俺が大学で「万事屋」を立ち上げたのは1年生の時。

-------- 単なる思いつきだった。





人助けをしたいわけでも、金もうけをしたいわけでもない。
ただ性に合っていると思ったからだ。


求められれば手伝ってやるよ。
恩に着せるつもりも、着るつもりもない。
商売として対価はきちんと貰う、だから俺と客は対等だ。

俺は相手が誰でもしっかりと自分を持っている奴が好きだ。
性別や年齢、ましてや誰かが決めた身分で区別するなんてバカな事はしたくない。
普通のバイトにしたって、部活にしたって、どうしてもついてくる上下関係なんてものに気を使いたく無かっただけだ。
この大学にだってお偉い教授は一杯いる。けど、それが何だっていうんだ。
だから俺が自分のために、自分のルールで、万事屋っていうサークルを作った。

商売って口実で「万事屋」は上級生か下級生か、生徒か教授かも関係なく平等に活動できる。
俺が俺のために始めたサークルなんだから、誰も文句なんか言わせねえ。
ユルいけどやる時はやる独特の雰囲気、俺らしくてなかなか気に入っていた。


みんな其々、いろんな面倒事を持て余していて、傍で見ている分には面白い。
つまらない雑用もあるが、ハードで困難なトラブルの解決を余儀なくされることもある。
あの手この手でやり切る快感もあるし、依頼を受けるたびに顔見知りも増える。

他人に頼られる事、求められる事が、素直に嬉しかったりもした。
活動を続けるうちにコネが広がり商売は軌道に乗り始め、苦もなく楽しめるようになった。
いつしか俺は万事屋として活動する事に一生懸命になっちまってた。
それに、学校内では名前ではなく「万事屋」と愛称のように呼ばれる事もある。
みんなが気さくに俺を呼んでくれるのが、結構嬉しいと思っていたんだ。
勉強はあんまりしてなかったけど、充実した大学生活を送っていた。


忙しくなったのでメンバーを募集したところ、金丸君という仲間が出来た。1年弱は一緒に過ごしたかな。
しかし奴とは連日の合コン三昧の挙句、後に万事屋メンバーになった女とデキて、二人とも辞めていった。
あの時は正直、すごく寂しい思いをした。
ひとりぼっちで体育座りして、「の」の字を書いたくらい、凹んだ。

しばらく俺1人でやってきたが、人手のいる依頼に対応出来なくなり、新たなメンバーを募集した。
誰だって雑用なんざやりたくないものだ。なかなか集まらない。
結局、依頼を通して知り合った当時は新入生の新八と神楽が、仲間に加わった。
そして俺たちは3人体制で万事屋の活動を続けていた。


大体俺と神楽がボケて新八がツッコむという、息のあったトリオの完成だ。
やけに落ち着いちまって、3人でたむろしてはダラダラと過ごしたが、そんな毎日楽しかった。
こいつらとは友達とか仲間っていうより、兄弟みたいな感じだな。






俺が3年で、新八と神楽は1年生のある夏の日。


これからの俺の運命変えることになる、ある依頼が舞い込んだ。






その日は8月、夏休みの真っ只中だった。


俺たち万事屋は夏休みなど関係なく登校していた・・・勉強、そして仕事に熱心だからだ。
・・・というわけではなく。
学校は冷房があるし学食も安い、ただそれだけの理由で、俺たちは毎日のように大学で暇な日中をやり過ごしていた。




いつものように学食でアイスを食べながらゲームなんかしていたその時、ひとりの男子生徒が俺たちの元へやってきた。



「おい、お前らが何でも請け負うっていう万事屋か」

その男は剣道着を着ていた。
艶やかな短い黒髪に鋭い切れ長の双眸が目立つ、整った顔立ちをした長身の男だった。
怒っているわけでは無さそうだが、目つきが悪いせいで、まるで喧嘩でも売られているように感じられた。

「そーだけど。何おたく剣道部?こんな暑いのによくそんなもん着込めるねえ」

真夏の昼間にカッチリと着込んだ剣道着姿など、見ている方だって暑苦しいものだ。
しかも、なんだか汗臭いような気もする。
実際は匂いが分かるほど距離は近くないにも関わらず、気持ち的に汗が匂いそうな気がする。

