秋の文化祭当日。
時刻は、午後2時を過ぎた頃である。
雲ひとつない青空、とても穏やかな昼下がり、少し空気が冷えてきた。
文化祭は今のところ事件もなく、皆が楽しそうに盛り上がっている。
・・・事件もなく・・・と、言ったが、俺にとっては大事件があった。
幼なじみで、親友で、不真面目で、女たらしの銀時が、セーラー服を来て女装したことだ。
ノリやすい奴なので、面白いとあればコスプレくらい平気でするような気はしていた。
女装にはかなり驚いたが、まあ条件次第ではやるだろうな。
実際にセーラー服の下にタオルで巨乳を作り、あちこちに愛想笑いを振りまくのが楽しいようだ。
バカな事をしやがって!
俺としては、つい憤ってしまうのだが・・・そこまでは、まあ、分からなくもない。
大事件っていうのは、ここから先だ。
銀時の女装が、あまりにも似合っていたことだ。
シャレにならないほど、可愛い。これは、反則だろう。
納得いかないが、化粧がまたよく合うのだ。
なんだか女のいい香りまでしやがる。
目の前がクラクラする。
マジに、胸が高鳴ってしまう。
そんな自分が-----------本当に情けない。
銀時は冗談のつもりで、笑わせるつもりで女装しているってのに・・・。
確かに、惚れているという贔屓目はあると思う。
しかし、きっと・・・誰が見たって、あの出来栄えはかなりイイと思うはずだ。
男だったら、一瞬目を奪われてもおかしくねえ。
特に面食いの奴なら、なおさらだ。
このセーラー服姿を見て、銀時をイヤらしい目で見る奴が出てきたらどうする!
あれこれ想像されたらどうする!
変態野郎に無理やり襲われたりしたらどうする!
そこまでいかずとも、銀時が色んな奴に見られているっていうだけでも、腹が立つ・・・
しかし銀時のことだ。
変態野郎なんかに注目されても、大して気にはしないだろう。
中学生の時、別れた女がストーカーになった事もあった。
あの時ですら、アイツは全く気にしていなかった。
そのくらいの神経の持ち主だ。
もはや、銀時がどう思うかは別の話だ。
・・・問題は、俺だ。
あいつが実は綺麗な顔をしているなんてこた、俺だけが知っていれば良かったんだ。
それをわざわざ体育館でのショーになんか出て、全校生徒に教えちまうなんて。
はっきり言って、嫌だ。
俺の心の中では、再び葛藤がおこる。
銀時のことは諦める覚悟でいるのに。
あいつには好きな女がいるのに。
女装してステージに立つというだけで、何をこんなに苛々するんだ。
激しい嫉妬心。
危機感、独占欲。
もう銀時のことは放っておけばいい。
俺がここでヤキモチを妬いて、だからどうした。何も変わらないだろう。
そもそも、ヤキモチなど妬ける立場ですらない。
俺のモノなんかじゃないのに、人前に出すのが嫌だなんて、ぜいたくなことを考えているもんだ。
俺の考えすぎだ。
落ち着け。
冷静になれ。
怒ることはないだろう。
何を真剣になっているんだ。
せっかく無くなりかけていた俺の心の中の火種が、チリチリと赤く燃え始める。
再び大きな炎になってしまう前に、早く消さねえと大変なことになる・・・。
----------これが俺にとっての、文化祭の「一大事件」だ。
いよいよ、そんな銀時たちのショーが始まる。
