相変わらず土方の仕事は忙しかった。
その忙しさのレベルは、自分の自由な時間など勿論取れず、
家庭を持ったからといって、家族の相手をする余裕など殆ど無いほどである。
真選組の実際の指揮をとるのは土方だ。
大将の近藤はお飾りであれば良かった。
実務の一切をせずとも、大将が堂々と居てくれればそれだけで真選組として機能する。
それだけの存在感と能力、カリスマ性があると土方が認めていた。
むしろ近藤がいなくては真選組は真選組でなくなってしまう。
近藤の代わりができる人物など他には在り得ない。
近藤は何よりも大切な真選組の旗であった。
土方は、その代わりに実務に関して一切の指揮系統のトップを自分に集中させた。
よって真選組は、土方の指示がなければ何も出来ない。
攘夷志士の撲滅から屯所の掃除当番まで、一切合財を土方が仕切っていた。
土方が現場にいないと仕事にならない。
よって朝一番から深夜まで、土方に休み時間はなかった。
仕事人間の土方は、真選組に命を懸けている。
多忙など厭わない、が、銀四郎が生まれてからは夜は家に帰ることにしていた。
毎日、ちゃんと銀四郎の元気な顔を見たいと思った。
(子供が元気に育つ姿を確認することは親の大事な役目だ。)
そう自分に言い訳をしていたが、結局のところ、本当はただの親バカだ。
可愛い我が子に会いたい。それだけだった。
忙しくて家に帰ることすら億劫な日もある。
けれどそれでも自然と身体が動いて、自宅へと向かっていた。
不思議なことに、銀四郎の寝顔を見るだけで一日の疲れが全て吹っ飛ぶのだった。
(早くあの顔を見て落ち着きたい。)
土方は深夜で人通りのない街をひとり急いで歩く。
深夜に帰宅すると、銀四郎と銀時が寝ていた。
ベビー用の小さな布団に包まれて銀四郎が眠り、その横で子供を寝かしつけたままの姿勢で銀時が居眠りしていた。
土方が着替えたりしていると、銀時が眠そうにしながらも起きてくる。
「・・・おかえり、っつーかうるせェ・・・」
「銀四郎は?」
「寝てるけど」
「よし、じゃあ晩酌に付き合わせるぞ」
そう言って土方がスヤスヤと眠る銀四郎を抱きかかえ、居間へと連れてくる。
「せっかく寝てたのに起こすなよな・・・」
銀時がブツクサ言いながら、日本酒を2合徳利に注ぎ、お猪口と土方用の夜食と共に乱雑にテーブルに並べる。
用意だけしてやるから、適当に食えという合図だった。
最後に乱暴な仕草でマヨネーズを一本、テーブルの真ん中へ叩きつけてやる。
最近の土方の楽しみは、銀四郎との晩酌だ。
生後5ヶ月目。
すっかり首も据わり、手足をせわしなく動かすようになった銀四郎を、ベビー用の座椅子に座らせる。
その顔を見ながら酒を呑むのが土方の楽しみだった。
土方の食べるものを丸い瞳で不思議そうに見つめ、土方の話し声をじっと聞いている。
機嫌良く微笑んだり、つまらなそうにグズったりと、表情がころころと変わるようになった。
小さいながらも、一人前にしっかりと意思を示す。
日中は家にいない土方にとってはその様子が面白くて仕方がない。
(こんなに小さいくせに、一体何を考えているというんだろうな。)
毎日少しずつ人間らしく、成長している。
我が子はいつまで見ていても全く飽きることはなかった。
しかし銀時にしてみたら、それは迷惑この上ない行為だ。
赤ん坊には眠りのサイクルと、タイミングがある。
変な時間に起こされて、銀四郎の睡眠サイクルが狂うと、泣きわめいたり眠らなかったりして後々が面倒なのだ。
それでなくとも、一日に何度もミルクをあげなくてはいけない。
やっと眠ったと思っても、すぐに泣いて起こされてしまう。
銀時にはまとまった睡眠時間が取れないことが、大きなストレスの種であった。
横になって休んでいても、いつ泣き声で起こされるかと思うと神経が高ぶって熟睡もできない。
そのため、銀時はいつも疲れていた。
こうして土方が夜中に銀四郎を起こしてしまうと、明け方まで眠らないだろう。
翌日の食事や睡眠の時間がガタガタと崩れてしまう。
本来なら朝までぐっすり眠れるはずだったのに、そう思うと呑気な土方が憎たらしかった。