目の前の無愛想な男に罪はないのだが、俺はつい不快な表情で睨んでしまう。

「試合なんだが人手が無くて困っている、緊急事態なんだ。頼む、手を貸してくれねェか」

「手を貸すのは構わねえけど、まさか、それを着ろなんて言わないよな・・・?」

俺と新八が目を見合わせて苦笑いする。剣道着の男はそれ以上何も言わなかった。



押し問答の末に俺と新八が無理やり連れて行かれたのは、この大学の体育館。



黒い剣道着を纏った暑苦しい男どもがうようよとしている。
熱気で湯気が立ちこめ、視界が悪くなっているように見えた。


体育館は今まさに、剣道部の練習試合が始まろうとしている時だった。


「選手が突然食中毒で欠席しちまって試合にならねえ。このまま何もしないで相手校を帰すわけにはいかねえんだ」

あまりの無謀な意見に新八が溜息をつく。

「試合に出たって僕らなんて負けますよ、いいんですか」

「ああ、んなこた承知の上だ」

負けても構わないからとりあえず出てくれ、と強引に剣道着を着せられて、急遽試合に投入される。


暑くて汗臭い剣道着が嫌で嫌で仕方の無かった俺は、一秒でも早く終わらせたくて勢い任せに打ち込んだ。
その太刀筋が良かったらしく、意外にも俺は対戦相手に勝ってしまった。


意外な結果に驚いたのは、俺や対戦相手よりも、俺に強引に剣道着を着せたあの男だったのだろう。


一試合だけのはずが、調子に乗って次々とこなしてしまい、しかも全勝という快挙を果たしてしまった。






その様子を見ていた剣道部の彼が、試合の後に俺にこう言った。


「お前、剣道部に入るべきだ」


何をバカな事を言ってやがるのか。俺はそれに答えなかった。

わざと乱暴な仕種で、汗だくの剣道着をそいつの目の前で脱ぎ捨てる。



ギャラとしてアイス代を奪い取ると、仕事を終えた俺と新八はさっさと体育館を後にした。







そいつとはそれきり、になるはずだった。


しかしその後もやけにしつこく勧誘してくる。

興味がないし、もう3年だし、などと言って断り続けたが、ヤツの情熱は冷めることなかった。
俺の辟易とした愚痴を、新八に聞いてもらっていた。
新八は最初は俺の味方だったが、俺の愚痴にうんざりして、
「もう剣道部入っちゃえばいいんじゃないですか。静かになりますよ」
などと俺を見捨てるような事を言い始めた。
静かになるってのは、勧誘の事なのか、俺の愚痴の事なのか。どちらも、かもしれない。



その剣道部の彼の名前を、土方十四郎と言うらしい。
2年生のくせに副主将という、とんでもない実力派だ。
しかしそんな情報は、俺には関係ない。すぐに会わなくなると思っていたから、奴の名前も覚える気はなかった。


そのうち土方とは喧嘩友達のような、顔を見るたびに悪口を言い合う仲になった。
ただし険悪というわけでなく、小学生レベルの喧嘩ばかりだ。
売り言葉に買い言葉、遠慮はいらない。
思う存分喧嘩すると、ストレスが解消されるのか、気分がスッキリとしていた。

なんだか奇妙な関係だが、悪い気はしない。
むしろ、楽しいとさえ思う。


お互いに文句をいいながら、そのうち一緒に酒を飲んだりもするようになった。

気が合わないフリをしながらすっかり意気投合していたが、今さら友達だとも言えず相変わらず悪口ばかりだ。

こういう間柄をどう表現したらいいのか、うまい言葉が見つからない。

ただ、俺にとっての土方の存在は、けして小さいものなんかではなかったようだ。



俺は自分をしっかり持っているようなヤツが好きだ。
この土方という男はまさにそれで、傍で見ていて、そして話をしてみて、とても興味深かった。



そう長くない付き合いのうちに、俺はいつの間にか、土方に心を許していた。



文句なしに信頼できる男だと思った。
生涯の親友、そんな仲になれそうな気がしていた。そうなって欲しいと、思っていた。



もちろん、本人にはそんなこっぱずかしい事は言わないけれど。


あいつもそう思ってくれたらいいと、淡く期待もしていた。




しかし土方の方は、俺と同じようには思っていなかったと言う事を、後になって知った。




*** ***






灼熱の真夏に出会ってから季節が変わり、秋を越して極寒で雪のちらつく冬になった。



冬休みに入り、年度末を迎える頃の雪の夜。
俺と土方は駅の近くの居酒屋に居た。二人とも翌日からは年末年始を実家で過ごす予定だ。
帰省を前に、俺たちは浴びるように酒を飲んでいた。いつもの飲み比べ対決だ。