俺と総悟、そして銀時と桂の4人で、中庭から移動して体育館へと入る。
出演者である銀時たちはバックステージに、俺と総悟は客席に向かった。
すでに目玉イベントのファッションショーは始まり、かなり盛り上がっていた。
でかい音量でドンドンと重低音のうるせえ音楽、赤、緑、青、白が目に眩しいだけの照明。
安っぽい体育館のステージが、派手に演出されている。
こんなとこにいるだけでも、疲れちまう。
総悟が珍しく率先して中に入り、暗い客席を歩きまわって空いているイスを探す。
なんとなく総悟に釣られて体育館になど入ってしまったが、本当ならこんな事をしている場合じゃない。
風紀委員として、校舎内の見回りをしねえと。
俺には、俺の仕事があるんだ。
席さえ空いていなければ、こんなお遊びは引き上げるつもりだった。
しかし混んでいる中でも、総悟がいい具合にふたつ並んで空いたイスを見つけやがる。
総悟がそこに座り、俺も強引に隣へ座らされた。
分かっている。
これも総悟の嫌がらせだ。
女装した銀時がステージに上がるサマなど、俺は見たくもない。
だからこそ、総悟は何としても俺の目の前に突きつけてやろうと、気合が入っているわけだ。
まったく、ふざけた野郎だ。
無理やりにでも引き上げる事は出来る。
しかし、ここまで来てしまうと俺も事の成り行きが気になってくる。
見たくもないが、銀時のことが・・・やはり心配だ。
総悟のたくらみどおり、俺はステージを見るはめになった。
「こんな下らねェもん、観てる暇はないんだが・・・」
俺が機嫌悪くブツブツ文句を言うと、隣の総悟がにやにやと笑った。
「銀時さん可愛かったですねェ・・・さてそんな銀時さんがこれから、これだけの人の目に晒されちまうわけですねィ」
「テメー・・・知ってたんだな、ずっと前から銀時が女装するって・・・まさか、このステージを勧めたのも?」
総悟を睨みつけると、俺から目を逸らして、ステージを見ている振りをしやがる。
しらじらしい、絶対にわざとだな・・・。
・・・こいつか、元凶は。
まったく、いい度胸してやがるぜ。
ノリやすい銀時を持ち上げて、けしかけやがったな。
まさか、それも・・・俺を痛めつけるだけだけに?
何なんだこいつは・・・恐れ入るぜ、全く!
銀時の女装は、正直なところ俺の理解を超える色気があったからな・・・。
総悟の狙いどおり、俺はマジでまいっちまった。
元々、銀時のことは好きだった。
しかし銀時だけは邪な視線で見たりしないように、自分を抑えてきた。
男を抱きたいなんて、ただの変態だ。
俺はそうじゃない。銀時だから、好きなだけだ。
・・・銀時を抱きたいわけじゃねえ・・・・・・
今回、そんな我慢が無理やり崩されてしまった。強引に欲望を呼び起こされたようなもんだ。
銀時のことだけは、そんな目で見たくなかったというのに。
あんな姿でステージに出たら、絶対に注目される。
如何わしい男子生徒どもに、イヤらしい目で見られたりするんだ。
絶対に許せねえ。
どうしても嫌だ。誰にも見せたくねえ。
出来ることなら、今からでも銀時を捕まえて、どこかに隠してしまいたい。
焦る気持ちが、治まらない。
どうせ女装するならもっと気持ち悪くしやがれ!
無駄に可愛くしてんじゃねえよ!!
所詮オカマなんだ、笑いをとる方向で行けよな!!!
