***** 高校生日記 *****
今年の夏は冷夏だとニュースは報じているが、そんなの嘘だと叫びたくなるほど、新宿かぶき町は毎日蒸し暑い。
エアコンの無い俺の部屋は、夜になっても熱気と湿気に支配されている。
あまりの寝苦しさのため深夜に何度も目が覚めてしまう。
ようやく何度目かの眠りに落ちかけたその時、枕元の携帯電話が鳴った。
「ああ?誰だ、今何時だと思ってやがる!」
せっかくの睡魔を逃がして苛々しながら携帯を開くと、待受画面には「坂田銀時」と表示されていた。
その名前を見て瞳孔が開いたのが自分でもわかる。これは俺の恋人の名だ。
「・・・銀時か?どうした、こんな夜中に」
声を潜め緊張気味に電話に出る。
すると電話の向こうからは、けだるそうな低いトーンの銀時の声。
「あー土方?暑いから海行きたい。迎えに来て」
それだけ言うと銀時は一方的に電話を切った。
慌てて俺がかけ直しても、もう出やしない。
深くため息をつきながら時計を見ると、深夜3時半。
(ったく、常識ってモンはないのか。)
俺は布団に転がったまま、あいつの言葉を無視してもう一眠りすべく目を閉じた。
しかしあのけだるい声は何故か耳に残り、気になって一向に眠れそうもない。
俺と同じように熱帯夜に悶えるあいつの姿を想像すると、ほくそ笑んでしまう。
すっかり目が冴えてしまい、仕方なく起きた。鈍い動作で箪笥から水着やタオルを取り出す。
どうせ眠れないのなら、もう海へ行く準備をしてしまおう。
結局は銀時のペースに合わせている自分に、少し呆れた。
銀時は我侭な性格だ。
良く言えば自由、悪く言えば自分勝手。
気分で意見が変わったり、思いつきで無理難題を突きつけてくる。
うんざりする事も多々あるが、仕方がない。
こんな性格のあいつを好きになってしまった俺が悪い。
あいつの我侭は、実は俺の愛情を試しているのではないかとすら思えてきて、逆に燃え上がってしまう。
こんな俺は変なのかもしれない。惚れた弱味とはこの事だ。
適当に荷物を纏めているうちに、うっすらと空が白んでくる。
自転車で銀時の家へ向かう。近所というほどでもないが、自転車なら10分ほどで着く。
自宅の玄関先で暑さに項垂れていた銀時を拾い、二人乗りで向かった駅では既に始発電車が動き始めていた。
最初からお互いに駅で待ち合わせればよかったのに、何で俺がこいつの家までわざわざ自転車で迎えに行かなきゃいけないんだ。
・・・という疑問と憤りは、考えるだけ無駄だろう。答えは分かっている。
始発電車で潮の香り一杯の海水浴場へ到着すると、銀時にようやく元気が出てきた。
死んだ魚のような瞳がキラキラと輝いて、歳相応の明るい表情になった。
まだ朝早いというのにすでに賑わっている海の家で水着に着替え、砂浜にシートをひいて荷物を置く。
その間にも銀時は待ちきれずに海の方ばかり見ている。
「なあ土方、はやく海入ろうぜ」
「ちょっと待て。お前日焼け止め塗っておけ。日焼けすると赤くなって痛いだろ」
日焼け用のオイルではなく日焼け止めを銀時の肩や背中に強引に塗りたくる。
銀時は不満そうに口を尖らせて、一応じっとしている。
銀時の白い肌を守るのは俺の役目だ。
使命感で熱心に、いつまでも日焼け止めを塗っていると、気の短い銀時はついに怒り出した。
「もーいいって!離せバカ!」
「誰がバカだ。後で痛くなっても知らねーぞ」
「いいってば!はやく海で泳ぎたいんだよ、俺は!行くぞ!」
俺の手を振り払い、銀時が立ち上がる。
我慢できなくなったように、波打ち際へと走って行った。
その手には何時の間に準備したのか、赤い色の浮き輪が抱えられていた。
「ひゃーー!冷てーー!」
浮き輪から上半身を覗かせた状態でぷかぷかと海に浮かぶ銀時は、珍しくはしゃいで笑っていた。
俺は後から海に入り、銀時の元へ泳いだ。
「何だ銀時、泳げないのか?浮き輪なんか使いやがって、ガキかお前は」
「べ、別に泳げないワケじゃねーよ!泳ぐと疲れるから、だよ!」
「ウソつけ。自力で泳げ、バーカ」
俺がふざけて銀時の浮き輪を揺すると、銀時の身体が浮き輪から抜けそうになる。
「う、うわっ、土方バカやめうわ、ちょっ、まっ」
本気で怯えた銀時が浮き輪にしがみつき、必死になって俺を制する。
普段は我侭で横柄な態度を取ってばかりの銀時が怯える様子は、俺の心をくすぐる。
今日は面白いものが見られそうだ。
俺がにやにやと笑うと、銀時はふくれっ面をした。
「くそっ!土方、テメー覚えてろよ!絶対許さねーからな!」
額の血管が切れそうなほどの剣幕で叫ぶが、浮き輪にしがみつくだけの銀時は波に乗ってゆらゆら流され離れていく。