夏はビールやカクテルで、冬は熱燗やお湯割りで飲み比べをする。
俺たちは二人とも勝負事が大好きだ。
最終的にはお互い気持ち悪くなり、リタイア。勝敗がついた試しのない不毛な勝負をしている。


こんなバカげた楽しい勝負は、きっと土方以外じゃ相手もしてくれないだろう。


土方の前では余計な気を使う必要がない。
素になって話せる相手というものは、そうそう見つけられるものではないと思う。
土方に対しても、普段は意地や見栄を張って小さな嘘ばかりつく俺だが、酒の席では自然体になれる。
喧嘩することすら楽しいのだから、手に負えない。



俺は土方と酒を飲むのが、好きだった。
理由もなく、ただただ、楽しい。気分が昂揚してしまう。



会計を済ませて千鳥足で外に出ると小さな雪がちらついて、あたりは一面の雪景色だ。


雪を降らせる雲の合間に明るく輝く月が見える。静かな夜だった。


酔っ払った俺は真っ白な息を吐きながら、ぼんやりと黄色い月の美しさに魅入っていた。




すると突然、俺の背後から土方が抱きついてくる。

ただ泥酔しているだけだろうと、俺は驚かなかった。振り返らずに声をかける。

「おーい、どうしたー。俺の背中に吐くんじゃねーぞ」

空を見上げた俺の白い息が、言葉を発する度にふわりと生まれては消えていく。

月を見ながら白い吐息で遊び、背中に感じる友達の温かさに俺は気分が良かった。

いつもなら容赦なくブン殴るところだが、気持ち良く酔っていた俺は優しい態度でヤツの素行を許してやった。

「なーにしてんの、ひーじかーたくーん」

いつまで経っても俺を抱いて離さない土方を相当酔っていると思った俺は、笑いながら首だけで振り返る。
そして同時に、俺を抱く腕を引き剥がそうと抵抗する。

しかしその腕はしっかりと力が込められており、俺を強く抱きしめたまま動かなかった。

「あれっ、マジでなに?離せよ、苦しいってー!」

後ろから強く羽交い絞めにされ、俺は抵抗して足をじたばたと動かす。
雪に俺の足跡が散らばるが、土方は一向に腕の力を抜く気配がない。

「土方テメ、この酔っ払い!雪の中に投げる気だろ?言っとくけど俺は3倍返しするからな!!」

人の通りも殆どない、静かな年末の狭い路地。
酒に酔った俺が騒ぐ情けない声だけが、辺りに響く。

抵抗しても反応のない土方に焦れて、俺が一瞬気を抜くと、土方は俺を抱く腕に更に力を込めた。

「・・・っにすんだ・・・っ」




「・・・好きだ、銀時」




俺の耳に唇をつけて、低く小さな声で、しかし強く、土方が囁いた。





「・・・え・・・?」


聞き間違えようもないほど、はっきりした告白だった。

耳の奥に直接届けられたその言葉は、俺には理解出来なかった。

意味が分からず、俺の思考が真っ白になって身体が固まる。




「お前が好きなんだ」




思いつめたように吐息交じりの声を絞り出し、土方は再びそう告げた。

苦し気な声、震える腕。土方が冗談を言っているとは思えない。

冗談でないとしたら、まさか本気なのか・・・俺は完全にパニックを起こしていた。


先程まで酒のおかげで滑らかに喋りつづけていた口からは、今はもう一言だって言葉が出ない。
何か言わなければ、そう思いつつ、どうしたらいいのか分からなかった。


じっと黙ってしまった俺を、土方はその腕からそっと解放する。
身体を離されて、俺の背中は突然の冷気に震えた。

「ひ、土方・・・?」

俺は振り返って、困惑しながら名前を呼ぶだけで精一杯だった。

顔を見つめて、本気なのかそれとも冗談なのか、その様子を伺った。
土方はいつになく真面目な顔をしていた。

居酒屋でバカな話をしていた時のそれとは別人のように違った。酔ってもいないような顔で、まっすぐに俺を見ている。