苛立ちながらステージを睨む。
腹の底が、だんだんと熱く煮えくり返ってくる。
ここにもまた「苛々ゲージ」があるとしたら、俺のゲージにはまたひとつ、ポイントが加算されたところだろう。
このゲージ、あんまり貯め込むと、マジでハゲそうだぜ・・・・・・
体育館の特設ステージは明るいライトに照らされ、モデルの生徒たちが手作りの奇抜な衣装で出てくる。
何人ものモデルを見せられたあと、拍手と歓声、そして多少の野次の中、ファッションショーは無事に終わった。
時間も夕方に差し掛かり、文化祭を訪れた客、運営している生徒たちのボルテージも最高潮に盛り上がってきた。
どうやら、頃合いだ。
大歓声と共に「特別仮装ステージ」が始まる。
クラスの出し物が終わった生徒たちも駆けつけて、体育館は満員御礼の立ち見まで出る状態となった。
ふざけた催しだけあって、笑い声と野次ばかりが観客席を取り巻く。
ワァァァっと歓声が上がり、最初の仮装者がステージに出てくる。
ステージの奥から手前まで歩き、手前で一発芸をするのがお約束のようだ。
衣装も気ぐるみからコスプレ、筋肉自慢の男子生徒は裸に近いような格好まで様々だ。
仮装がメインというより、一発芸で笑いをとるのが目的なのだろう。
ただでさえもテンションの上がる文化祭で、これだけの人数を集めたらそれは嫌でも熱気が違ってくる。
ステージ上の芸が面白いとかつまらないとかそんな事は関係ないらしい。
むしろつまらない方が、観客席からの野次や怒号で、返って盛り上がっているようだ。
「チッ・・・くだらねェ」
俺は機嫌が悪いまま、冷めた気持ちで眩しいほど明るいステージと、異常に湧き上がる観客席を見つめていた。
こんな時こそ、風紀委員が取り締まるべきじゃないのか。
俺はこんなとこで何やってんだか。
銀時の出番だけは、一応見てやって、終わったらここを出よう。
腕を組んでしかめっ面をしていると、総悟が周囲の騒ぎ声に負けないように大声で話しかけてくる。
「銀時さんのー、出番はー、次くらいですぜェェ!」
その言葉のとおり、ステージ上に、セーラー服の女子が二人現れた。
観客席は何が何だがわからないまま、とりあえずセーラー服に湧き上がり歓声や野次が起こる。
桂は観客のことなど無視して、黙々とステージを奥から手前に向かって歩いてくる。
やはり真面目なのだろう。それでもあんな格好をするのだから、不思議だ。
銀時はというと、野次にいちいち答えて、手を振ったりスカートの裾をぴらぴらと振る。
やっとこの二人が男子だと分かった観客席から、笑い声とヒューヒューという野次が増える。
銀時や桂を知っている生徒から「ギントキー!」「ヅラー!」なとどコールがかかる。
多分クラスメートなのだろう、その声の出たあたりに向かって桂が「ヅラじゃない!ヅラ子だ!」と返事をしていた。
・・・あいつは何で名前にこだわっているんだろうか。
一方銀時は片手を頭に、もう片手を腰にあててセクシーポーズをとってみせる。
するとその辺りの集団から、どっと笑い声が沸き、会場全体まで笑いが広がってくる。
ヤバイぞ・・・大ウケだ。
これじゃあ、さらに銀時が調子にのっちまうじゃねえか。
銀時は満面の笑みで楽しそうだし、観客席も大笑いでこの体育館全体、誰もが盛り上がっていた。
ただひとり、俺を除いては、だが。
銀時の女装は、本当に可愛かったし色気があった。
本当にガキの頃から色々な銀時を見てきたが、女装がここまでハマるとは考えたことすらない。
俺にとってまさに衝撃的だった。
ただでさえも銀時への想いを断ち切ろうとしていたのに、こんな姿を見せられたら嫌でも劣情を覚えるだろう。
いや、それは俺が変なのかも知れないが・・・しかしこれは、度を越している。
しかもこんな大勢の前で、惜しげもなく晒しやがって。
俺はただひとりで、この体育館にいる奴ら全員に嫉妬して怒っていた。
ふざけんじゃねえ!!全員ブン殴ってやりてええ!!
固く腕を組み、苛々しながらステージを睨みつける。
こめかみあたりから、血が吹き出しそうだ。
「土方さん、ほら、こっち来ますぜィ」
総悟が俺の腕を、肘で小突く。
「ぎーんとーきさァァァァん!!」
どんな時でも大声なんか出さないくせに、熱心に声を張り上げて銀時へ手を振る。
総悟がここまでするのは、俺への嫌がらせだ。
・・・とりあえず、今はコイツを一番ブン殴りてえ・・・
俺が一層渋い表情でステージ上の銀時を睨みつけていると、総悟の積極的なアピールが届いたらしく、銀時がこちらに気づいた。
銀時が前にかがむようにしてこちらに身を乗り出し、大きな仕草で、こちらに投げキッスを飛ばす。
・・・・・・俺に?
