春夏秋冬が過ぎるのは早い。


銀時と一緒に高校へ進学した昨年の春。

胸が希望でいっぱいだった。

努力が実り結果に繋がる喜び。

大切な幼なじみと一緒にいられる喜び。

穏やかな日差しも、美しい桜の花も、そして俺の隣にいた銀時も、何もかもが自分のものになったような気分だった。

あの時の満ち足りた気持ちを甘酸っぱい気持ちで思い返しながら、俺は再び満開に咲き誇る校庭の桜並木を見ていた。

あっという間に1年が過ぎた。

俺たちは、順調に高校2年生に進級したのだ。




新学期の初日にクラス替えの発表があった。
しかし俺と銀時はクラスが全く変わらず、校舎自体が離れたままだ。
そのかわり、俺は近藤さんと同じクラスになった。

2年と3年の間はクラス替えがなく、俗に言う持ち上がりというやつだ。
残念だが、3年間銀時と同じクラスになることはないのが確定した。
しかも、校舎が本館と別館に分かれたまま。


縁がないのかもしれない。

もう止めておけと、運命はそう俺に助言しているんだろう。


都合よくそう考えて、俺は出来るだけ銀時のことを考えずに過ごそうとした。
そうだ、俺さえ悩まなければ銀時の存在などここからは見えないのだ。
目に入らなければ、自然と忘れていけるかもしれない。
俺ばかりが、執拗に銀時にこだわっているだけだ。

共通の友人もいないので噂を聞くこともないし、校舎が違うので廊下ですれ違うこともない。

俺さえ考えなければ、忘れていられる。
思い出さずに済む。




-----------ところが。




今年からはそういうわけにもいかなくなったのだ。
俺が聞きたくなくても、銀時の情報を流してくる奴が現れてしまった。

それも、わざわざ俺が気になるようなことを言う、性格の悪い野郎が・・・



そいつは沖田総悟という名前で、今年の新入生だ。



小柄ではないが俺よりも背が低く、肌も白い。
金髪に近い明るい茶髪の襟足を長めにしていて、その瞳は大きくて、丸い。
可愛らしい顔つきをしているので、女子には人気がありそうだ。

可愛らしい顔つきと言ったが、時々鋭い・・・というか悪どい目をしたり、人の話を聞いていない事もある。
聞かないどころか、わざと人をおちょくり騙そうとしたりする、腹黒い奴だ。

それでも、剣道の腕前は相当なものらしく、中学生のころから有名だった。
俺もかろうじて顔と名前を知っていたし、近藤さんとは既に親しいようだ。

この高校の剣道部は、中学生の剣道大会の試合プログラムなどの冊子にも、高校名で広告を出していた。
それなりの知名度があるので、剣道の好きな奴が集まってきているらしい。
沖田も多分そのクチだ。
当然剣道部に入部してきた。期待の新人といった扱いだ。

さらに、近藤さんに懐いて風紀委員にも入ってきやがった。



沖田はかなり図々しい性格で、俺を先輩として立てているように見せかけて、実のところ全くいう事をきかない。

俺をおちょくるのが生きがいだとかほざきやがる。

こんな奴にたじろぐような俺ではないが、面白くないのでいつか仕返ししてやろうと思う。


後に分かったのだが、沖田がやけに俺につっかかって来るのには、一応、理由があったのだ。





沖田には姉がいて、この高校にいるらしい。

しかも俺たちと同学年、銀時と同じクラスなのだそうだ。
俺は新館校舎の方には殆ど行かないので、知らなかった。
どうやら、銀時とも親しいらしい。


この「沖田の姉」こそが、俺と銀時の運命を大きく動かしたのだ。
運命というものはどこでどうなるのか、分かったもんじゃない。
決まっているのだろうか。
もし、予め決められているのなら、なんとかして変えてしまえないものだろうか。


ある初夏の日、俺は珍しく銀時に呼び出されて放課後に待ち合わせをした。
久々にゆっくりと会えるのが、単純に嬉しかった。
以前までは当たり前に毎日会っていたのに、今ではなぜか少し緊張もする。

放課後の校門前で待ち合わせた。
俺の部活の無い日を選んでくれた。実は委員会はあったのだが、他のヤツに引き継いで欠席した。
約束の時間はきっちり守る性分ではあるが、今日は特に早く着いてしまった。
ぼんやりと校庭を眺める。
いくつかの運動部の連中がバラバラと校庭に集まってきている。
それを見て、昔の銀時をふと思い出していた。