その真剣な表情で俺は全てを悟った。土方は本気なのだと知る。

まっすぐな視線を受け止め、無意識に左右へ首を振った。

同時に俺は、ショックでがっかりと肩を落とした。



俺は土方と付き合うつもりなんか、ない。



せっかく出来た気の合う友達だったのに、その友情もここまでなのか。

どうして、好きだなんて、そんな事を言うんだ。

俺はお前を拒否しなくちゃいけなくなっちまった。お前のせいだ、土方。

どうか、黙っていてほしかった。友達でいたかったのに・・・。





「・・・じゃあな」




まだ何か言いたそうにしていた土方だが、俺の暗い表情に気を使ったのか、そこで踵を返して帰っていく。

俺もそんな土方へ言ってやれる言葉が何ひとつ見つからなくて、暗闇に消えていく背中を黙って見送った。




楽しくて温かい時間が一瞬にして苦しいものとなる。


どこで歯車が合わなくなったのだろう・・・お互いに、辛い夜を過ごすはめになってしまった。





*** ***




告白された後、俺は土方のことばかり考えていた。考えたくなくても脳裏にちらつく。



そして学校では冬休みが空け、後期の試験シーズンに突入した。


試験日程は履修科目ごとにまちまちで、不規則な時間帯で登校していた。
同じ講義も取っておらず、そのため土方本人と顔を合わせることは無かった。


今はまだあいつに会いたくなかった俺は、密かに胸を撫で下ろしていた。

あの告白を受けてから、まだ気持ちの整理がつかずにいた。


自分の性癖はノーマルで、男と付き合うなどということは想像すらした事がない。
それなのに、最初から恋愛の対象にも入っていない土方が、俺を好きだと言ってきた。


知り合ってからまだ半年程度しか時間が経っていないとは言え、酒の席も含めて土方とは様々な話をしてきた。
彼女がいたなんて話も聞いたことがある。そこから察するに、まさか土方がゲイだとは到底思えない。
告白する時に何故か悔しそうにしていた様子を思い出す。
土方だってまさか俺なんかに惚れるとは、予想外だったのだろう。

その気持ちは、分からなくも、ない。
万が一、本当にゲイだったとしても、俺みたいなダメな野郎なんか選びたくはないだろうよ。



(俺を好きになるなんて、気の迷いみたいなもんだ。一過性の病気ですぐに正気に返るだろ)



そう、だたの気の迷いだ。何か間違ってしまっただけだ。
賢明な土方なら、すぐにこの愚かな間違いに気がつくはずだ。だから深く考える必要なんか無いんだ。
俺は自分にとって都合良く、そう言い訳をする。




しかし一方で、土方の真剣な表情を思い出すと胸が痛み、また悩んでしまう。




出来ることなら、俺だってあいつを悲しませたくない。
本人に言ったことはないが、大事な友達のうちの1人であることは間違いないのだから。

(俺があいつを、わざと傷付けたいわけ・・・ないだろ?)

あいつの想いに応えてやれるものなら、笑顔でいい返事をしてやりたいと思う。




しかし俺には、土方と付き合うわけにはいかない。そんなつもりは毛頭ない。

これでもかなり、積極的に考えてみた。前向きに、あいつと恋人になるって事を想像してみたんだ。

本気で、真剣に考えたが、どうしてもダメだった。

受け入れられなかった。俺も苦しい。この気持ちをあいつは分かってくれるだろうか。それが不安だった。




大事な友達だからこそ、「男だから」なんて事だけで、軽く切りたくはない。



(土方が男だからダメなのか、いや、他に理由があるんじゃないか・・・?)



あいつの事を考えれば考えるほど、俺にとって土方が大きな存在になっていく。




(このままでは、俺は土方に・・・・・・)