一瞬、ドキっとしちまった・・・アホか俺ェェ!!
慌ててそんな自分を恥じ、反省した。
しかし、俺の前後左右からもオオォと歓声があがる。
オイ!!テメェらに投げキッスしたわけじゃねーんだよ!!
勘違いすんじゃねーよ!!
てゆーか、本当は誰に向かってしたものでもないのだろうが・・・。
ムカッ腹が立って目の前のパイプ椅子をガッと蹴った。
前の席の男子生徒が驚いて振り返るが、俺の怒り狂った形相を見て、慌てて前に向き直る。
そんなに恐ろしい顔してたか、俺は・・・?
ステージの上の銀時は満足そうに微笑み、ついでにウインク。
何だこの手馴れたサービスの仕方は・・・
アイツかぶき町のバイトって、何してやがるんだ?
こんなステージを堂々と、腰をくねらせ足をクロスしながら歩く姿は、夜の街の雰囲気がした。
きっと銀時はふざけているつもりだろうが、シャレにならない色気がある。
俺は、すっかり脱力してしまう。
一体なんなんだコイツは・・・。
そういえば昔っから、注目されると調子に乗るタイプだったな・・・。
人前に出るのも好きだった。
仮装やモノマネなんかも、率先してやりたがったっけ。
華やかなステージを見ながら、俺の記憶が小学生の頃、学芸会で演劇に張り切っていた、小さな銀時へと飛ぶ。
・・・懐かしい。あのころは、俺も銀時も素直で元気だった。
家族や兄弟いなくて家で孤独だった分、学校ではより目立とうとしていた時期があった。
今では学校行事など、面倒臭がって参加しない事も多い。何しろ普段は死んだ魚のような目をしてやがる。
それでも注目されると張り切ってしまう性格は、変わらないようだ。
昼間校舎で会った時には、銀時の体の大きさとセーラー服に違和感があった。
それも、ステージ上だと体や顔は大きいほうがサマになる。
しかもあの堂々とした立ち振る舞いだ。舞台が狭く見えるほどに映えている。
女装した男子を指差して笑うというステージのハズなのに、周囲がだんだんと魅入られている雰囲気が俺にも分かる。
身体に響く重低音の音楽、目がチカチカするようなたくさんの照明、湧き上がる会場の熱気。
この全てが交じり合い、誰もが異常なまでにステージに集中する。
この空気がおかしい、冷静な判断を出来なくさせている。
銀時は右に左に蛇行して、愛想を振りまきサービスしていたが、桂はまっすぐ前に進んだ。
ステージの最先端のド真ん中で仁王立ちしている。
銀時が前に到着するのを待っているようだ。
勿論、桂も注目の的になっているのだが、まったくひるむ様子もない。
確かに人前に出るような奴は、おどおどしているより、堂々としていなくては見ている方が心配だ。
その点、桂も銀時もステージでもいつもどおりだ。
桂ってやつも、すげえ神経してやがる・・・。
俺はなかば呆れながら見ていた。
あちらこちらに愛想笑いをしながら銀時がやっと桂の隣に立つ。
ヒューヒューと口笛が聞こえる。
銀時と桂が目配せして、打ち合わせていたらしいグラビアアイドルのような、微妙なセクシーポーズをとる。
タオルで出来た胸の谷間を腕を寄せて強調したり、横座りして足を広げたり・・・。
お決まりのポーズに、ここで会場からドっと笑いが起こる。
桂のとるポーズは古めかしい雰囲気がするが、笑いをとる目的だとすると、ちょうどいいのかもしれない。
銀時はどんどん調子にのって、派手に足を広げたりする。やりすぎじゃねえか・・・?
