銀時が出て行ってしまった嵐のような一夜が、明けた。






翌朝、太陽が昇ってきて部屋中が明るくなったころ、土方はひとりで銀四郎を目の前にして、途方に暮れていた。




銀四郎が一晩中、大泣きして止まなかった。
土方なりに手を尽くしたものの全く解決せず、そのことで呆然としているのであった。




このまま泣き続ければ次第に喉が枯れ、肺が痛み、脳の血管が切れて、最後には死んでしまうのではないかと、
そのような根拠のない漠然とした不安にかられるほどに、激しい夜泣きであった。

小さな身体で渾身の力を込め、顔を真っ赤にしてギャアギャアと泣き叫んだ。
最後には涙など枯れていて、ただひたすらに叫ぶだけだった。


これほどまでに激しく泣く銀四郎を、土方はみたことがなかった。
とにかく泣き止めさせなければいけない。


土方はその義務感から、必死になって様々な手を尽くしたが、銀四郎は泣き続けた。
自分の働きかけが無駄でしかない状態に土方は焦り、密かに自信を喪失していた。



もう、どうしたらいいのか、分からない。



赤ん坊の高く騒々しい泣き声は、次第に冷静な判断力を奪っていく。
土方はいたたまれないほどに激しい焦燥感にかられた。


「何故泣くんだ?」と、返事がないのを承知で、それでも何度もそう問い掛けてしまう。


子も親もお互いに気持ちが通じ合わず、追い詰められ緊迫した苦しい時間を過ごした。




明け方にようやく泣き疲れて眠ったが、暫くすると起きて再び大声で泣き始める。


(・・・銀時が居なくなったことを知っているのだろうか。)

土方はそう思うと、銀四郎に申し訳ない事態になったと、心苦しく思った。
けれど今はまだ、銀時に「帰ってこい」と言う余裕がない。

(アイツに頭を下げるくらいなら、一生ひとりで銀四郎を育ててみせる・・・!)


土方は意地でも銀時に謝る気はなかった。
銀時が勝手に出て行ったのだ。自分は、悪くない。



何度あやしても泣き止まない銀四郎に手を焼き、土方は部屋の中をうろうろと歩き回った。

お気に入りの鞠を与えてみたが見向きもしない。
手のひらを返したような冷たい銀四郎の反応に、土方はまたショックを受けた。


そして土方は、ある事に気付いた。


(もしや・・・腹が減ってるのか?)


赤ん坊というものが、一日に何回、どんなタイミングで食事を取るのかなど、土方には見当もつかなかった。
しかし思い返せば、銀時はこまめにミルクを何度も与えていた。
もしかしたら、一日3食なんてものではないのかもしれない。


キッチンにあった空の哺乳瓶を、試しに銀四郎の口元に差し出してみる。
すると小さな口でしっかりと咥えて、必死に吸い始めた。

哺乳瓶の中身は空なので、吸っても吸っても銀四郎の期待するミルクは出てこない。
けれど銀四郎は、いつまでも吸い続けた。


(やっぱり・・・相当ハラペコだな、こりゃ)


土方はキッチンに立って、粉ミルクを探した。
どこに仕舞ってあるのかさえ、分からない。

ありとあらゆる棚や引き出しをひっくり返してみても見つからなかった。
キッチンに無いならリビングかと、部屋中を移動して探し回った。


(あの野郎・・・どこに隠しやがった!?)


くたくたになっても見つからず、土方が最後に訪れた銀四郎の寝ている部屋に、見慣れぬ紙袋があるのを見つけた。
まさか、と思いその袋をあらためる。

その袋には、粉ミルクと紙オムツと、おしり拭き用のウエットティッシュが入っていた。
ストックなのだろう。全てがまだ新品だった。

とりあえず目的の粉ミルクを見つけた。
それで銀四郎の食事を作るべく部屋を出ようと土方は立ち上がった。


すると動く人の気配を察知し、眠っていたはずの銀四郎が再び激しく泣きはじめた。


(あぁクソ・・・やっと眠ったってのに・・・!)


起こしてしまった事を後悔しながら、やむを得ず土方は銀四郎をあやす。
どうせあやしたところで、泣き止まないのは分かっていた。

しかし泣いている赤ん坊を放っておくこともできない。
せっかく粉ミルクを見つけたのだから、もう少し待ってくれれば良かったのに、と口の中で呟く。
思い通りにいかないジレンマに、土方が苛々とする。


その時、先ほど紙袋の中で視界に入った紙オムツが、ふと脳裏をよぎった。


(そういやぁ、オムツはいつ取り替えるもんなんだ・・・?)


