*** 高校生日記 ***
坂田銀時はむくれていた。
大好きな恋人が、付き合い始めてから最初のクリスマスを、一緒に過ごせないと言うからだ。
普段はそれほどイベント事に執着しない銀時だが、街がクリスマスイルミネーションに彩られ、幸せそうな家族やカップルを眺めているうちに、自然と恋人の顔を思い出していた。
いつの間にか銀時は、今年のクリスマスは大好きな「あいつ」と幸せな時間を過ごそうと、無意識のうちに決めていた。
「なあ、来月の24日・・・どうする?」
授業の合間の休み時間に銀時は少し照れながら、隣のクラスの恋人、土方十四郎に小声で尋ねた。
来月の24日とは、クリスマスイヴのことだ。
今から特別な日のデートを楽しみにしているなんて知られては恥ずかしい。
そう意地を張りながらも、実際に楽しみにしている銀時は、いつまで経ってもクリスマスの話をしない土方に焦れ、我慢が出来ずにいた。
次の授業の小テストに気を取られていた土方は、クラスの違う銀時がわざわざ自分の元へまで来て、一ヶ月も先の予定を尋ねる真意が理解できず、きょとんと目を丸くした。
「24日・・・終業式の後か?」
土方は黒板の横にある大きめのカレンダーを眺め、目を細めて記憶を辿った。
そして思い出したように「ああ・・・」と頷く。
銀時はクリスマスのことをやっと思い出したのかと、少し呆れながらも、大いに期待して「うん」と返事をし同じように頷いた。
「終業式の後は、剣道部の連中と焼肉食いに行く約束してる」
事も無げにそう答える土方に、今度は銀時がきょとんと目を丸くする番だった。
「や、焼肉?剣道部で?」
明らかに動揺している銀時に、「そう」と言いながら土方は小首を傾げ、思いついたように「お前も来るか?」と付け足した。
予想外の返答に呆然としながらも、銀時はまさかの事態にようやく気付いた。
土方は自分とクリスマスを過ごす気は無いのではないか。
銀時は嫌な予感がして、眉を顰めた。
デートのチャンスはイヴだけではない。クリスマス当日だって構わない。
夜空に広がるあの綺麗なイルミネーションや大きなクリスマスツリーを、二人で眺めたいだけだ。
そしてキスのひとつでもしたら、きっと蕩けてしまうような甘い気持ちになれるだろう。
ガラにも無い、と思いつつ銀時は土方とそういう時間を過ごしてみたいのだ。
一応念のために・・・と、もう一度尋ねてみる。
「え・・・っと、じゃあ、25日は?」
「あー、25日から28日まで、合宿」
銀時の最後の希望は、「合宿」の一言であっさりと打ち砕かれてしまった。
土方は「前にも言っただろ、1年生が凍えながら滝に打たれるのが毎年恒例なんだ」と合宿の話を始める。
結局のところ自分たちは剣道の練習ではなく、寮の大掃除をしに行かされるんだ、などと愚痴をこぼすが、呆然とする銀時の耳にはまったく聞こえていなかった。
土方は、クリスマスのことなんか全く気にかけていないらしい。
銀時にはそれがショックでならなかった。
クリスマスには二人きりでデートをするものだと思い込んでいたのは、銀時の勝手だ。
土方には土方の予定があるのは当然、そうは思いながらも、納得がいかない。
彼の事をずっと好きで、やっと付き合い始めたばかりなのに、初めてのイベントも楽しめないと実感すると途端に惨めな気持ちが銀時を襲う。
合宿はまだしも、部活仲間との焼肉よりは、自分を優先するべきだ。それを責める権利が、自分にはあるだろう。
銀時が土方を罵倒しようと口を開いた瞬間に、始業を知らせるチャイムが学校中に鳴り響く。
チャイムに拍子抜けした銀時は、結局何も言えず不満を抱えたまま、足早に自分のクラスに戻った。
それから、何と言って土方を責めようかと苛々していたが、時間が経って冷静になるにつれ、次第にそれも面倒に思えた。
「いいよ、もう」
すっかり拗ね、ふて腐れていた。たかがデートのことで真剣に怒る自分こそ恥ずかしいと思えてきて、銀時は口を尖らせた。
土方と喧嘩をしてまで、クリスマスに執着したくもない。イベントなんて、もうどうでもいい話だ。