ちょ、おい!!
いやいやいやいやお前、インリンはやめとけ、インリンはァァァァ!!!!!!
スカート短いから!!!!お前スカート膝上30センチだからァアァァァ!!!!!
会場からは意外にも、笑いより先に「オオオォォ」というどよめきが起こっていた。
オイオイオイ、何をどよめいてやがるんだお前ら!!
真剣に興奮してんじゃねえか!!?
ここは笑うトコだろうが!!笑えよ!!どよめくなよ!!
おかしい、みんなおかしいぞコレェェェ!!!!
マジもう見るな!!!
銀時を見るんじゃねええええ!!!!!!
心の中で、悲鳴にも近い怒りを叫ぶ。
もちろん、そんなもん誰も聞こえないのだが。
俺だけがステージではなく、慌てながら左右の観客たちを振り返ってばかりいた。
女子がキャーキャー騒ぐし、一部の男子が「もっとやれ」という汚い野次を飛ばす。
笑いと歓声が会場内を包む。
客席のあちらこちらから、デジカメのフラッシュが光るのが気になる。
俺の周りからも、カシャ、ピンポーン、キラキラキラといった携帯独特のふざけたシャッター音が次々に聞こえる。
オイイィィィ!!待てコラ!!
写真なんか撮ってやがるのはどこのどいつだァァァァ!!!!
「うっわーなんかエロイなー。俺も写真撮っておこ」
・・・という声が後ろから聞こえたので振り返ると、同じ風紀委員の山崎という奴がいた。
言うまでも無いがバドミントン部だ。
顔見知りだったので、遠慮なく問答無用でブン殴った。
「いってェェ!あれ、副・・・委員長!?」
「写真なんか撮ってんじゃねーよ!あれは俺んだ!!」
「なんスかそれ〜」
山崎が悲惨な声を上げる。
俺の隣の総悟がにやにやと、気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「へぇー、土方さんのものだったんですかィ。そいつぁ知らなかった」
「うるせえ!もうこんなとこ、出るぞ!!」
もうこれ以上、一秒だって見ていたくない。
会場内が沸き立つ中、俺は無理やり人を掻き分けて体育館から脱出した。
総悟も仕方なしに、俺の後を遅れてついてきた。
会場から出る頃ステージ上でも、銀時と桂が舞台袖にひっこんだところだった。
拍手喝采という状態だ。
俺は体育館を振り返ることもなく、肩を怒らせて足早に校舎へ入っていった。
文化祭では色んなことがありすぎて、俺はくたくたに疲れきってしまった。
結局、人気投票で賞品を貰えたのだろうか。
俺は投票しなかったので分からない。
そんなもん、知りたくもなかった。
ああ、本当に、疲れた・・・。
文化祭も無事に会期を終えると、またいつもどおりの日常が帰ってきた。
祭りの後というのは、余計に静かに感じてしまうものだ。
1限から6限まで授業があるのが、当たり前なのに違和感があった。
季節は秋から初冬、もう風が冷たい。コートも必要だ。
文化祭の大騒ぎの後の冷たい空気により、一層気持ちが引き締まる思いがする。
誰もが浮かれていた日々が嘘のようだ。
文化祭の体育館で野次を飛ばしていた生徒たちですら、今では静かに現実を生きている。
学生たちの誰もが、漠然と未来への不安を抱えて過ごす。
2年生の俺たちは受験を含めて、将来について考えなくてはいけない時期だ。
俺はまだ将来のことなど具体的に思い描けない。
将来を考える時、いつも銀時の存在を意識してしまう。
---------- 俺の未来に、銀時は居てくれるのだろうか。
寒さが増し紅葉した葉が落ちて、季節はすっかり冬になる。
12月に入ると街はクリスマスムード一色に盛り上がる。
俺たち学生にとっての12月は、試験の時期で忙しい。
しかし勉強などロクにしていない銀時は、かわりにアルバイトが忙しいようだ。
