*** 中学生日記 ***
中学校の裏庭の茂みに、一匹の猫が隠れ住んでいるのを知っているのは、自分だけだと思っていた。
その猫は子猫と言うほど小さくはないけれど、成猫と呼べるほどの貫禄もない。
野良なので警戒心か強くて滅多に人前には出てこないが、自分がエサを持って裏庭を訪れると、何処からともなくやって来る。
雑種であるのは間違いないが、まるでロシアンブルーのような青灰の毛色をしている。
陽の中では白く輝き、陰に入ると黒く溶けるその色が不思議で、まるで特別な存在のように思えた。
何より、他人には姿すら見せないくせに、自分が呼ぶとそれが自然な事のように寄ってくるのが嬉しかった。
猫にとっても自分だけは特別な存在。
そう認められているようで、自尊心がくすぐられる。
だから毎日欠かさず、決まった時間にエサを与えに裏庭へ通っている。
今日も普段どおり、昼休みが終わる頃を見計らって裏庭へそっと足を踏み入れる。
この時間帯ならば裏庭へ生徒が来ることは滅多にない。
自分以外の誰かがいると、その猫は姿を見せてはくれないのだ。
坂田銀時は手にしたいちご牛乳と深めのエサ皿を、校舎の角にあたる、壁と壁にの間に生まれる陰の中に置いた。
エサ場は隅にした方が猫が落ち着くのではないかという、銀時なりの配慮だった。
深皿の中に自身の大好物でもあるいちご牛乳を注ぐ。
辺りを見回し、誰もいないのを確認してから、銀時は茂みに向かって猫の名前を呼ぶ。
「十四郎・・・?」
すると茂みの中からガサガサと葉の揺れる音がし、猫が現れた。
細くしなやかな小さい体を、青灰色の毛皮が覆っている。
銀時に挨拶するかのように、ニャーと一声鳴いて、真っ直ぐエサ皿へと向かって来る。
日陰に入ると、まるで黒猫のような毛色に変わるのを見て、銀時は満足気に微笑んだ。
「一杯飲んで大きくなるんだぞー」
ぴちゃぴちゃと音を立ていちご牛乳を夢中で舐める猫の十四郎を、銀時は愛しそうに見つめる。
「とうしろう」
それは銀時が勝手につけた名前。
名前を考えた時、これしか思いつかなかった。
というより、彼自身がこの名を声に出して呼んでみたかったのだ。
不器用にいちご牛乳を飛ばしながら必死に舐めるので、十四郎の鼻やひげのまわりが白くなっていた。
その様子が何とも愛らしく、銀時は目を細めた。
銀時の注いだいちご牛乳が無くなる頃に、遠くで予鈴が鳴り始める。
いつもどおりのタイミングだった。
「じゃあ、また明日な、十四郎」
満腹そうな猫に手を振って、いちご牛乳のパックとエサ皿を手に立ち上がる。
銀時が裏庭を出る時に振り返ると、十四郎の姿はそこにはもう無かった。
急いで教室に戻ると、同じクラスの土方が銀時を待っていた。
広い教室にいるのは、土方一人だけ。
彼は不機嫌そうな様子で、両腕を組んで机の上に軽く腰掛けていた。
銀時が教室に戻ると、土方が同時に机の上から降りる。
「あれ、土方。皆はどうしたの?」
がらんとした教室を見回して、銀時が小首を傾げる。
その問いも終わらぬうちに、土方が怒るような強い口調で銀時に向かう。
「遅せェぞ坂田、どこ行ってた!次の授業の教室が変更になったから、待っててやったんだ」
「そんなの黒板に書いとけば分かるのに」
「うるせえ、ほら行くぞ!もう本鈴、鳴っちまう」
土方に急かされながら教科書やノートを引っ張り出し、慌てて教室から飛び出す。
二人で廊下をバタバタと走りながら、銀時が唐突に言った。
「あー、さっきは・・・どうも・・・」
「あぁ?何がだ」
「いや、別に、何でもねーよ」
土方が教室で待っていてくれたのが嬉しかった。
それを告げたいような気がしたが、いざ実行してみると口が裂けても礼なんか言いたくないと思う。
銀時にも自分の気持ちが分からない。
自分は土方のことが好きなのだと思う。
少なくとも、黒っぽい猫に彼の名前を付けてしまうくらいには。
こんな気持ちは気付きたくなかったし、土方になんか絶対に知られたくない。
土方はただの喧嘩友達なのだから。
「十四郎、大丈夫かな・・・」
あくる日、銀時は昼休みを友人に拘束され、裏庭へ行くことが出来なかった。
午後の授業中は猫の十四郎が腹を空かせて自分を待っているのではないかと焦って過ごした。
ようやく放課後を迎え、終礼が終わるや否や銀時は裏庭へと駆け出した。
「十四郎、遅くなってわりィ!」
裏庭の定位置にエサ皿をカランと置くと、その音を聞きつけた十四郎が何処からともなく現れた。
いちご牛乳が注がれるのを待ちきれずに、まだ空のエサ皿に顔を突っ込む。
「あ〜、よっぽど腹減ってんだな」
悪ィ悪ィと何度も謝りながら、銀時がいちご牛乳をエサ皿に注ぐ。
ぴちゃぴちゃと小さな音を立て、十四郎が必死に白い表面を舐める。
「こっちの十四郎も、俺を待っててくれるんだな。ありがとな」
エサ皿に顔を突っ込む十四郎の背中を見つめ、思わず口元が綻ぶ。
土方には言えない感謝の言葉も、猫になら素直に言える。
その時、いちご牛乳を舐める事に夢中のはずの十四郎が、弾かれたようにハッと顔を上げた。
よく聞こえそうな耳が、ピンと立っている。何かの物音を聞きつけたように。
「・・・どうした、十四郎?」
銀時が問うと同時に、十四郎は身体を起こしてエサ皿の前から離れる。
戸惑う銀時の横を足早に猫が通り抜け、角をスルリと曲がって、小さな後ろ姿が消える。
「十四郎!?」
声を上げると、角の向こう側からなんと返事があるではないか。
「銀時、いたいた。おいで」
男の声だった。その声は、優しく銀時を呼んでいる。
「と、十四郎が喋っ・・・・・・?イヤイヤイヤ、誰だ!?」
銀時が目を丸くして立ち上がる。角の向こうにいるのは一体誰なのだろう。
「ほら銀時、今日のゴハンだ。一杯食えよ」
その男の声には聞き覚えがあった。
周囲が喧しい休み時間ですらも、何故かそれだけ拾うように聞こえてくるほど好きな声。
何故その男の声が此処で、しかも自分の名を呼ぶのだろうか。まったく理解できない。
−−− まさかアイツが、ここにいるのか・・・?
