土方くんに付き添ってもらい何度か通院しているうちに、僕の怪我はかなり良くなっていた。
腫れあがった足首の捻挫はほぼ完治しており、走ったり跳んだりすると痛むが、歩く事は出来る。
1人で歩けさえすれば行動範囲が広がる。
もうこれ以上は土方くんに迷惑をかけずに済む・・・明るい診察結果に僕はほっと胸を撫で下ろした。
問題は右腕の骨折だが、安静にしていたので予定よりも早くギプスを外すことが出来た。
折れた骨は治っているようだ。
動かさなければ痛みはないが、夕方や雨の日など、気候や天候によって酷く痛む時がある。
腕を支えている包帯を解いて、少しずつ動かすリハビリを始めた。
ずっと固定したままの関節は固まっていて、動かすどころか力を入れるだけで激痛が走る。
右の肘をゆっくりと伸ばしたり曲げたりしながら柔らかくしていくのだが、想像以上の痛みが伴い、リハビリは辛かった。
わずか1センチ肘を伸ばす為に油汗をかき眩暈がするような痛みと戦う。
しかしこの小さな積み重ねがなければ完治はしない。
土方くんの為にも早く腕を治したい僕は、涙目になりながらも必死にリハビリ運動をこなした。
「銀時、頑張っているのは立派だけどよ、無理は良くねえぞ?」
土方くんは心配そうな顔で僕を見ている。
リハビリ後には温めた手で僕の右腕をさすり、筋肉を解すマッサージをしてくれる。
それまで軋むようだった腕は、彼が触れるだけで不思議と痛みが引いていく。
口数の少ない、ぶっきらぼうな土方くん。一見、無愛想で怒っているように見える。
しかし傷ついた僕の腕を丁寧に優しく、痛みを散らすように撫でてくれる彼の姿に、胸が熱くなる。
僕の赤い瞳に浮かんだ苦痛の涙は、いつしか土方くんへの感謝の涙へと色を変化させた。
「・・・ありがとう、土方くん」
僕には彼にお礼を言うくらいしか出来ることがない。
はやく記憶を取り戻して、本当の僕になって、僕の出来る全てのことで彼にお礼をしたいと思う。
過去の僕、本当の坂田銀時は一体どんな人間なのだろう?
今の自分には想像すらも出来ない。
例えどのような性格の、どのような立場の人間だったとしても、土方くんへの感謝の気持ちは変わらないだろう。
(坂田銀時・・・キミは僕の中の、一体どこにいるんだ?)
坂田銀時という捜し人は見つからないけれど、僕はそれ以上に大切な人を見つけたのかも知れない。
その大切な人、土方くんの手に自分の手を重ねて、そっと握る。
「銀時、どうした?」
右腕を丁寧にマッサージしてくれていた土方くんは、突然その手を取られて顔を上げる。
僕と彼の視線が重なり、互いにじっと見詰め合う。
絡み合う二人の視線が熱を持つ。
目を逸らしたくても、もう逸らす事が出来ない。
彼の深く青い瞳の奥へ、僕自身が吸い込まれていくような錯覚を起こす。
熱く愛しい気持ちで、目を細める。
「土方くん、どうして君はここまで僕に・・・良くしてくれるの?」
少しの間黙っていた土方くんは、ゆっくり息を吸い、戸惑いに揺れる僕の瞳を覗き込む。
「・・・お前が、好きだからだ」
いつでも真っ直ぐで嘘のない土方くんは、今も真剣な眼差しで僕を見つめている。
彼の言葉は正直だ。疑う余地もない。それは彼の優しい想いの詰まった温かな視線が、全てを物語る。
好きだ、と言われても僕は驚かなかった。
ただそれが、とても自然なことに感じられた。
「僕も土方くんが、好きだよ」
何時の間にか好きになっていた。
好き、なんて軽い言葉では、間違っている気さえする。
愛している・・・いや、もっともっと、大切な存在。
僕が知っている『他人』は土方くんだけだから。僕の中には彼しかいない。
彼が居なくては僕の存在も無くなってしまう。
(つまり、土方くんは、僕の全て・・・)
自分の事も知らない僕が、他人を好きになるなんて滑稽だ。
僕が好きだと告白を返しても、土方くんは驚かない。
きっと言葉にする以前から、僕と彼の間で気持ちは通じ合っていたんだろう。
甘える僕と甘えさせる彼。
僕たちはお互いの存在をまるで壊れ物を扱うかのように、大切にしている。
愛しい土方くんの手を握ると、その手を強く握り返された。
そのまま肩を抱かれて、土方くんが静かに僕の顔を覗き込む。
あまりの至近距離に顔が熱く火照り、身体が乾いてしまう。
僕は静かに瞳を閉じる。
やがて僕の唇に、温かくて柔らかな感触が伝わる。
そっと重ねるだけの、優しいキス。
過去のことを何ひとつ覚えていない僕にとっては、これがファーストキスのようなものだ。
優しいファーストキスは心地良く、幸せなこの時間が永遠に続けばいいと思った。
失った記憶よりも、今は彼が欲しい。
*** ***
僕の全ては、土方くんのものだ。君に僕をあげよう。
君の為にしてあげられる事は、何も無い。だから僕を好きなようにしてほしい。
それが今の僕に出来る、精一杯の愛情表現。
・・・どうか僕を、君のものにして。
僕は土方くんに愛される資格も、そして自信もない。
だって僕は誰なのか、そんな基本的なことすら知らないのだから。
僕は誰なの?