もちろんそれは本心では無い。自暴自棄になっているだけだ。
しかし銀時の小さなプライドが、気持ちを曝け出して取り乱すことを許さなかった。
意地が邪魔をして素直になれない。
銀時の胸の中に、鬱々とした重苦しい負の感情が溜まる。
それから暫くの間、不機嫌に過ごした銀時だが、土方にはその理由が分からなかった。
土方は野性的な勘だけは鋭いくせに、俗世間の流行に驚くほど疎いことがある。
悪気は無いが、天然とも言えるほどに鈍い時すらあるのだ。
実際にクリスマスが自分たちのイベントとして認識するまでに、かなりの時間を要した。
いよいよ24日、クリスマスイヴの朝を迎えた。
テレビも雑誌も、友達の話題さえも浮き足立ってクリスマス一色に染まった頃、土方ははっと気付いた。
「ああ、今日はクリマスマスか・・・・・・あっ?」
一ヶ月も前に、銀時がやけに期待したように瞳を輝かせて、24日と25日の予定を尋ねて来た。
その時はカレンダーを睨んでみたところで、終業式と合宿くらいしか思いつかなかった。
しかし本当は、自分たちにとってそれ以上に大切なイベントがあったのだ。
銀時はクリスマスを自分と過ごしたいと思ってくれていた、そのことにようやく気付くと、土方は自分の愚かさに愕然とした。
銀時のやけに落胆したような不機嫌な様子に、やっと納得がいく。
「そうか、だからアイツ・・・しまった・・・!!」
終業式を終え冬休みを迎えた午後、土方は帰りがけの銀時を大急ぎで捉まえて、潔く頭を下げた。
「銀時、悪ィ・・・俺、クリスマスとか気付かなくて、どうもそういうの鈍くて・・・今日、その、お前と、」
何を言っても言い訳にしかならない、土方は何度も首を振って言葉を選ぶ。
しかし要領を得ない言い方しか出来なかった。自分に苛立った土方は再び頭を下げる。
「ああーーっ、だから!とにかく!俺が悪かった!剣道部の集まりは断ったから、今日は一緒に過ごそう!いや、過ごしてくれ!」
真剣に謝る土方の姿に、最初は驚きを隠せずにいた銀時は、ようやく理解しニヤリと笑うと「いいよ」と答える。
クリスマス・イヴの午後、この土壇場になってようやく自分の期待どおりに事が運ばれた。そう思った銀時は安心して、内心ほっとため息をつく。
土方を信じていて良かった。ちゃんと今夜は空けて、土方の誘いを待っていたのだ。
自分勝手に責め立てて、喧嘩なんかしたくなかった。
ふざけ合うような喧嘩は楽しくて好きだったが、本気の喧嘩は傷つけ合ってしまいそうで怖くて仕方がない。本当に好きな相手だからこそ、やけに臆病になってしまう。
普段は堪え性のない性格の銀時だったが、妙なところで意地っ張りで、素直に怒れない時もある。
土方がこうして自分で気付き謝ってくれなければ、銀時はずっとわだかまりを解消できずにいただろう。
土方が謝ってくれて、そして誘ってくれて良かった。
銀時は頑なになっていた心が温かくなり、柔らかに溶けるのを感じた。
「んなこったろうと思ったよ。お前バカだから、クリスマスなんて忘れてたんだろ」
意地悪に嫌味を言って笑う。素直に笑えたのは、久しぶりな気がした。
「・・・その通りだ。俺がバカだった。何とでも言ってくれ。別に、お前をないがしろにしてたわけじゃねえから、誤解しないでくれ。お前が一番、大切なんだ」
反省したようにしおらしい土方が、真剣に銀時の瞳を見つめて言う。その言葉こそ銀時が欲しかった一言だった。
土方の鋭く熱い視線と色気のある低い声に、まるで口説かれたような甘い気分に浸った銀時が、雰囲気に流されるように思わず、小さな声で呟いた。
「うん・・・俺ばっかりお前のこと好きなのかなって思って・・・寂しかったし惨めだった」
俯く銀時を愛しく思うと同時に、そんな気持ちにさせてしまった不甲斐なさが土方の胸を締め付けた。
「銀時・・・すまない」
「うわっ、バカ、何すんだ、こんなとこで!」
両手を伸ばして銀時を抱きしめようと肩を掴むと、銀時が慌てて土方の手をパチンと払った。
我に返った土方が顔を上げると、ここは学校で、下校する生徒たちで賑わっている廊下であったことを思い出す。