「おい、土方。俺もう寝るから。
銀四郎と一緒に寝てやってくれよ」
「おう」
苛々としながら銀時が席を外す。
土方は銀四郎とじゃれあうことに夢中で生返事をした。
部屋を出て行く銀時の視界に入ったものは、土方が銀四郎に割り箸を握らせているところだった。
銀時がぎくりとして、足を止めた。
「おいおいおい、土方、テメ何で割り箸なんか持たせてんだ!?」
「悪いか、別にモノ食わせる気はねーぞ?」
「食えるかァァ!離乳食だってまだだっつうの!!」
「これはなあ、木刀の代わりだ。男なら刀くらい使えねーとな、なァ銀四郎よ」
「バカかこの酔っ払い!こんな尖ったモン振り回したら、危ねェだろが!」
土方が与えた銀四郎の木刀「割り箸」を銀時が取り上げた。
普段は子育てにも投げやりで放置がちな姿勢を見せる銀時だったが、
瞬間見せたぴりぴりとした危機感を、土方が物珍しそうに、にやにやと笑い眺めていた。
その視線に気付いた銀時が、さらに機嫌を損ねた。
「おい銀四郎、もっとでかくなったら、俺の『洞爺湖』やるからな。
男だったらこんな安っぽい割り箸なんか、振り回すもんじゃねえぞ?」
土方を無視して、銀四郎にだけ声をかけ、銀時はどかどかと乱暴に部屋を出ていった。
「『洞爺湖』だって通販の安物だろうが。
お前の母さんはよっぽどお前が可愛いんだなァ・・・俺は信用がないらしいぜ?どう思う、銀四郎」
乱暴に閉められた襖を見ながら、土方が愉快そうに呟く。
銀四郎は丸い瞳をぱちくりさせて、ほろ酔いの土方を見上げた。
翌日、土方は子供用のオモチャの剣を買って帰ってきた。
「銀四郎に土産だ」
「あァまァ・・・そりゃそーだろうけど。
いやでもコレはまだ無理だろ。銀四郎の身長よりでかいじゃねーか」
「剣の稽古は早い方がいい」
「・・・早過ぎだろ・・・つーかお前が早く銀四郎とチャンバラしたいだけだろが」
銀時が呆れて大きく溜息をついた。
剣のことしか頭にない土方のことだ、筆よりも先に剣を握らせたいだろう。
その気持ちを、銀時も分からなくは無い。
土方が買ってきたのは「対象年齢3歳以上」と明記されたビニール製の柔らかな剣だ。
1歳にも満たない銀四郎が遊べるはずもない。
それでもせっかく買ってきたのだからと、一応与えてみた。
まず持ち手が大きすぎて、銀四郎の小さな手では掴めない。
感触が面白いのか、むにむにと握るが、持つことすら出来なかった。
それでも「剣を握った」という事だけでも土方は嬉しそうに微笑み、
「良し、なかなかの太刀筋だ。」「お前はセンスがいい。」などと誉めていた。
握れば誉め、土方が支えながらも剣を振り動かしては誉める。
たとえ剣を投げ捨てても、「そうだ、休息も重要だな。」とポジティブシンキングをして、やはり誉める。
我が子のすることなら何でも良いのだ。
恥ずかしいくらいに親バカな土方を、銀時は半眼で遠巻きに眺めていた。
せっかくの剣も本来の使い方をされず、銀四郎が口に入れようとして舐め、
涎でべたべたに汚されただけだった。
5ヶ月目に入ったばかりの銀四郎は、手当たり次第に物を口に運ぶ。
土方が初めて銀四郎にプレゼントした玩具は翌日、「汚ねェ!邪魔!」と銀時によってあっさり捨てられてしまった。
それでもめげない土方は毎日のようにオモチャ屋い通い、ざまざまな玩具を真剣に物色した。
「これなら遊ぶだろう?」
そう言って次に土方が買ってきたものは、鞠だった。
「・・・んー、まだ早いんじゃね?」
銀時は呆れていたが、それでも土方の好きなようにさせた。
小さな鞠は布製で綺麗に飾ってあり、地面に落とすとよく弾んだ。
中に鈴が仕込んであるらしく、転がすとチリチリと可愛らしい音を出す。
赤ん坊の手にはまだ大きかったが、表面がざらついた布地なので掴むことができた。
銀四郎には遊び方など分からない。
渡された鞠を掴み、手を離す。
するとポトリと落ちて、チリチリンと鈴の音と共にコロコロと転がる。
銀四郎は驚いたように目を丸くして、鞠の行き先を見つめていた。
土方が鞠を拾って銀四郎の手の中に置くと、またそれを離して落とす。