君に捧げたいこの僕は、一体何者?
本当の僕も、君に愛してもらえるの?
どんなに悩んでも、答えなんか誰にも分かりはしないのに。
「ねえ、土方くんは僕のどこが好きなの?
だって今の僕は記憶の無い仮の僕で、本当の僕はどんな性格をしているのかも、分からないんだよ」
「さあな・・・俺はだた、今目の前にいるお前の事が愛しい・・・それだけだ」
包み込むような土方くんの熱く優しい言葉が、僕を救う。
僕は彼のその気持ちを信じたくて、必死にすがりつく。
「もし記憶が戻って、本当の僕が土方くんに受け入れて貰えなかったら・・・それが何よりも恐いんだ。
君に嫌われてしまうのなら、記憶なんか戻らなくていい、今のままでいたい」
「そんな事でグズグズ悩むな。記憶なんかどうでも・・・いいんだ」
土方くんは不安に震える僕を抱きしめてくれる。
いつでも迷いのない答えで僕の心を鎮める。僕は素直に彼の背中に左腕を回し、軽く爪を立て甘える。
ベッドに押し倒された僕の身体の上に、彼の重みを感じる。
何度も何度もキスをしているうちに、記憶の事もこれから先の事も、様々な悩み事を忘れてしまう。
僕は土方くんの腕に抱かれて蕩けてしまいそうな幸福感を味わう。
記憶を失って代わりに得たもの・・・・・・それは彼だ。
いつか記憶を取り戻した時、本当の僕が彼とは一緒にいられない立場だったら?
それを想像すると、恐くなった。その時にはきっと僕も、僕の世界も、全てがガラガラと音を立てて崩壊する。
自分の記憶が無い恐怖よりも、今は彼を失ってしまう事の恐怖の方がはるかに上回る。
もし僕に他の伴侶がいたら?もし僕が犯罪者だったら?僕の所為で彼の迷惑になってしまったら・・・。
想像しうる最悪の状況が、僕の脳裏で次々に更新されていく。
・・・そして最悪の状況の末に、土方くんは僕を捨てて逃げてしまうだろうか。
当たり前だ。土方くんは何も悪くない。
捨てられても、逃げられても、貶されても、僕にはそれを受け入れる以外の選択肢は無い。
そして涙が涸れるまで泣くだろう。彼のいない人生など要らないと思うだろう。
僕の未来には、暗い絶望しか見えない。
記憶のない不安と戦っていた今までとは違い、より具体的な不安に僕は苛まれている。
得た者だけが、今度は失う恐さを知る。
今の僕は彼を得た、そして彼を失うことへの不安は際限が無い。
「土方くん・・・もっと、して?」
恐ろしくなった僕は彼にしがみつき、キスをねだる。
僕の震える身体を強く抱きしめて、土方くんはたくさんのキスをしてくれる。
嫌な事を全て忘れてしまいたくて、僕は熱い唇の感触に夢中になる。
「銀時、記憶の戻った後が不安なのは俺も同じだ。お前が過去を思い出したら、俺はもう用済みだろう?」
「用済みなんて、そんなわけないよ!」
「分かるもんか・・・お前は俺を置いて、本当の家に帰ってしまうだろう。二度と会う事も無くなるんだ」
「ああ、土方くんも僕と同じように、そんな悲しい事ばかり考えていたんだね・・・」
記憶なんか戻らなければいい。
このまま時間が止まってしまえばいい。
狭い部屋の中に二人きりで、僕たちはきっと同じ思いで抱き合っている。
「僕の命は君に助けられた。本当は事故で死んでいたかもしれない。だからこの新しい人生は君に捧げるよ」
記憶が戻ってこの先どうなっても、例え運命に引き裂かれようとも、
僕は絶対に土方くんの側に居たいと、願う。
「なあ、銀時・・・どこにも行かないでくれ」
今まで僕を束縛するような事は何ひとつ言わなかった、言ってくれなかった、優しい土方くん。
僕を抱きしめて、初めて僕の事を強く求めてくれた。
どこにも行くなと言ってくれた。
この世の中で僕を求めてくれるのは彼だけだ。
