「お前の名前は坂田銀時だ。この銀魂大学4年生、ただし進級してから学校に来ていない」
桂さんが呆れ顔のまま、わざとらしいほどに丁寧な口調で説明してくれた。
僕を馬鹿にしたような態度なのは、まだ記憶が無いことを信じていないからだろう。
責めるような桂さんの口調に困った僕は、小さく苦笑いを返した。
桂さんの冷ややかな視線が痛かったけれど、ついに自分の正体が分かったことは、何よりも嬉しい。
世界が一気に明るく開けたようだった。
「そ、それで・・・僕は一体、どんな人間だったんでしょうか?」
聞きたいことがあり過ぎて我慢出来ず、テーブルに身を乗り出して桂さんの顔を覗き込む。
「どんな人間かといえば、我侭でマイペースでお調子者だな。あ・そうだ、お前は俺の下僕だった」
「我侭でお調子者で、桂さんの下僕・・・はあ・・・そうですか・・・」
桂さんがフンと鼻を鳴らして僕を見下す。あまりの酷評に力が抜けてしまう。
仲が良いから言える冗談・・・だったらいいと願いつつ、僕は内心がっかりと肩を落とした。
僕という人物は、あまり良くない部類の人種だったのだろうか。
これ以上本当の自分を知るのが、恐くなってしまった。
桂さんの話やこの学校の風景を見ながら、過去の記憶と重なる部分がないか、頭の中を探っていた。
しかし過去の記憶は呼び起こされずにいた。
それどころか、この大学に通っていた事すらいまだに信じられない。
「そうだ、万事屋とかいう小さなサークルを仕切っていたな」
「サークル・・・万事屋?」
気になる単語を耳にして、思わず顔を上げる。
そしてその桂さんの言葉を何度も複唱して、過去の自分を必死に想像する。
次第におぼろげな想像が具体的になってくる。
いくら具体的に思い描いたところで、所詮は想像に過ぎない。
しかしその想像をきっかけに本物の記憶が蘇らないものかと、無意識のうちに期待していた。
「学生や教授の雑用を請け負っては小遣いを荒稼ぎしていたようだな。かなり熱心だったぞ」
そう言いながら桂さんはきょろきょろと首を振り、あたりの様子を伺い始めた。
「どうしたんですか?」
「万事屋の奴らはいつもこの学食でたむろしているからな。そろそろ来てもおかしくない」
桂さんが広い学食を見回している間、僕の頭の中におぼろげなイメージが浮かび上がってくる。
人の形・・・。この場所にいる。長身の男性、白い肌、赤い瞳、銀髪の天然パーマ・・・一体誰だろう。
見覚えがある、この顔は・・・
・・・どうやらそれは過去の、僕の姿のようだ。
桂さんに教えてもらった情報を何度も思い描くうちに、だんだんと僕という人間が見えてくる。
所詮想像でしかないはずのその姿は、時間が経つにつれ、過去の記憶らしい映像と差し代わっていく。
本当の、過去の僕の姿が見える。
じわりじわり、滲むように見えてくる情景。
何の情景だろう、これが過去にあった出来事だろうか。
僕と、小柄な少年と少女のシルエットが見える。
この二人は、誰だろう・・・?