銀時も先ほどの猫と同じように、弾かれたように足を踏み出していた。
猫の十四郎が消えた角を曲がると、そこは明るく太陽の光の降り注ぐ日向だった。
日陰との光量の差に思わず目が眩み、動きが止まる。
明るさに目が慣れると、足元には猫の十四郎がいた。
日陰で見ていた十四郎はまるで黒猫のような色だったが、こうして明るい光の下では表面が輝くような白い毛に見えた。
一瞬、違う猫かと見間違えそうになる。
しかしよく見れば十四郎だと分かる。青灰の毛は変わらない。
目の前では十四郎が背中を丸めてもしゃもしゃと何かを食べている。
そしてその猫の横に、しゃがみ込んだ一人の生徒。
ぽかんとした表情で銀時を見上げるその人は、クラスメイトの土方だった。
「坂田?」
「土方?」
「「お、お、お前・・・・・・なんで・・・・・・・・・」」
お互いにそう呟く。聞きたい事があるはずなのに、次の言葉が紡げない。
しばらく二人で顔を見合わせて呆けていたが、猫がニャーと鳴くと、次第に意識が混乱の果てから戻ってくる。
「・・・ああ、おかわりか?」
土方が猫の鳴き声に答えるように、手にしていた蟹蒲鉾を裂いて与える。
それを猫が夢中になって食べる様子を見て、銀時がムッと口を尖らせる。
「何、お前エサやってんの?俺なんか毎日いちご牛乳やってんだから、邪魔すんなよ。俺の猫だ!」
「俺だって毎日放課後に蟹蒲鉾とかソーセージとかやってる。テメーこそ邪魔すんな。俺の猫だ!」
猫は与えられた蟹蒲鉾を歯で裂いては数回噛んで解し、ごくりと飲んでしまう。
1本をあっと言う間に平らげ、土方の手にある次を催促している。
「ところで土方、さっき俺のこと呼んだだろ?」
「・・・ッ、・・・んでねェ!!呼んでねェ!!」
ぎくりと身体を強張らせ否定する土方に、銀時が機嫌を損ねる。
確かに聞いたのだ、彼が自分の名を呼んだのを。
普段は苗字で呼ぶくせに、突然下の名前で呼ばれ、心臓が止まるかと言うほど驚いたのだから間違いない。
確か、「ほら銀時、今日のゴハンだ」と言っていた。
−−− 今日のゴハンって、何だろう。蟹蒲鉾のことか?
もしや、土方も自分と同じことをしているのではないだろうか。それは直感だった。
「・・・ま、まさか土方!猫に俺の名前付けてたってこたないよな?」
「く・・・、悪いか!ちょっとお前に似てたんだよ!」
言い当てられた土方は顔をカッと赤くした。勢いに任せ開き直ると聞いてもいない言い訳をする。
手の中にある3本目の蟹蒲鉾を猫の足元へ放り投げると、ゆっくりと立ち上がり、銀時と向き合った。
「白い毛色とか、食いしんぼうなとことか、日向ぼっこすっとすぐ寝るとことか・・・お前に似てたから付けたんだ!」
「はあ?どこが似てるんだよ!大体なァ、十四郎は白くねーんだよ!どっちかっつったら黒いんだよ!」
「何で俺の名前がそこで出てくるんだよ・・・あ、まさかお前ッ」
「いやッ、違うからね、そーじゃないからね」
「俺まだ何も言ってねーよ!お前こそ猫に人の名前付けたんだろとか、言ってねーよ?」
「言ってるし!だから違うって、そーじゃないって、誰が猫にお前の名前なんかッ」
二人が揉めている間に、与えられた蟹蒲鉾をたいらげ満腹になった猫が、そそくさと茂みの中へと帰っていく。
「あっ・・・銀時!」「十四郎!」
思わず同時に猫に向かって呼びかけると、まだ何か貰えるのかと立ち止まって振り返る。
しかしそうではないと悟ると、何の未練もない様子でひょいと花壇の奥へと消えてしまう。
反射的に呼んでしまった名前だけが静かな裏庭に響いた。
残された土方と銀時は気まずさで息苦しく思った。
何故猫に彼の名を付けたのか。
考えずにはいられない。まさか自分と同じ理由だとしたら。
おわり。
20090116
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