はっきりとした理由は分からない。






分からないが、不安だった。何かが恐くて仕方がないと思う。






そうだ、恐いんだ。あいつのせいで、あいつのために、俺は泣きそうな苦しみを感じている。







*** ***





季節は春を迎え、大学にも美しい桜の花が咲き乱れていた。

普段は殺風景な校庭がピンク色に明るく彩られ、校内にいる者全員が気分良く浮かれているようだった。




銀魂大学はまだ初々しい新入生を迎え、俺は4年に進級した。




授業はまだ始まらないが、新クラスの顔合わせや履修についての注意を聞きに大学へ行く。




そこで、あいつに会ってしまった。


出来る事ならば会いたくなかった、土方。現実を思い出して、桜を見て浮き足立っていた気分が萎む。



学生でごった返す校内で、不思議と土方の姿だけが切り取られたように俺の視界に飛び込んでくる。


たくさんの学生がいるのに、俺はあいつの事しか見えなかった。目を逸らす事が出来ない。


あいつも同じなのか、遠い場所からでも俺をまっすぐに見つめていた。


騒々しい周囲を無視して、この場所にはまるで俺と土方しか存在していないかのような錯覚にとらわれる。




「よお、久しぶりだな」



土方は人ごみを掻き分けるようにしながら俺の元へ来ると、苦笑いで声をかけてくる。
本当に久しぶりだ。俺も同じく苦笑いをして「ああ」と返事をする。



土方の告白に答えを出さなければいけない。

お前とは付き合えないと、はっきり言わなくては。

心苦しかったが、俺の答えは決まっていて、これ以外は無いのだから仕方がない。



「話しがある」


俺と土方は同じタイミングでそう言った。


俺達は嫌でも息が合ってしまうらしい。また、同時に苦笑いする。
お互いに言いたい事の想像はついてしまうが、もったいぶってなかなか言い出せない。



「・・・いつものトコで一杯やるか?」



無理やり明るく笑う。楽しいことなど何ひとつもないのに。






学校の終わった夕方、俺達はいつかと同じ居酒屋で酒を飲み始めた。




最近どうしてた、など他愛もない世間話ばかりをする。

しかし俺は上の空だった。

本当に伝えたい、聞きたい事は別にあるはずだが、どちらも上手く切り出せない。

味のしない酒ばかりが1杯2杯とすすむが、なかなか酔えずにいた。




結局、話の核心に触れられないまま席を立った。





酒のせいなのか、重い空気のせいか、気分が優れない。

ふらつく足で店を出ると、外は既に夜で真っ暗だった。





「銀時」


土方の声が背後から俺を呼び止める。




(ああ、あの時と同じだ・・・雪の中で告白されたあの夜)




今まで幾度となく回想してきた衝撃的な場面が瞼の裏に蘇り、ぎくりと身体が強張る。



振り返る前に、土方の腕が俺の身体を抱きしめる。

いつかと全く同じシチュエーション、違う部分は、俺達を包む世界が雪なのか桜なのか。


(寒かったあの夜、けれど何故か熱かった。今はこんなに暖かい気候なのに、俺達の間は冷たい・・・)


俺は土方の腕の中で、泣きたいような気持ちになった。




「好きだ、銀時。俺の気持ちは変わらない」



「・・・ごめんな。俺はお前とは付き合えない」



土方が切ない声で何度も俺へ気持ちを伝えてくれる。真剣な土方の想いが辛い。


申し訳なくて俺は土方に顔を向ける事ができずにいた。


「どうしてだ、銀時」


俺の答えを予想していたであろう土方は、断られた事には全く驚く様子はない。
そして、その上でさらに俺の言葉を求めてくる。
これ以上何を言えと言うのか・・・苦しくて言葉が喉に詰まる。


「どうしても、だよ・・・」


「それじゃ諦められない。分かるだろう?」


「言えるかよ」


「男同士だから、か?」


「そんなんじゃねえ・・・!」



俺は土方の腕を払い、身体を押しのけて逃げ出す。



言いたい事はこんな言葉ではなく、本当はもっと違う事を伝えたかった筈だ。

真剣な土方を冷たくあしらうような真似なんか、したいわけがない。

しかし本人を目の前にすると素直になれない俺は、意図しない態度を取ってしまう。



「銀時、頼むから、はっきり振ってくれ」


「だから・・・付き合えないって言ってんだろ!」


土方が焦れているのを感じて苦しくなった俺は、この場から消えてしまいたかった。



そう思った俺は無意識に走り出していた。



(走って逃げたところで、何の解決にもならねえのは分かってる、けど・・・!)