小学校の頃の銀時は、体育が好きな奴だった。
走り回るのも、ボールを投げたり蹴ったりするのも、楽しそうにしていた。
いつからだろう、中学生くらいだろうか、銀時は運動嫌いになった。
その頃、人より早く女と付き合い出したし、夜の繁華街に出入りも始めた。
あいつは誰よりも大人びていた。
周囲の奴らが、さぞガキっぽく見えただろう。俺もその内の1人かもしれない。
色々な事を、面倒くさがるようになった。
手を抜く事を覚え始めたのかもしれない。
要領良く生きようとしているのだろうか。それで今も自由に生きているのか?
あんな死んだ魚のような目なんかしていなかったのに。

「お待たせトシ、早かったな」

死んだ魚のような目をした待ち人が、軽く微笑んでやってきた。
小学生、中学生の銀時を思い出していたので、突然成長した姿が目の前に現れて、ハっと現実に引き戻される。
そして同時に、その姿に懐かしさも感じた。
やはり、銀時は銀時だ。この独特の雰囲気は変わらない。
俺にとってはホっと安心するような、愛しい懐かしさだ。

一緒に帰宅するつもりでいたが、この後バイトがあると銀時が言うので、駅前のファーストフードへ寄った。
ハンバーガーとポテトを食べながら、いよいよ本題を切り出してきた。
銀時の話とは、沖田の姉の話だ。
わざわざ呼び出してまでするような話だろうか、俺は怪訝に思った。
一方銀時はかなり真面目な・・・素の顔で話しをしていた。

こいつの真面目な表情は珍しい。

普段はやる気があるのか分からないような力の抜けた笑い顔をしているし、時々険しい表情で怒ることもある。
常に表情はころころと変わり、見ていてあきない程だ。
銀時はいつでも、どこでも、存在自体がムードメーカーである。
しかし実は、あいつの場合は笑顔でも、目だけは冷静であることが多い。
だから、怒っても笑っても、あまり印象が変わらないし、まず本心が読めない。
本当に稀だが、時々見せるあいつの柔らかい嬉しそうな笑顔だけは、特別だ。
俺はその笑顔を引き出してやりたいと、ガキの頃から願ってきた。

そんな銀時の素の表情には、逆に重い意味を感じてしまう。
素の状態など、特に最近は俺ですらあまり見たことがない。
何が言いたいのだろうか。
つい、俺も真剣に聞いてしまう。

「俺のクラスにいる沖田ミツバなんだけどさ、お前、弟はよく知ってるよな」

「ああ、剣道部だし委員会も同じだしな・・・」

沖田の憎たらしい顔を思い浮かべて、苛々とした。アイツは思い出すだけで、腹が立つ。
そんな野郎の姉はどんな顔なのかと想像してみる。
顔は整っているかもしれない。沖田本人も顔だけはいい。
きっとキツイ性格してやがるんだろうな、あんな弟がいるくらいだから普通じゃねえだろう。

「総一郎君も新館校舎組だから俺もよく会うよ。結構いいやつだよねー」

ポテトを咥えながら銀時がさらりと軽く言う、が、俺はその一言を捨て置けなかった。

「総一郎じゃねえって。てゆーか、いい奴・・・いい奴だぁああ?」

「お前には総一郎君に嫌われる理由があるんだよ。それを今から教えてやろーと思ってさ」

沖田を総一郎と呼ぶのを訂正してみたが、銀時は改める気がないようだ。
それどころか「夜神総一郎君」とご丁寧にフルネームで言うが、一体誰なんだそれは!?

「ほお、わざわざ呼び出してか?なんかおかしいぜ。何が言いたいんだテメーは」

「回りくどいのが苦手だからズバっと言っちゃうけどさ。実はそのミツバちゃんがね、お前のこと好きなんだって」

「へ?」

そう言われても、俺は顔も知らない相手だ。
多分、会ったこともないだろう・・・一体なぜ、俺を?