一歩踏み出した足を引き、危ういところで銀時との距離を保つ。
自分に対して必死になっている土方の様子に、銀時は満足した。
土方にとっての一番は自分なのだと知ると銀時の独占欲が満たされ、柄にもなく銀時の口元が自然と緩む。
好きな人に求められることが、単純に嬉しい。求めてくれるのなら、いくらあげても構わない。
「・・・あとで、いっぱいしよう」
そう銀時が土方にそっと耳打ちをする。
一体何を「いっぱいしよう」と言うのか銀時は伏せていたが、二人きりになったら何やら秘密めいた事をさせてもらえるのだと土方は想像して、身体が熱くなる。
銀時は素直ではない分、思わせぶりに誘うのが常だ。
たった一言で顔を真っ赤にしてたじろぐ素直で単純な土方の様子が愛しくて、仕掛けた銀時の方が照れてしまう。今ならキスくらいしてあげてもいいと、一瞬チラリと思う。
雰囲気に流されそうになり慌てた銀時は、自分のカバンの中から、おもむろに大きめの白い包みを取り出した。
「これ、クリスマスプレゼント」
「俺に?」
驚きのあまり土方の目と、その中の瞳孔が完全に開かれる。
「当たり前だろ。感謝しろ、手編みのセーターなんだ・・・明日からの合宿、寒いだろうと思って・・・」
恥ずかしそうに視線を外して唇を尖らせる銀時の様子は、滅多に見られるものではない。
感激した土方の膝がかすかに震えていた。
確かに銀時は手先が器用で、料理は得意だし、裁縫もそこそこ出来る。
編物だって得意かもしれないとは容易に想像出来たが、まさか自分のためだけに手間隙をかけ、セーターを編んでくれるとは思いもしなかった。
「銀時、すまねえな・・・嬉しいぜ!明日から毎日着る、いや、今着るッ!」
その場で上着を脱ごうとする土方を、銀時が真っ赤な顔で止める。
「い、いいよ!恥ずかしいから!こんなとこで脱ぐなっ!明日でいい!」
銀時に制止され、土方は残念そうにセーターの包みと、赤い顔をした銀時を見比べた。
何かしたくて仕方がなく、落ち着かない様子の土方を見て、銀時が苦笑する。
「合宿の間、ちゃんと着ろよ!」
「もちろんだ」
銀時の可愛げのある仕草に、ついに抑えの効かなくなった土方は暴走し、公衆の面前であるのも忘れて銀時を抱きしめた。
そして強引に唇を奪う。温かくて柔らかな唇を味わった瞬間、土方の理性が飛んだ。触れるだけの口付けでは治まらずに、舌を差し込んで口腔を舐め、吸い上げる。
「っん・・・!?」
突然のことに身体を硬直させた銀時の、声にならないほどの小さな悲鳴が漏れる。
周囲にいた生徒たちは賑やかに浮かれていたがその瞬間に静まり返り、少し離れた場所から輪になって異様な二人に注目していた。
それから24日のクリスマスイヴは、銀時が淡く思い描いていたとおりの、幸せいっぱいのデートができた。
僅かな時間すら離れ難いと思うほどに銀時だけを愛した土方は、その余韻に浸ったまま朝を迎えた。銀時に大切な日のデートを求められ、愛情一杯のプレゼントまで貰うことが出来た。
恋人は自分が思っていた以上に、自分を愛してくれていたのだと実感する。こんなに幸せなことが他にあるだろうか。
もちろん元々、銀時のことを好きだった。しかし更に深みに嵌ったと思ってしまうほど、愛しい恋人に溺れていた。誰に対してもこんな気持ちになったことは、今だかつてない。
意地張りで素直ではない、けれど構ってやらないと寂しがる可愛い存在。今の土方には銀時しか見えなかった。
土方は、もう二度と銀時に寂しい思いをさせたりなんかしないと、強く思った。
甘い気持ちのまま、平たく言えば色ボケした状態で迎えた翌日、25日は合宿だ。
早朝より集合して、剣道部の面々はバスで林間にある学生寮へ向かう。
そのバスの中、土方は愛しい恋人の手編みのセーターを、いそいそと広げた。
あまりに土方が丁寧に取り扱うので、怪訝に思った近藤や沖田が「さては恋人からのプレゼントだな!」と派手に騒いで、バス中に聞こえる程大声でからかった。
土方もその野次がまんざらでもないように、照れて笑う。
恋人が編んでくれたこのセーターは、土方にとって最高の自慢だ。