場所はここ、食堂に見える・・・3人で、何かを話している・・・
僕は目を瞑って、よく見えない思い出を脳の奥から引き出す。
もしや、この3人が・・・・・・
「万事屋・・・思い出した・・・確かに、僕はその活動をしていた・・・!」
大雑把な過去の記憶の風景が、ゆるやかで小さな波のように寄せては消えていく。
全く見えなかったその映像を必死に思い出す。
今までの僕の中には無かった、新しい景色がおぼろげに見えてくる。
これは確かに、過去の記憶だ。
「僕は・・・この場所で・・・」
すぐに壊れて消えてしまいそうな、危うげな過去の記憶の泡が生まれる。
次第にその泡は水になり海となり、波を起こす。
小さなさざ波は大波に膨れ上がり、荒々しい勢いで迫り来る。
頭の中には溢れ出る記憶で埋め尽くされていく。
様々な風景が見える。
僕の瞼の裏に映し出される記憶は、間違いなく過去の僕のものだ。
喜怒哀楽の感情と思い出が同時に、僕の脳の中を走馬灯のように流れていく。
次々に思い出される記憶は時系列の順番に整理できずにいた。
子供のころから今のことまでの出来事が、ごちゃまぜになっている。
新しいものを知ったようでもあり、懐かしいものを見たような気持ちでもあった。
僕の記憶が混乱している間も、桂さんが万事屋のメンバーを探してくれていた。
そして誰かを見つけたらしく、「おい!リーダーこっちだ!」と、手を振ってその人を呼ぶ。
リーダーって、一体誰のことだろうか。そこまでは思い出せない。
「銀さん!!」
背後から少し高めの男の声がする。僕を見つけて嬉しそうだ。
僕はこの声の主を知っている。
振り返る前に名前を必死に思い出そうと、記憶の中を探る。
「えー・・・と、新・・・八・・・?」
僕がそう呟くと、桂さんが驚いて僕の方を見た。
「何だ、やっぱり覚えているではないか」
「・・・いや、覚えているんじゃなくて、今思い出したの!」
目の前にいる初対面の『桂さん』が、旧知の仲の『ヅラ』であることに、今やっと気付いた。
*** ***
「銀さん、お久しぶりです!一体どこ行ってたんですか!」
新八が嬉しそうに笑って俺の元へと駆け寄ってくる。
その後ろにはオレンジ色の髪をした少女もいた。
「銀ちゃーーーん!今まで何してたアル!!サボりすぎヨ!!」
少女は中国からの留学生で名前を神楽という。
二人とも今年で2年生になる万事屋サークルのメンバーだ。
俺に懐いている二人に左右から飛びつかれて、俺は困惑して苦笑い浮かべる。
「ちょっ待てお前ら!特に神楽、右腕はまだ・・・痛ててて!」
「お前本当に記憶喪失だったのか?いつもどおりではないか」
ヅラが呆れ顔で俺たちを見る。それを聞いた新八と神楽が驚いて俺の顔を覗き込んでくる。
「銀さん、記憶喪失だったんですか?」
「まさかー、銀ちゃんがー?」
「そうだ、今の今まで、全部忘れてたんだよ!ぜーんぶ!」
新八や神楽、そしてヅラとの会話が懐かしい。
そして「懐かしい」と思えることが、嬉しくて仕方がなかった。
これが本来の俺だったんだと、やっとそう思うことが出来た。
こうして記憶が戻ってきたとは言え、現状にまだ違和感が残っている。
大きな問題ではないだろうが、言動のひとつひとつに自信が持てない。
昔の俺は本当にこんな受け答えをしていただろうか。目の前のこいつらは、こんな顔をしていたか。
俺はまだ、どこかおかしいんじゃないだろうか。
こんな不安を抱えている内は、まだ完全に復活したとは言い難い。
記憶の奥は薄い膜でも張ってあるかのように、ぼんやりとおぼろけだ。
「まだ全部思い出したわけじゃねえんだ。だから俺の事を教えてくれ・・・例えば万事屋で何してたのか、とか」
俺がしおらしい態度でそう言うと、新八と神楽は顔を見合わせた。
先程のヅラと同じく二人とも怪訝そうな暗い表情を見せる。
しかし俺の言葉を信じてくれたらしく「分かりました」と新八が真面目な顔で頷く。
*** ***
「銀さんは外でアルバイトする代わりに大学内で雑用を請け負って小遣い稼ぎしていたんですよ。それが万事屋」
「私あんまりお小遣いもらってないアル。酢コンブの現物支給ばっかりアル」
神楽が食堂のテーブルに酢コンブを出して食べている。どうやら、酢コンブが大好きらしい。
確かに酢コンブには見覚えがあり、それを食べる神楽の姿を懐かしく感じて、思わず笑ってしまう。
(そうだ、神楽は酢コンブが好きだった・・・安い酢コンブを大量に仕入れて、ちまちま配給してたっけ)
「依頼の種類は様々でした。一番稼げるのは試験前のノートのコピーや、過去問題の販売ですけどね。
他にも合コンのセッティング、探し物、引越しの手伝い、講義の代返とか・・・運動部の試合要員とかもしましたね」
新八と神楽が万事屋の活動を指折り思い返していく。
本当に何でも引き受け、それで小遣いを稼いでいたらしい。
俺は二人の話に聞き入って、腕を組んで何度も頷いていた。
選り好みせずにこれだけ活動すれば校内で顔も広くなり、学年や性別関係なくコネも増えていくだろう。
コネさえあれば他の依頼にも応用が効く。
多分この活動を3年も続けていた俺は、楽しくやっていたんだろうと思った。
新八はその他にも思い出せる限りのことを話してくれた。俺はその話を真剣に聞いた。
自分の事とは言え、思い出せるものもあれば、ピンとこないものもある。
記憶を呼び覚ますべくひとつひとつの言葉を噛み砕いて飲み込むように、俺は何度も口の中で複唱した。
大抵の言葉はすんなり受け入れられたが、その中でひとつだけ、やけに気になる言葉があった。
(運動部の・・・試合要員?)