「総一郎君の剣道・・・見に行った時に、何度かお前のことみかけて・・・だって」

銀時が俺の疑問に答えた。
とは言え、そんなこと聞いてもいないのだが、多分俺の顔に「何故」と書いてあったんだろう。
どんな女か知らないが、あの総悟の姉じゃあ・・・無理だろ。

まさか、これも総悟が俺をおちょくるための罠だとか・・・有り得なくはねえな。
まあそのために、銀時が出てくるのはおかしいか。
総悟は信用ならねえが、銀時まで疑うのはかわいそうだ。

それじゃあ、万が一、そのミツバとやらが俺を好きだとして・・・
姉が好きな相手だからっていう理由で、俺は総悟に嫌われてんのか。
あいつ、意外とシスコンなんだな。
いい迷惑だ。
そこまでは納得がいったが、だからといって総悟の振る舞いは許せなかった。

「それで、結局、なんだってんだ」

「うん、えーと、ミツバはいい子だよ。顔はすげー可愛いし、性格も優しくてしっかりしてて、まさに大和撫子ってやつだな。
ちょっと身体が弱いんだけど・・・守ってやりたくなるような感じでさ・・・とにかくいい女だから・・・その、うーん・・・」

銀時が自分のトレイを見つめながら、ポツリポツリと言う。
何故か表情は明るくないし、視線も下のまま俺を見ようとはしない。
喋る言葉もまるで自分に言っているかのように、声も小さく呟いている。

銀時はミツバのことを絶賛している。
なぜそうするのか、分からない。
そして誉めているのに、口調がとても憂鬱そうだ。

挙動不審、とはこういう奴のことだ。
何かおかしい。
銀時の言動が全く理解できなかった。

「ほお、それで何だよ。いい子だから・・・手を出すなって釘さしてんのか?」

目を細めてはっきりしない銀時を睨む。
意図の分からない銀時を挑発したつもりだが、当の本人は下を向いたままだ。
俺の鋭い視線には気づいていない。

「いや・・・そうじゃねえ、けど」

「まさか、いい子だから付き合えって言うのか?」

「・・・そう、言いたいんだけど、だめかな」

銀時がまた、ポツリとつぶやく。
俺には銀時の言葉の意味が、いまだに全く理解できずにいた。

「はぁ?会ったこともないのに、付き合えってどういう事だ」

「もちろん、ちゃんと紹介するぜ!会わせるから心配すんな!」

銀時がやっと顔を上げて俺を見る。
その顔は、怒っても笑ってもおらず、とにかく困っていた。
なぜそんなに、おろおろと慌てているのだろうか。

「当たり前だ。誰がンな事心配するか!」

ビシっと言ってやると、銀時は「そうだよなァ」と曖昧に頷いた。
俺の話など耳に入っていないようだ。
何か別の事を考えている雰囲気がした。

異性の友達を紹介する。
------まあそれは、よくあることだろう。
それを何故、こんなにうろたえたり、上の空だったりしながら、消極的にするのだろうか。
何を焦っているんだ、銀時は。

「お前が、どうして俺に総悟の姉を紹介するのかが、分からねえんだよ」

「ミツバにお前の事を相談されたんだ。マジにお前の事好きみたい。だから俺、ミツバの役に立ってやりたいと思ってさ」

やっと俺の方を向いたのに、また視線を宙に彷徨わせた銀時は、決まり悪そうにぼそぼそと語る。

「俺を紹介してくれって、頼まれたのか?」

「いや、ミツバはそんな事は言わない。ただ、俺が勝手に紹介してやるって・・・マジでミツバを応援してやりたいから」


ミツバの役に立ちたい?

ミツバって奴のために動いているのか、コイツは。

俺を紹介するって・・・自分に任せとけと見栄を張ってきやがったな。

ショックで目の前がぐらりと歪んだ。


そのミツバって女と付き合えと、銀時は本気でそう言っているのか・・・?


完全に絶句した俺に、銀時は慌ててフォローのための言葉をかけてくる。


「ミツバの事は知らねーだろうけどマジでいい子だから、きっと好きになるぜ・・・いや絶対、お前なら好きになるってマジ!
それがお前のためにもなると思ってさ、ふたりお似合いだよ、いいカンジ!」

普通、こういう状況だと男は喜ぶもんなのだろう。

しかし、俺の場合やりきれない脱力感が全身を襲う。
俺が好きなのは、この目の前にいるお前だってのに・・・・・・


その銀時から、女を紹介されちまうなんて、な。

俺の存在なんてそんなものだったか。


分かっていたことだが、肩ががっくりと落ちる。思わず深いため息が漏れた。
失恋の実感はまだ無い。
しかしそのかわり、何も考えられない。思考は止まったままだ。
身体中が重く沈んでしまいそうだ。
もう、何もかもがどうでもいい。

銀時は俺を恋愛対象に見ていないことは、たった今、ハッキリした。
確かにショックだが、それは覚悟していたことだ。
問題は俺だ。
俺はもう、銀時を諦められるのか?
これでもまだ、好きだとか想っていないか?