彼の望みどおりにしよう。僕はどこにも行かない。それが僕の恩返しだ。
答える代わりに自ら彼の唇を奪いにいく。
もう何度目のキスだろう。
彼の味を、この身体が覚えてしまった。
何よりも熱く甘い彼の味に僕は切なくなる。同時に激しく興奮する。
そして執拗なほどに彼を求め味わう。いつまでも、中毒のように。
自由に動く左腕で彼の背中に爪を立て、深い呼吸を繰り返し、彼の熱を奥深くに受け止めた。
「ひじか・・・た、く・・・!」
泣き出しそうな僕の声が、静かな部屋に響く。
僕には彼を全身で愛することしか、出来ない。
*** ***
初めて身体を重ねてから、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
あっという間にも感じるけれど、まるで何ヶ月も過ぎた気もする。
何しろこの部屋は日当たりが悪くて昼間でも薄暗く、いつでも静まり返っている。
カレンダーもなく、テレビもパソコンも無い。
ここは外部と切断された小さな異空間のようだ。
今がいつなのか、全く分からない。
僕には一瞬と永遠の区別すら、つかない。
あれからの僕たちは昼も夜も関係なく、常に二人で寄り添い、夢中で愛し合っていた。
手を伸ばせば、そこに彼が居る。僅かな時間ですら離れ難い。
快楽を覚えてしまった僕の身体は、彼と視線が絡むだけでも感じてしまう。
その後は湧き上がる欲望に流されて、本能のままにただ気持ち良くなることばかりしている。
僕の中で彼を感じるその瞬間だけ、自分が生きている事を実感する事が出来た。
誰からも必要とされない僕が、彼にだけは求められている。それは生きる喜び。
他人にも世間にも邪魔されず、二人きりの空間に篭って、お互いの事ばかり見ていた。
結局僕は今だに、自分が何者なのか知る由もない。
自分ですら誰なのか分からないこの僕を、土方くんは心の底から愛してくれている。
土方くんは一体、誰を愛しているのだろう?
(・・・この僕は、誰なんだろう)
正体不明の愛情、こんな不毛な愛が他にあるだろうか。
周期的に湧き上がる不安から逃れたくて、土方くんにすがり、慰めてもらう。
何も考えなくてもいいように、何も考えなくて済む行為だけを繰り返す。
卑怯なことをしている自覚は、ある。
背徳感を覚えるその行為が絶頂を迎えると、後は疲れて眠るだけだ。
問題から目を背けて逃げているせいで不安を覚え、その不安は消える事なく無限に膨らむばかりだ。
もう逃げ道がない。
終わりのない悪循環にはまっている。
僕は、僕達は、いけない事をしているのだろうか。
(誰か助けて・・・)
僕は口に出さずに、そう呟いた。
部屋の中は二人の熱気で汗が滴る程に暑くなっている。
それでも僕は、眠る前に今でも土方くんの作るホットミルクを飲む。
あの優しい味のホットミルクがないと、また眠れなくなってしまうだろう。
まるで土方くんのものを飲んでいるかのように、彼の味しかしない。
甘くて熱い、土方くんの味のするホットミルク。
土方くん。
切なくなった僕は、彼の名前を心の中で呼んだ。
たとえ瞳を閉じても、僕の中にはいつでも土方くんが見える。
そして瞳を開けても、僕の前にはいつでも土方くんしか見えない。
僕はもう、諦めるように全てを投げ出して、彼に依存している。
このままじゃいけない、そう思いながら、何もしたくない。
土方くんさえ側にいてくれるのなら、今のままでいい。どんな変化も望まない。
心身共に疲れきった僕のために、土方くんは今も狭いキッチンに立つ。
いつものミルクを温めてくれている。甘い香りが部屋を満たす。
そしてこれから、堕ちるように深く眠るだろう。
気だるく濁った空ろな瞳で、暗い天井を見上げる。
僕は呼吸すらもままならない程に、土方くんに溺れている。