それが何故ひっかかるのか、一体とんな記憶が絡んでいるのかまでは思い出せなかった。
俺が眉根を寄せて話を聞いていると、神楽が心配そうに口を挟む。
「銀ちゃん、恐い顔・・・大丈夫ヨ、あとは時間の問題アル!さっさと学校へ、万事屋へ帰ってくるヨロシ」
「そうですよ。もう殆ど思い出してるじゃないですか!あとは普通に学校生活を送っていればすぐに慣れますって」
俺を慕う可愛い二人が、必死に励ましてくれている。
久しぶりに見たその笑顔に、今まで氷のように固く冷たくなっていた心が、柔らかに溶け始めた気がした。
そうだった・・・俺はこの学校が、万事屋が、そしてこいつらが好きだった。毎日ここで楽しく過ごしていたんだ。
ここは俺にとってかけがえのない場所。
どうしても帰ってきたいと駆り立てられた場所は、この大学だったんだ。
俺はようやく、素直な気持ちで喜ぶことが出来た。
「ああ、そうだな。俺はもう大丈夫だ、心配すんな!」
新八、神楽、ヅラに向かって微笑む。3人とも頷き返して笑う。
この大切な場所を取り戻せて、良かった。俺は嬉しくて胸が熱くなった。
「さあ、僕らはそろそろ講義の時間だよ、行こう、神楽ちゃん」
「はいヨー、銀ちゃん、一緒にお昼食べようネ!」
新八が神楽に声をかけて席を立つ。
ヅラと俺は食堂の椅子に座ったまま、二人に軽く手を振った。
背を向けて歩き出した新八が思い出したように突然足を止め、こちらを振り返る。
何かあったか、と俺は小さく眉を上げて、新八を見つめる。
「そういえば銀さん!土方さんの件はどうなりました?」
その言葉に俺は目を見開いた。全身の動きが止まる。
新八が軽く笑って、首をかしげる。
「ひじ、かた・・・さん?」
あまりに馴染みの深い名前に驚き、緊張して心臓が跳ね上がる。
その名前は、俺の全てを支配する言葉。
激しく左胸を叩く鼓動が大きすぎて、周囲の音が一切聞こえなくなる。
・・・・・・土方さん?
それは、あの『土方くん』のことだろうか。
俺の唯一の存在、俺の全て。
頼って、すがって、依存してきた、愛しいあの人の名前と同じ。
何よりも誰よりも愛している、あの土方くんのことを指しているのだろうか?
俺が動揺して声も出なくなっている様子を不思議そうに見た新八は、仕方なく愛想笑いをした。
「あっ、まだ思い出せませんか・・・土方さんのこと。それどころじゃないですよね、あはは」
新八は「大した話じゃないですよ」と、驚愕した顔の俺に気を遣って笑いながら誤魔化した。
そのまま神楽と共に講義を受けに、食堂から消えていく。
新八の言う「土方さんの件」の内容は思い出せない。
それ以前に土方さんという名前自体に、俺は混乱していた。
俺は衝撃のあまり、ただ呆然と食堂の天井を見つめた。
(知り合い・・・だったのか・・・!)
与えられた情報の持つ破壊力に打ちのめされた俺は、泳ぐ瞳で辺りを見つめることしか出来ない。
一切の思考が停止してしまい、脱力したまま椅子に座り、呼吸をすることだけで精一杯だった。
記憶の中から彼の姿を探すことすら適わない。
土方くん、どうして・・・土方くん・・・土方くん・・・?
心の中で彼の名前を叫ぶ。俺は正体不明の恐怖に怯えていた。
一体、どういうことなんだ?
土方くんは俺に、たまたま事故現場に居合わせただけの赤の他人だと、そう言ったじゃないか。
動揺のあまり視界に何も写らなくなる。
俺の周囲だけ、時間の流れが止まった 気がした。