ちゃんと、銀時への想いを振り切るきっかけができた。
確かに銀時のことが好きだったが、諦めようとしているのだから。

前向きに捕らえればいいチャンスなのかもしれない。

運命はここでも、俺に「諦めろ」「もう止めろ」「引き際だ」と助言してくれている。

もう、どうでもいい。
なるようになれ。
これで、銀時を俺という危険人物から守れるし、銀時の見栄張りの役にも立てるじゃねえか。


俺は一度大きくため息をついて、なんとか冷静さを取り戻した。

「・・・そうだな、悪い話じゃねえかもな」

銀時に女を紹介されるというほどの、決定的な脈の無さ。
完全に気落ちした俺は、ヤケに近い気持ちでそう返答した。
近いというより、完全にヤケだ。


今まで張り詰めていた緊張の糸が、俺の中でプツンと音を立てて切れた。
ああ、本当に、もうどうでもいい。
疲れた。
考えることは後回しにしよう。
途方も無く巨大な喪失感が、俺を待っている。
今はまだそれに包まれてしまうわけには、いかない。

とりあえずこの場だけでも、やり過ごそう。
耐えろ。
冷静になれ。

俺は、自分の中で切れてしまった緊張感を、必死に取り繕おうとしていた。


「・・・マジで、ミツバに会ってくれる?」

「ああ、構わねえけど」

視線を彷徨わせていた銀時が、パっと俺を見る。嬉しいのだろうか。
そんな銀時の反応すら、苛立つ。俺は投げやりに答えた。

「じゃ、近いうちにセッティングするわ・・・サンキュな」

自分の提案が通った銀時はどんなに自信満々に晴々とした顔をしているだろう。
そう思ってうつむきがちなあいつの顔をじっと見た。
確かに笑っている。
しかしその笑いは嬉しそうなものではない。
困ったような顔をしている。
今も口元だけ微笑んだが、眉間に力が入って眉がハの字になっていた。

「それはいいけどよ、なんでお前そんな困ってんだ?」

「・・・困ってるって、俺が?」

銀時は俺の発言に驚いて目を見開いた。
意外そうだ。本人に自覚はないらしい。

「困ってるように見えるけど、俺には」

「そうかな・・・いや別に俺が困るような事はねーじゃん」

「俺とミツバってのが上手くいかなかったらお前が責任取らされんの?」

「まさか、そんなの仕方ないことだし・・・」

俺が銀時を茶化すと、また軽く笑ったがやはり表情がいまいち暗く、言葉の歯切れが悪い。
今日の銀時はずっと、様子がおかしいのが気になる。
話の内容と、銀時のテンションがかけ離れていて不自然だ。
本人に自覚がないのなら、体調でも悪いのだろうか。
もっと他に、心配事でもあるのかもしれない。

「心配すんなよ、どうなるか分かんねえけど、会うだけは会ってやるから」

銀時を慰めるつもりでそう声をかけてやると、銀時が今日のうち最も
・・・辛そうな顔をした。
眉間に深くシワを刻み、目を細め、唇を噛み締めていた。

「なんだ銀時、そのイヤそうな顔はよ。まさか嫉妬してんじゃねえだろうな」

「え・・・嫉妬・・・?」

俺の言葉に再び銀時が、ハッと目を見開く。

そして沈黙した。

点のように小さくなった銀時の紅い瞳は、焦点が定まらないかのように、ゆらゆらと揺れている。

噛み締めていた唇が薄く開き、そのまま閉じられずにいた。

しかしその唇は開いているのに、次の言葉が出ない。

何か言いたそうに喉元が動くが、声になって出てはこない。

銀時の身体が固くなり、ピクリともしなくなった。



・・・そんな銀時の一連の状態。あきらかに動揺している。




この驚き方、まさか本当に
--------------- 図星、か?