怒っている割にまったく迫力が感じられない、それどころか非力さが愛らしくもある。
今まで海でのデートはしたことがなかったが、意外と楽しい。
銀時の我侭に付き合い、密かに剣道部の練習をサボった甲斐はあったかもしれない。
「おーい、銀時、少し流されてるぞ。そろそろ戻って来い」
浮き輪に捕まり浮かんでいた銀時に声をかける。
波打ち際周辺はすでに人で埋め尽くされ、さながら芋洗い場のようにひしめき合っている。
沖に近い場所へ泳ぐと人が少なく、まるで広い海と空を二人で貸しきったような開放感がある。
「それ以上行くと、危ねーぞ」
呼んでも反応のない銀時の側へ近づくと、浮き輪にしがみつく様子がおかしい。
真っ青な顔で手元を凝視したまま、身体が固まっている。
「おい、どうした?」
「土方、どうしよう!う、う、浮き輪が空気抜けてんだけどコレェェェ!」
銀時の身体を囲う浮き輪の空気がどこからか抜けており、支える重みで次第にしぼんでいく。
張りのあった浮き輪が今では柔らかくなり、銀時の体重を支えられなくなっている。
「あー本当だな。ちゃんと詮してたか?」
「なに悠長なこと言ってんだよ!今はどーでもいいんだよンな事はァァ!」
しぼんだ浮き輪を、それでも必死に掴む銀時は、当然のように浮き輪もろとも沈んでいく。
手足を動かしてもがいているようだが、暴れれば暴れるほど水に飲み込まれていく。
肩のあたりまで水に浸かると、銀時は泣きそうな声をあげた。
「大丈夫か!?」
「大丈夫、じゃ、ねえ!はや、く、助け、ろー!」
首まで沈んだ銀時は、あっぷあっぷと必死に息をしながら俺に助けを求める。
こんな時でも態度の大きい銀時に思わず苦笑しながら、手を差し伸べる。
銀時はようやく浮き輪を捨て、俺の腕にしがみついた。
そんな必死の形相が俺にとっては可笑しくて仕方がない。
「お、溺れるっ!俺っ、ここで死ぬんだっごぼごぼごぼっ」
「落ち着け銀時。とりあえず力を抜けよ、大丈夫だから」
溺れている人間に力を抜けと言うのは無理なことだろう。
しかし銀時は諦めたようにスッと全身の力を抜いた。
まだ頭まで沈んではいなかったが、恐怖のあまり一瞬気を失ったのかもしれない。
ぐったりとした銀時の身体は海に浮かぶように軽くなった。
「っとに、面白れー奴だな」
銀時を抱えて立ち泳ぎをしながら、念のため呼吸を確認する。
肌の白い銀時の顔は、血の気が引いて青白い。
身体が冷えているが健康状態に問題はない。安心してため息が漏れる。
銀時の身体を肩に担いだ状態で泳ぎ出す。
陸が近くなると子供の騒ぐ声が響き渡り、かなり賑やかで熱気もある。
雰囲気の変化にようやく銀時が目を覚ました。そして開口一番に悪態をつく。
「う・・・土方のバカ・・・」
「なんで俺がバカだ。助けてやったのに」
「ちゃんと俺の側にいなきゃダメだろ・・・だからお前が悪い」
「ったく、素直じゃねーな」
海中を歩けるほど浅くなった場所で銀時を肩から降ろす。
遊ぶ人々を避けながら銀時はかろうじて波打ち際まで歩いたが、砂浜で遂にへたり込んでしまった。
心身共に疲れきってしまったようだ。表情も固い。
「銀時、大丈夫か。水飲むか?」
うつむく銀時の顔を覗き込むと、赤い瞳のその周りまで真っ赤に充血していた。
海水が目に入ったのかもしれないし、涙のせいかもしれない。
白い肌に真っ赤な瞳は痛々しくもあり、不思議と美しさもある。
まるで吸い込まれるようにその瞳に目を奪われていると、うつろな固い表情のままの銀時が小さく唇を動かす。
「ア、アイスなら・・・食ってやっても、いい」
今にも泣き出しそうな震える声で、生意気に威張る銀時の愛らしさに俺の心がまた揺れる。
あの我侭銀時が俺にすがるような瞳を向けている。
こんな目は今まで見たことがない。
普段ならばあり得ない状況に驚きと喜びを隠せない。
「アイス買ってきてやるから、お前はシートの上で休憩してろよ」
座ったまま動けない銀時の身体を引き上げて肩を貸すと、素直に俺へ身体を預けた。
触れ合った冷たい肌から、わずかな震えが伝わってくる。
癖になったのか条件反射なのか、銀時は海の中にいる時のように俺の腕に抱きついた。
絶対に離すなと訴えられているようだ。
普段は触れるだけでも怒る気分屋の銀時。
しかし今日は、この腕を振り払いでもしたら悲痛な表情をするだろう。
このまま一生、俺にしがみついていればいいのに。
今だけの錯覚と知りながら、銀時の冷えた身体を抱き寄せる。
END
20090813
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