コロコロと転がる鞠が気に入ったらしく、土方が拾い渡してくれるのを期待してじっと待った。
土方は自分の選んだ玩具が銀四郎の興味を引いた事を嬉しく思い、いつまでもその遊びに付き合った。
「おい、遊んでるじゃん?これ選んで良かったなあ」
銀時が声をかけると、土方が真剣な面持ちで頷く。
「あぁ、こいつはもしかしたら将来、大リーグで投手になるかもしれねェ・・・。
俺には分かる。このボールへの情熱は、野球界の新たなる伝説への第一歩だぜ!」
「お前って本当に親バカ・・・いや、ただのバカな」
真面目に銀四郎の将来に期待を寄せる土方を見て、銀時はがっくりと肩を落とした。
子供の将来に夢を見るのも、親の特権だ。
銀四郎が自分の選んだ玩具に関心を示したことは、土方にとって大きな感動だった。
他にも何か銀四郎の為にしてやれる事はないかと、常にそればかり意識するようになった。
子供の才能をいち早く見つけ出し、開花させてやることが親の務めであると、使命感に燃えた。
早くも銀四郎の将来について考えを巡らせた土方は、親バカの王道をまっしぐらに突き進み、
ついに幼児教育に手を出した。
ある日、クロネコの宅急便でダンボールが届けられた。
家にいた銀時は大きくて重たいダンボールを引きずるようにして居間へ運び、
突然の大荷物を不審に思いながら、蓋を開けてみた。
すると中に入っていたのは
「日本むかしばなし全集 全53巻」
「とびだす絵本 10冊セット」
「世界の名作全集 全25巻」
「はじめてのえいご ヒアリングDVD付き 全3巻」
という書籍ばかりであった。
どれも子供向けなので一冊あたり薄く出来てはいるが、内容は細かく分冊され数量が多い。
送り主は書籍通販の業者であったが、発注者は誰なのかなど考えなくともすぐに分かった。
土方の親バカさ加減に呆れかえり、この書籍を窓から全部投げ捨ててやりたい衝動にかられた銀時であったが、
そんな体力を使うのも惜しく、ダンボールごと居間に置きっぱなしにした。
夜に帰宅した土方は、早速ダンボールの中身を出して丁寧に並べ始めた。
銀時はやはり半眼でそれを見ている。
「なあ土方。銀四郎はまだ5ヶ月で、文字読むどころか言葉すら喋れないんだぞ?
どーすんの、こんなに買っちゃって。っつーか邪魔なんだけど無駄遣いなんだけどォォ!」
「赤ん坊は喋る前からちゃんと言葉を理解しているらしいぞ。
だから俺たちの会話もきっと分かっているんだ。
そろそろ、こういった本の読み聞かせをしておいた方がいい」
「そらまァ、読み聞かせってのはいいかもな。
で、誰がするんだよ、・・・読み聞かせ?」
「お前が昼間、やればいい」
「あぁ?何だそれ!テメーが買ったんだ!
テメーでやれよ!冗談じゃねえ!」
「俺が買ったんだから、後はテメーの仕事だろうが!」
銀時にしてみればそれは案の定、予想どおりの回答であった。
だからこそ安易に扱われたことに対して余計に腹が立ち、土方に掴みかかる。
よほど日中、暇をしていると思われているのだろう。
銀四郎から目が離せない上に、毎日大量に出る洗濯物を洗っては干し、埃が舞ってはいけないと掃除も欠かさない。
こんな気の抜けない日常を送るくらいなら、土方のように仕事をした方がよっぽど楽だと思う。
そんな銀時の気も知らず、土方は銀時が日中ゴロゴロして過ごしていると思っていた。
その事に、銀時は腹が立って仕方がないのだ。
土方も当然、引くつもりは無い。
銀時に掴みかかり、ついに取っ組み合いの喧嘩が始まった。
この二人にとっては殴りあうような喧嘩も珍しくはない。
同居が始まってからは、それでも一応お互いに気を使って大きな喧嘩はしていなかった。
久々にストレス解消だとばかりに銀時が仕掛け、土方も応戦する。
罵倒し合いながら殴り合い、ドタンバタンと大きな音を立てていると、
部屋の奥で眠っていた銀四郎が目を覚まし、異様な雰囲気を感じ取って泣き始めた。
泣き声に気付きながらも暫くの間は無視して喧嘩をしていた二人であったが、