そして、俺自身も自分の言葉から、とある事に気づいてしまった。
銀時のこの驚き、戸惑い、動揺。
俺にミツバを紹介するのが、苦痛なわけ。
真剣だからこそ、納得できないこと。
本人も気づかない真実。


「銀時、お前・・・ミツバの事が好きなんじゃねえの」

「・・・好き・・・なわけ・・・・・・え・・・好き・・・なの、俺?」


銀時の小さな声が震える。


思いがけない自分の気持ちを知り、うろたえていた。

まさか、信じられない、そんなわけはない、そう銀時の顔に書いてある。

しかし否定しようにも否定できない。

そんな銀時を初めて見て、俺もつられて緊張し息をのむ。



俺も銀時もお互いの言葉にショックをうけ、しばらく動きがとれずにいた。



ピンと張り詰めた空気が、俺たちのテーブルを支配している。

いつもならお互いを小馬鹿にして笑い話にするところだが、銀時の深刻そうな表情を見ると、俺にはもう何も言葉はない。

本当に、図星だったのだ。




「・・・・・・そんな・・・どう、しよう・・・」



銀時は小さくそう呟いた。
その後すぐに、俺のことなど目に入らないかのように黙って席を立ち、静かに店を出ていってしまった。

俺はいつもと全く違う銀時の様子を、ただ、呆然と見ていた。

それほどまでに動揺するなんて、よほどの事だろう。


それもそうか。
失恋したようなものだからな。


俺は銀時に失恋しちまったし、銀時はミツバに失恋しちまったということだ。

きっとミツバの喜ぶ顔が見たくて、役に立ってやろうとおせっかいを買って出たのだろう。
お調子者で頼られるのが好きだった銀時のことだ。
好きな相手の前なら、どんな大風呂敷でも広げちまうだろう。
その女の前で、得意げに笑う銀時の顔が目に浮かぶ。
全く、馬鹿な奴だ。

そして、あいつはやっと今、気づいたんだ。
好きな女の、ミツバの望みを叶えてやるということは・・・つまり自分の失恋だと。
あの動揺の仕方だ。
きっと銀時は本気になっていたんだ。
本気でその女の事が・・・好きなんだろう。
俺のことをどう思っただろう。
憎い恋敵と思ったか。板ばさみになったと思ったか。

今ごろ、またオロオロとしているだろう。
かわいそうだな。

----------でも大丈夫だ、銀時。


俺とミツバはまだ何もないのだし銀時に脈がないわけでもない。

アイツが俺を紹介しなければいい話だ。

それからゆっくり、口説いていけばいい。

今までママゴトのような形ばかりの恋愛をしてきた銀時が、ついに本気になったのだ。



・・・俺は銀時の本気を、応援してやれるだろうか。

俺の願いは、あいつの「幸せ」だったはずだ。

今こそ、応援してやれなくてどうする?