「待てよ!」

土方が俺を追いかけて来る。あっと言う間に捕まってしまったが必死に抵抗する。

腕を強く引かれて、反射的に払い除ける。

しかし土方も諦めずに再び俺の身体を捕まえようと手を伸ばす。


「嫌だっ、離せっ!」

「うるせえ、だったら逃げんな!」



細く暗い路地で揉み合い、何度も捕らわれては逃げ出す。



騒いでいる内に感情が昂ぶり冷静さを失っていた俺は、一体何が原因で何の為に争っているのか分からなくなる。

とにかく土方から逃げたい一心で、形振り構わず抵抗した。


「ダメだ、ダメなんだよっ!」

「何がダメなんだ!理由をちゃんと言えよ!」


しつこく迫って来る土方を両腕で思い切り突き飛ばすと、俺はその反動で後ろへよろめいた。




俺の身体が路地からフラリと出た瞬間、視界の端に明るい光が見えた。





「銀時!危な・・・っ」





一瞬の事だった。




前方の土方が瞳孔を開いた目で俺を凝視している。


右手を差し出されたが、その手を取るには少し離れ過ぎていた。



視界の端に明るく見えているのが自動車のヘッドライトだと知る。

光が明る過ぎて自動車本体は見えない。自動車の大きな音が振動となり身体を震わせる。

二つの強い光が高速で迫って来るのを、俺は横目で見ていた。

重心の傾いた俺の身体は光に引っ張られているかのように、わざわざ自動車へ向かって飛び込む。





ヘッドライトが俺の全身を包む頃に、やっと、自分の身の危険を認識した。




しかし全てが手遅れだ。




本能的に「いけない」とは感じたが、突然過ぎて避けることも不可能だった。





(あ・・・轢かれる・・・)





騒々しく耳に残る自動車の大きく低いエンジン音。





アスファルトがタイヤを引き裂き焦がす急ブレーキの摩擦音。







遠のく意識の中、最後に聞いたのは、土方が俺の名を叫ぶ悲痛な・・・声。








*** ***





「やっと・・・思い出した・・・俺は土方と揉めている時に、車に轢かれたんだ・・・」



そして俺は記憶を失った。




目が覚めた時に病院で初めて見た『土方くん』の姿を思い出す。

赤の他人で初対面だと言った、あの言葉は嘘だったのか。

何もかもを失い不安の中にいた俺は、あの時唯一救いの手を差し伸べてくれた『土方くん』にすがった。

彼は優しくて、どんな時も深く俺を愛してくれた。その愛を疑った事など無い。

『土方くん』は俺の全てだ。彼の事を想うだけで昂揚する気持ちは今でも変わらない。

それなのに彼は俺に嘘をついて、騙していた。

(あの愛しい土方くんが、一方で俺が拒んだ土方だったなんて・・・)



俺の記憶が蘇るほどに混乱し、眩暈がした。

戸惑い呆然自失になりながらも、自然と俺の足が向かったのは『土方くん』のアパート。




いつの間にか時間は夜を迎えて外は暗くなっていた。

一日中降りしきる雨で、空には月も星も見えない。ただ巨大な闇が広がっているだけだ。



傘を大学に忘れてしまった俺は、雨に濡れながらのろのろと歩みを進める。

冷たく激しく打ちつける雨粒が痛いけれど、気持ちの荒む俺には心地よい。

自分の気持ちすら整理のつけられず黙々と歩き続けた俺は、ようやく古いアパートの軒先へ辿り着く。

ずぶ濡れになった俺の身体から滴る雨水で、足元には水たまりが出来ていた。




『土方くん』の部屋の前に立ち、錆びたドアノブを持つ。捻るとすんなりドアが開いた。




そのドアの向こう側には、今までの3ヶ月暮らした懐かしい世界が広がる。


我が家に帰ってきたような懐かしさを感じて胸が熱くなる。


しかしここは我が家なんかではなかったという事実を思い出して、俺は悲しくなった。





不意に目頭が熱くなり、涙が瞳に膜を貼る。

零れ落ちそうな涙を止めるため、強く両目を閉じる。



俺が頑なに拒んだ彼を、何よりも愛しく想うもう一人の俺が、胸の中に生きている。


どちらの俺が本物なのだろう。今の気持ちはどれ?





ゆっくりと瞳を開くと見慣れた部屋が見える。




狭くて薄暗い部屋、しかしとても落ち着く愛しい世界。




そこには黒い髪の青年が俺を待っていた。




「おかえり、銀時」





彼はいつもの優しい笑顔で俺を迎えてくれたが、その視線は冷たく見えた。




次へ


ノベルトップへ戻る