温かみのある赤い毛糸でふんわりと編まれた、その編目ひとつひとつに銀時の愛情を感じて、土方は目頭が熱くなった。
一体どんな思いでこのセーターを編んでくれたのだろう。
クリスマスの約束もせずに放っておかれて、怒っていたかもしれないというのに。
それでも自分のために丁寧に編んでくれたのだと思うと、今すぐに帰って銀時を抱きしめたかった。
愛しい人の代わりに、土方はひしと赤い毛糸を抱きしめる。
まるで銀時そのもののような柔らかな感触、温かさにじんわりと感動して涙ぐみながら、愛情の証のセーターを、さらに大きく広げる。
光にかざすようにセーターを頭上に持ち上げると、こちらを見ていた沖田がニヤニヤと笑っていた。
近藤もぽかんと口を開け、怪訝そうにセーターを見上げている。
「・・・?」
何気なく土方がセーターの背中側を見てみると、そこには真っ黒な毛糸で、大きな文字が書かれていた。
ヘ タ レ
背中一杯に大きく太く、黒い毛糸で器用に編みこまれた3文字は、とても読みやすく、遠目でも分かるくらいに存在感があった。
土方は一瞬、この文字が理解できずに眉を顰めた。
これは、どういう模様だ?
随分と斬新なデザインのようだが・・・え、ヘタレ?
ヘタレって書いてあるのかこれ?
まるで銀時が忌々しい気持ちをぶつけたように、やけに寒々しい。
先ほどまで愛情と温もりでふんわりとしていた赤いセーターは、裏返した途端に別物になってしまったようだ。
赤い毛糸は黒い3文字によって、鉛のように重く冷たい物体に変化した。
このセーターを土方が着こなしたら、周囲から一体どんな目で見られるか。想像したくなくても、容易に目に浮かんでしまう。
「土方さん、恋人からのプレゼントなら、ちゃんと着てあげないと、可哀想ですねィ」
硬直した土方を逃がさないと言う勢いで、ニヤニヤ笑う沖田がすかさず念を押す。
かならず合宿でこれを着るという約束を、土方は思い出してしまった。
本人も知らぬ間に、額から一筋の冷や汗が流れる。
「何、したんだ、お前」
呆然とした近藤が、訝しげに尋ねる。それはこの場にいる全員が、土方に聞いてみたいことだろう。
確かにクリスマスの事は失念していたが、特にヘタレた記憶はない。
それとも、普段からヘタレだと銀時に思われているのか。怒りの一言がこの言葉になっただけなのか。何故ヘタレなんだ。ヘタレだからか?いや、ヘタレじゃねえっつーの。しかし人間どこかにヘタレの部分は持っているものだ・・・いやしかし・・・ヘタレ・・・?
土方の脳内でぐるぐるとヘタレの3文字が飛び交う。
何にしろ銀時の可愛いお茶目では済まされず、冗談の域を超えた本気の嫌がらせに感じられた。
「よく、お似合いでさァ、土方さん。恋人さんはアンタの事をよおーく分かっているんですねィ」
沖田が嬉しそうに冷やかすが、土方には何も答えられなかった。
それにしてもこの3文字にどれほどの憂いが込められているのだろう。
「・・・ああ、銀時、やっぱ怒ってたんだなァ・・・」
土方の目にうっすらと涙が光る。
それでも、このセーターは捨てられない。
鬼と呼ばれる厳しい副部長が、クリスマスに熱愛中の恋人からもらった手編みのセーターの話は、瞬く間に広まった。
いつも土方に扱かれている部員達にとって、こんなに面白可笑しい話は無いからだ。
それから剣道部を中心に、学校中で土方のあだ名は「ヘタレ」となった。
プライドの高い本人の前で言えば半殺しにされかねなかったが、裏ではヘタレという不名誉な通り名が当然のように定着しつつある。
当の恋人が誰なのかは明らかにされていないが、廊下でキスをしていたというその疑わしい相手は
「は?何それ?そんな恥ずかしいセーターなんか、知らない」と突っぱねているらしい。
土方はこのあまのじゃくで可愛い恋人とのイベントや記念日などを、金輪際、絶対に絶対に忘れてはならないのだと、身をもって学習したのだった。
おわり。
20081126
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