・・・まだ、無理だ・・・。

銀時が誰かのものになってしまうなんて。

あいつの心が、奪われてしまうなんて。

信じたくない。

いつかこんな日がくるなんて事は、小学生の頃から知っていた。

あいつを好きだとハラをくくったその時から、覚悟していたはずなのに・・・。

全身の力が抜け、今までピリピリと張り詰めていた神経が弾け、気分が重く憂鬱だ。何もしたくない。

ぽっかりと胸に真っ黒な穴が開いてしまったかのようだ。

こんな大きな喪失感。挫折感。疲労感。

1人で受け入れられるだろうか。

耐えられるだろうか。


目の前がくらくらと揺れ、視界が暗くなる。目の前は闇。
俺はたった今の出来事が信じられなくて、暫く動けなかった。


季節は夏だ。
窓からは夏特有の強い日差し、遠くにセミの音。
店内の客の賑わい。夏らしいアップテンポなBGM。
揚げ物用の安い油の臭い。

店の中は、さっきも今も、まったく変化はない。
それなのに、突然、寒くなった。

夏なのに、何故か身体が冷えて、寒い。
背中がぞくぞくとして、全身に鳥肌が立った。

小さな震えが止まらない。


心臓が痛いほどにバクバクと鳴る。
喉から吐き出してしまいたいほどに、膨れ上がっているような錯覚を起こす。

激しい鼓動音が喉を通りすぎた。
まだまだせりあがってくる。苦しい。

鼓動が大きすぎて、何も聞こえない。割れそうに痛い。
この心臓を吐き出したい。

熱い刺激が喉をまたせりあがってくる。
抑えても抑えても、何か大きなものが、俺の喉を押し広げて、口までのぼってくる。

口まで来たのなら、吐き出してしまいたい。
でも、何も出てこない。

何も出てこないのに、何かがまた身体の奥から上がってくる。
一体何が起きているんだ。分からない。
とにかく、喉が痛い。

身体は寒くて、今だにカタカタと震えていた。
それなのに喉ばかりが、熱く熱く乾ききっている。
焼け付いている。


少し空いた唇から漏れるのは、浅い浅い呼吸のみ。


息も苦しい。

胸も苦しい。

喉も苦しい。

何もかもが、苦しい。


息を吸っても吸っても、肺に入らない。


何度も呼吸を試みるが、上手くいかない。

普段は、どうやって息をしていたんだろう。

思い出せない。


苦しい。

酸素がほしい。

喉が渇く。

喉が痛い。

鼓動が激しい。

身体の震えが止まらない。

何も聞こえない。



店の中なのに、真っ暗だ。


また、胸の辺りから、熱く刺激のある何かが、せりあがってくる。


これは何だ。
「これ」がくるたびに、苦しくなる。

「これ」が気道を塞いでしまい、息も苦しい。
そのせいで、さらに呼吸が浅く、荒くなる。



うつろになった視界。

眩暈がしたので、一度瞳を閉じる。



ファーストフードの店が消え、優しい闇が広がる。



ああ、目を閉じると、落ち着く。

冷静になれそうだ。



深い深呼吸が出来た。

そうだ、こうやって呼吸をしていた。




気持ちが軽くなった。

ゆっくりと、瞼を上げる。





目の前が明るくなった。
さっきまで見ていた店内の様子が、蘇る。


それと同時に、俺の目の前は、水の中のように揺らいでいた。

視界がおかしい。





もう一度、まばたきをすると、





-------俺の瞳から、一筋だけ涙が零れていた。








ああ、何度もせりあがってきたものは、涙だったのか。

気を許したら、溢れ出てしまいそうだ。


俺は唇を噛んだ。泣くなんて、おかしいだろ。


一筋だけこぼれた涙を、手の甲で乱暴にぬぐい、俺は席を立った。



つい先ほど、銀時が茫然自失になりながら帰っていった出口を目指した。
あの時の銀時の気持ちを想像しながら、途中まであいつと同じ道を通って、俺は帰路についた。


店の外は日差しとアスファルトからの照り返しで、熱風が吹いているようだ。
道行く人々は誰も例外なく、汗だくだ。
そんな中、俺だけは、冷えて凍りついた身体が溶けていくような心地よさを感じていた。


夏の暑さのおかげで、やっと震えが止まった。





この後、しばらく銀時と会うこともなかった。
銀時からは何の連絡もない。

やはりミツバと会うという話も立ち消えたようだ。
この状況でミツバと付き合えと言われても困るだけだし、好都合だ。


その代わり、総悟から「土方さん、あんた冷たい人ですねィ」と訳の分からない苦情を受けた。
きっとミツバは「土方はオマエと会わないし、付き合わない」と、銀時からそのような事を告げられたのだろう。
総悟の嫌味はいつものことなので、聞き流した。

言葉の意味が妙に気にはなったが、追求したところでいいことはない。


銀時から連絡もなく、ミツバと会うという話が無くなった。
そのことで、やはり銀時がミツバに本気だったのだと思い知った。

本気でなければ、あいつの面子もあるし、ミツバと会う流れになるだろう。
銀時は、俺にミツバを渡したくないと、そういう意志を持ったってことだ。

分かっていたことだ。
覚悟はできていたハズだが、やはりショックを受けた。


彼女が出来ても本気にならなかった銀時だからこそ、
アイツが本気になった時はどれだけショックを受けることだろう。
昔からそんな事を考えて、恐ろしく思っていた。



今がまさにその状態なのか?

