」
思わせぶりなことをすれば、また銀時が調子に乗る。
それを牽制するために土方は必要以上に冷たく言い、銀時の視線を突っぱねた。
一瞬、二人きりの教室がシンと静まり、緊張した空気が張り詰める。
(やっぱり嫌われているのかな、俺・・・)
銀時がそう思うのは初めての事ではなかったし、脈がないのも分かっている。
それでもアピールしていればいつか・・・僅かな期待を持たずにはいられない。
脈が無いのなら諦めればいい。しかし銀時が土方を好きな気持ちはそう簡単にコントロールできるものではなかった。
恋心は自分ではどうにもならない。この事態を何とか進展させたいからこそ、銀時はアタックし続けている。
しかし押せば押すほど、相手は引いて行ってしまう。
脈のない土方への効果的なアピールの仕方が分からず、次の行動を迷った銀時は、思わずじっと黙ってしまった。
黙って、だた土方を見つめる。
「・・・じゃあ気をつけて帰れよ」
やけに大人しい問題児を怪訝そうに見ながら、土方はあっさりと踵を返す。
引き止められるかもしれない、一瞬だがそんな予感が土方の胸をよぎる。
「・・・なあ、土方先生っ」
案の定、銀時が声をかけてきた。
自分の勘が当たった事に気分を良くして、思わず口元で笑ってしまった。
それに気付いた土方は、慌てて唇をかみ締める。
(・・・何を笑ってんだ、俺は)
わざと眉間にシワを寄せていつもの厳しい表情を作る。
この後の銀時の言動も大体分かっているのだ。
(どうせいつものようにコイツは「俺としよう」と言う筈だから、俺は「アホか」と切り捨てるんだろう・・・。)
一日何度も行うこの不毛な会話を思い出していた。
そして土方は心の準備をして、極力冷たい視線を心がけ窓際の銀時を振り返った。
「・・・なんだ、坂田」
橙色に輝く窓を背後にしているせいで、銀時の顔に影がかかっている。
表情が見えないが、いつものように明るく笑ってはいないようだ。
土方は予想していた展開と違う雰囲気に、思わず身構える。
「先生は・・・俺のことキライ?」
意外な質問に土方は言葉を詰まらせる。
(・・・あぁ?何だって?また「俺としよう」って言うとこじゃないのか?何故、そんなことを・・・。)
土方は内心うろたえつつ、銀時の姿をじっと見据えた。
好きかと聞かれるのなら、「好きではない」となら言えるだろう。
けれど、嫌いかと問われて本人にハッキリ「嫌いだ」とは言い難い。
その時に、土方はふと気付いた。
生徒である銀時を、特別に「好きだ」などと思ったことはない。
しつこく「したい」と迫られて鬱陶しく思っているのは確かだ。そんな冗談の相手をするのも面倒臭い。
けれど「嫌い」とまでは・・・思っていない・・・。
そうだ、嫌ってはいない。
鬱陶しく思いながらも、別に嫌ではないのだ。
銀時の意外な問い、そして自らの出した意外な答えに戸惑う。
何と伝えるべきかと、土方は言葉の選び方を迷っていた。
「・・・好きも嫌いもねえよ。お前なんか相手にしてねェ。知らねーよ」
土方の低い声は土方本人が知る以上に冷たく、感情の無い声のように響いた。
銀時は「・・・そっか、だよなァ」と小さく笑う。
笑ったことに安心した土方は、いつもの調子に戻って教室から銀時を追い出す。
「ほら、テメーも早く帰れや」
「・・・じゃあ土方センセ、またね」
銀時がひらひらと手を振り、カバンを持って教室から出て行く。
土方は何気なしにその様子を見送ってから、ふとおかしな事に気付いた。
(やけにあっさりと帰りやがったな・・・。)
いつのも銀時なら、放課後の教室で二人きりとあらば、もっと迫ってくるだろう。
勿論、土方は手を出したりしないが、銀時は諦めずしつこい。
隙を見せたら抱きつかれていただろう・・・いつもならば。
夕日の逆光で見えなかった、彼の表情が気になる。
もしかして、ひそかに泣いていたのではないだろうか。
自分の突き離すような言い方のせいだろうか・・・?
ぎくりとした土方の瞳の瞳孔が開く。
土方はクールな性格だと思われがちだが、意外にも内面は情が深い。少なくとも子供向けの映画で号泣できるほどに熱い内面を持っている。
もし自分が銀時を振った所為で泣かせてしまったのだとしたら・・・途端に土方の胸に罪悪感が芽生える。
銀時に関心は無いが泣かせたいほど憎いわけでもない。
(こればかりは、仕方ねえよな・・・でも・・・泣くこたねぇだろ・・・!)
土方はすっかり「銀時が泣いていた」と思い込んでいる。
その心情を想像すればするほどに、胸の中で罪悪感が膨らんでいく。
「・・・チッ、なんだってんだ・・・」
分けも分からず、苛々とする感情を抑えきれず、土方は煙草を咥えた。
目を細めて教室の窓から校庭を見下ろす。
しばらくすると、銀時がとぼとぼと1人で下校していく姿が見えた。
橙色の光の中に消えていく銀時の後姿を、土方は釈然としない気持ちのままずっと見つめていた。
一方、銀時は泣いてなどいなかった。
土方の冷たい態度にしょぼくれてこそいたが、だからと言って振られたとも思っていない。
相手にされていないのなら、何とか相手にしてもらおうと闘志のようなものまで沸きあがってきていた。
銀時は、土方の想像以上にタフなのだ。
銀時は1人、夕日に向かって叫ぶ。
「みてろよ・・・土方先生・・・絶対に落としてやるからなーっ!」
メラメラと燃え上がった銀時が向ったのは駅前の本屋。
「作戦変更!色気がダメなら食い気だ!俺が世界に二つとない絶品のマヨネーズ、作ってやるーー!」
ろくに台所になど立った事のない銀時であったが、器用さには自信があった。
マヨネーズなど作り方さえ分かれば、様々なレパートリーの料理が出来そうだ。
料理レシピの本のコーナーで、高校3年生の男子・・・銀時が仁王立ちして棚を物色する。
片っ端からレシピ本やグルメ雑誌を広げているその光景は、まさに異様であった。