次第に大きくなる泣き声を無視できなくなり、胸ぐらをつかみ合っていた手を離し、やむを得ず喧嘩を止めた。
スッキリはしなかったが、銀四郎が泣くのなら喧嘩など二の次だ、そう二人は思う。
自然と二人の心が歩調を合わせ始めていた。
物事の優先順位が同じであることは、大切なことである。
その夜から、土方が銀四郎の枕もとで、絵本の読み聞かせを始めた。
しかし問題があった。
絵本を読んでいるうちに、土方自身がその物語に感動してグスグスと泣き始めることだ。
土方は物語に感情移入しやすく、すぐに感動してしまう。
毎回、土方の嗚咽とともに絵本の読み聞かせが終わってしまい、銀四郎は物語の結末を知らないままだ。
絵本を一番堪能したのは、土方かもしれなかった。
不器用ながらも形になってきた土方家の3人。
しかしまだ完全な家族となることは出来ず、いつ壊れてしまってもおかしくない不安定さである。
何度も小さな言い争いや喧嘩を続けていたが、ついに家庭崩壊となるかという大きな喧嘩が勃発した。
ある日、土方が銀四郎への土産に、新生児用の果汁のジュースを買ってきた。
そろそろ離乳食を始めるべき時期ではあるが、しかしまだ固形物は食べられない。
毎日毎日、同じミルクだけでは飽きるだろうと思い、おやつの代わりにジュースを選んだ。
そんな事は子供にしたら余計なお世話かもしれないが、親というのは余計な世話を焼きたいものだ。
どんなきっかけでもいいから、我が子の喜ぶ顔が見たい。
子供が喜ぶと、自分も嬉しいのだ。
「銀四郎もたまには美味いモン食いたいだろう?」
「や、そーかもしれねーけど・・・俺には?
俺には何かないの、美味いモン」
毎日のように銀四郎にしか土産を買ってこない土方に、銀時は冷たい視線を向ける。
「お前は自分で好きなもの買えるだろう?
金はやってるんだから、美味いモンでも甘いモンでも食えばいい」
銀時の発言の真意が分からず、平然とそのように言い放つ。
その態度が、銀時には気に入らなかった。
「たまには俺にだって、お土産とか用意してくれてもいいだろーが!
特別なモンでなくても、例えばコンビニで売ってるプリンなら帰り道に買えるだろ!?」
「そんもんこそ、テメーでいつだって買えるだろうが。
なんだって俺がわざわざンな事しなきゃならねーんだ!」
「だから違うって。モノが欲しいわけじゃなくてさァ。
俺にも『いつもごくろーさん』的な思いやりとか、お前ナイわけ!?」
「そもそも俺が働いて生活を支える代わりに、お前は家の仕事してんだろ。フェアじゃねえか!
お前こそ俺に対して『いつもごくろーさん』的な思いやり足りなくねェか!?」
「いや、お前の方が足りねェ!!」
「お前だろうが!!」
「んだとコラァァ!!」
「ざけんなテメェ!!」
ごろごろと坂道を転がり落ちるような勢いで、二人の喧嘩が始まり加速していく。
もはや喧嘩の原因もわからなくなっていた。
相手を罵倒し合い、取っ組みあって殴る蹴る、そして投げる。
いつかのように、奥の部屋で銀四郎がぴいぴいと泣き始めたが、今回はそれでも互いの怒りが治まらなかった。
散々終わりの見えない喧嘩を続け、怒り疲れた頃に息を切らせて二人が睨みあう。
「銀四郎にはいろいろ買ってくるくせに・・・ッ!」
「当たり前だ、子供の為に金を使って何が悪ィんだ!」
そして二人が同じタイミングで叫ぶ。
「こんなんじゃ一緒に暮らす意味ねえだろ!」
「上等だ!出て行け!」
「うるせェ!テメーが出て行け!」
「何でだ!テメーが出て行け!」
暫く口喧嘩を続けたが、次第に二人とも声も枯れ、ぐったりと疲れてしまった。
「そんなにガキの面倒見たいんなら、全部テメーがやればいいだろう・・・!
俺なんか要らねェんだ・・・!!」
銀時は遠い目をしてそう呟いた。
そして土方を睨みつけてから、ゆっくりと背を向ける。
「もーいい、俺が出て行く!」
そのまま身支度も何もせずに玄関へ向い、銀時は本当に出て行ってしまった。
土方は玄関へと消えていく背中に向かって「勝手にしろ」と呟いた。
途端に静まり返った家の中、その奥で、銀四郎だけは変わらず火が点いたように激しく泣いていた。