試しに銀四郎を抱き上げてその紙オムツを外から触れてみる。
冷たくそしてずっしりと重みがあった。


(オムツってのはこんなに重いもんだったか・・・いや、これはもしや・・・)


銀四郎を横に寝かせて、腰に巻いた紙オムツを強引にはぎとる。
脱がし方が分からないので腰のあたりから適当にビリビリと破いた。

オムツの中は悲惨な状況になっており、それは土方の想像をはるかに超越していた。
銀四郎は不快さを主張するように、声高に泣き叫び続けていた。


「う・・・悪ィ、銀四郎よ・・・。
 こりゃあさぞ、気持ち悪かったろうなぁ」


土方は慣れない手つきで銀四郎のお尻をテッシュで拭き、紙オムツを替えた。
付け方が悪かったのか新しいオムツはごわごわとしてフィットしていないようだった。

銀四郎は気持ち悪そうにもぞもぞと動いた。

しかしお尻がサッパリしたので機嫌も直ったらしく、ようやく泣き止んだ。
散々泣いていた主な原因は、オムツの不快さにあったらしい。


そんな簡単なことだったのかと、力が抜けるような思いがした。
しかしとにかく泣き止んだ事に土方は安堵し、気分が良くなった。


(まず、オムツは交換した。
 次はいよいよ、ミルク作りだな)


失いかけていた自信を取り戻し、意気揚揚と部屋を出る。

しかし当然の事ながら、作り方などさっぱり分からない。


(とりあえず粉ミルクをお湯で溶かせばいいんだろう)


土方はそうアタリをつけて、粉ミルクの缶を持ってキッチンへ立った。

この家に引っ越してから、何かをするためにキッチンに立ったのは初めてであった。
家事は全て銀時に任せていたし、銀時がいない時は外食していた。

そしていざキッチンに立つと、その勝手が分からず、土方はうろたえた。
まず、お湯の沸かし方が分からない。
やかんが見当たらないからだ。


銀時はお湯を沸かすのに、やかんではなく小さな電気ポットを使っていたのだ。
そんな事も土方には分からない。まず、我が家にポットがあることすら知らなかった。

鍋を見つけたので、それでお湯を沸かそうとしたが、さすがにそれでは不便さを感じた。
その他の手段でお湯を沸かせないものかと考えたが、全く思いつかない。


(クソッ・・・あの野郎・・・何だこれは、嫌がらせか!?)


狭いキッチンで土方はひとり、再び途方に暮れていた。





時計を見ると、いつもならば真選組へ出勤している時間になっていた。


仕事を休むわけにはいかない。


かと言って、銀四郎を置いていく事もできない。
誰かに預けようにも、赤ん坊を預けられるアテなどなかった。


お湯を沸かすのも、屯所の方が多少は勝手が分かるので、銀四郎を連れて屯所に行き、そこでミルクを与えようと考えた。



そう決めてしまえば、善は急げだ。


はやくこの場から出てしまいたい。


土方は急いで身支度を始めた。


自分の家であるはずなのに、全く勝手が分からず、居心地が悪くて仕方がないのだ。



この家はもはや、銀時のテリトリーになっていた。


銀時がいなくては、まるで他人の家のようで気持ちが悪い。


重要なパーツがひとつ欠けていて使い物にならない。今の我が家に、土方はそのようなイメージを持った。






制服に着替え、財布と携帯そしてマヨネーズを持つ。
それがいつもの土方の出勤時のスタイルだ。


しかし今日は特別に右手に紙袋を持ち、左手に赤ん坊を抱いている。
紙袋には哺乳瓶と粉ミルク、紙オムツ、そして玩具が入っている。


その様子は、カッチリとした真選組の隊服とは不釣合いで、どこか滑稽であった。


あまりの重さに、出勤する前からぐったりと疲れていた。
夜も殆ど眠っていない。
徹夜には慣れているのでそれだけではこれほどまでに疲れない。

疲労困憊しているのは、銀四郎の夜泣きのせいだった。
どうして泣くのか、どうしたら泣き止むのか、見当もつかないことを一晩中悩まされた。

もしまた明日の夜もこのような状態だったら・・・毎晩こんな事が起こるとしたら・・・
一瞬だがそんな事を想像した土方は、全身に鳥肌が立った。
これ以上銀四郎の甲高い泣き声を聞き続けたら、気が狂ってしまうかもしれない・・・そんな気持ちさえしてしまうほどに恐ろしかった。
土方は子育てに、そして今の生活に自信を失いかけている。


その失いかけている自信を、土方は仕事で回復しようとしていた。
真選組に、命をかけている自分の職場にいけば、きっといつもの自分になれるだろう。
仕事は忙しく手の掛かる難問ばかりだが、自分はそれをこなしていける。
真選組にいるときの姿、立ち振る舞いが本来の自分なのだ。

自分のペースに戻ることが出来れば、きっと銀四郎との家庭生活も上手くいくだろう。
土方は根拠もなく、仕事にすがるような気持ちでいた。




出勤のために土方に抱き抱えられた銀四郎は、ミルクを貰い損ねており、空腹のままだった。
しかし普段と違う状況に緊張、もしくは興奮しているようであった。


大きな瞳をまんまるにして、きょろきょろとあたりを見回している。
これから何が起こるのか、興味津々といった具合だ。


土方と二人きりで出かけるのは初めてだ。

銀四郎はそわそわとして、落ち着かなかった。

何度も土方の顔を覗き込むように見上げた。




「それじゃ・・・行くか、銀四郎」




土方は目の下に大きなクマを作りあきらかに疲弊しきった表情であったが、

銀四郎にだけは優しい視線を向けて、微笑んだ。




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