現に今、俺は落ちこんでいる。



銀時のことは諦めるのだとあれほどまでに強く決めたのに、まだまだ未練があるらしい。

未練があるというか、未練しかない。




叶った想いなどひとつもないのだから。


今になって、銀時のことを愛しく思ってしまう。


俺は救いようのない馬鹿だな。






ある日の放課後、風紀委員の集まりの後。

「おい、どうしたトシ?最近元気ねえな」

近藤さんが、ここのところ全く覇気のない俺を心配して声をかけてくれる。
この人のこういう、何気ない自然な気配りはいつも絶妙のタイミングだ。
これも一種の才能だろう。
俺にはないものだ。

悩みを相談したって仕方がないと思いつつ、近藤さんには聞いてほしくなってしまった。
つい、ポツリポツリと悩みを打ち明け始める。
勿論、銀時の名前などは出さずに。

「幼なじみで・・・ずっと好きだった人がいたんだが、ついにアイツにも好きな人が出来たらしくてな」

「へえ、トシもそんな事で悩むんだな」

近藤さんが手を顎に添えて、ウンウンと大きく頷く。
この大きなリアクションが気分よくてつい、もっと話したくなってしまう。
聞き上手っていうのは、こういう人のことだろう。

「俺はアイツの事を見守って、大事にしてきた。アイツの幸せを1番に考えていたつもりだ・・・
それなのに、我侭かも知れねーが、他人のモノになるのは、やっぱイヤなんだ」

「好きなんだろ、当たり前だ。告白してお前のモノにしてやればいいさ」

「俺のモノにはならねえ・・・告白しても100%フラれる。詳しくは言えねーけど、そういう条件がそろってんだ」

「随分難しく考えているようだが、お前が悩んだって結論は出ないぞ。男ならちゃんと告白して、ちゃんとフラれて来い!!
悩むのはそれからだ。それでも諦めきれないんなら振り向かせてみろ、お前なら出来るだろ?」

「近藤さん、あんた本当に男らしいな」

「俺だって、好きなお妙さんには何度フラれたか分からん。しかし俺は諦めない・・・お妙さんの為にもだ!
・・・だってよ、女ってのは愛するより愛された方が幸せなんだって母ちゃんが言ってた!」

近藤さんは同じ学年のお妙に惚れこんでいる。
それはもう、ストーカー並の惚れこみ方だ。
ていうか、ただのストーカーだ。

お妙と俺は小学校が同じだった。そして偶然、高校も同じになった。
今ではあまり親しくはないが、存在が目立つのでよく知っている。
ガキの頃は、九兵衛がお妙を好きだと言っていたが、あれから進展はなかったようだ。
心の中でひっそりと応援していただけに、少し残念に思う。
--------風の噂だが九兵衛は、ちゃんとした「女の子」になったらしい。
いや、なったというか、「目指している」と聞く・・・大丈夫なのだろうか。



「・・・まあ、”愛される幸せ”ってのは、確かにいいモンかもな・・・」



きっとそれは銀時がほしがっているものだ。

ガキの頃から、あいつは愛されたがっていた。

いつでも、寂しそうだった。

愛される幸せ。

誰もが、それを得る権利はあるのに、銀時にだけは足りなかったのかもしれない。

俺が与えてやれたら・・・そう思うと、また切なくなる。



近藤さんも、たまにはいい事を言うじゃねえか。




そうだ。


告白してフラれちまうってのも、いいかもしれない。


そこで終わる友情だったら、所詮そんなものだ。


銀時には俺なんか必要ないってことだし、完全に諦めがつくだろう。






近藤さんのタフさが心強い。
俺が悩み過ぎた。

いつか、はっきりと、気持ちを伝えてみよう。

今じゃなくても。

あいつの本気の恋愛を見守りながら。


あいつが受け入れてくれなくとも、もしかしたら、”愛されている幸せ”を、少しでも感じてもらえるかもしれない。

俺にできることをしてやりたい。

少しでも幸せを与えてやりたい。



小学生の時に言い損ねて後悔した言葉がある。

「お前の事を好きな奴も、一杯いるんだ」と、そう言ってやりたかったんだ。

あの頃は、ガキだから上手く伝えられなかった。

きっと、今なら言える。

きっとあいつは知らないだろう。

教えてやろう。

どんなに愛されていたのかを。

もう寂しがることはないのだと。



それだけ、ちゃんと伝えられたら、俺の役目は終わりだ。

俺の役目は銀時を守ること。

銀時を幸せにしてやること。

本当は・・・ずっと側にいたかったけれど・・・。




近藤さんのおかげで、

気持ちが軽くなり、視界がひらけた気がした。




俺にはもうひと仕事、残っているんだ。



寂しがり屋なあいつに、「好きだった」と伝えてやること。

一瞬だけでも、温かい気持ちにしてやれたら、それで充分だろ?



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