12月のかぶき町は、相変わらず楽し気なお祭り騒ぎだ。
人々の財布の紐が緩む季節、店側にとっては客の掻き入れ時である。
文化祭の後、たまに銀時に会ったりしたが、12月に入ってからはそれもない。
アルバイトのシフトを入れまくっているのだろう。
本当に忙しいらしく、メールすら入らない。
もっとも、わざわざ連絡を取り合うような用事などないので、それもおかしな事ではないのだが。
このまま、銀時に会うこともなく、今年が終わってしまうのだろうか。
高校2年の冬休み。
12月31日、大晦日の夜の出来事だ。
俺は家の大掃除を手伝わされたり、おせちの買出しに付き合わされたりと、慌しい一日を送った。
年越しソバを晩メシに食い、家族はテレビを囲んで団欒している。
毎年大して変わらない、我が家の大晦日の過ごし方だ。
俺は自室に引き上げて、ベッドに身体を投げ出し横になる。
静かな夜だ。そして、何もしない時間は久しぶりだ。
余計な事を考えたくないので、相変わらず予定の詰まった忙しい毎日を送っていた。
それでもさすがに大晦日の今夜だけは、特に何もすることがない。
ぼんやりと自室の見慣れた天井を眺めていると、思い出すのはやはり銀時のことばかりだ。
・・・・・・今年は、いろいろなことのあった1年だった。
あいつへの想いを振り切る覚悟を決めた春。
あいつの本気の恋を知り、自分でも驚くほどの深いショックを受けた夏。
あいつの女装をきっかけに、自分の中の欲望と嫉妬心をはっきりと自覚した秋。
そして今・・・冬だ。この冬には何かあるのだろうか。何もないままかもしれない。
何もなくていい。ないほうがいいんだ。
この後に及んで何を期待すると言うんだろうか。
銀時とは、いい親友だ。
欲しがるわけにはいかない。
よく考えてみろ、今まで友達だった奴に告白なんかされたら、引くだろう。
今までずっと自分のことをそういう目で見てたのかって、汚らしく思うだろ?
心の中で、俺の理性がそう語りかけてくる。
その時の銀時は裏切られた気持ちになるかもしれない。
もし無かったことにしたって、きっとわだかまりが残る。そのまま、友達としても自然消滅だ。
そんな別れ方はしたくない。
告白するのは、そんなことがしたいからじゃない。
あいつにも「愛される幸せ」を感じてもらいたいだけだ。
好かれていて良かった、そう思ってくれたらそれでいい。温かい気持ちにしてやりたいだけだ。
誤解のないように、上手く伝えたい。
お前を汚すつもりなどないと。そして何より、お前は昔から孤独ではなかったのだと。
ずっと大切に想ってきたのだと。
もし出来れば、これからもずっと友達でいたい。そんな気持ちをあいつに渡してやりたい。
口下手な俺に、そんな難しいことが伝えられるだろうか。
・・・間違いなく、誤解されちまうだろうな・・・。
幼馴染の俺にまで「裏切られた」ような気持ちにさせちまったら、かわいそうだ。
俺のしたいのはそんなことじゃない。
守ってやりたいんだ。
しかしこのままでは、俺の手で傷つけてしまう。
俺の中で生まれる葛藤が、どんどん激しく大きくなる。
もう俺の中では抑え切れない。
誤魔化しきれない。限界だ。
頭でははっきりと理解し納得している。
しかし感情がそれに追いつかない。
頭の中では、あいつへの想いはもう断ち切れている。
・・・感情だけがまだ、好きなんだ。
身体が、ふたつに裂けてしまいそうだ。
俺がベッドの上でひとり悩んでいた、その時。
----------俺の携帯が鳴った。
誰かが俺を呼び出している。
一体、誰だ・・・?
何人かの友人の顔を思い浮かべながら、枕もとに置いた携帯に手を伸ばす。
着信に応答するのも面倒なくらいに、すっかり気が滅入っていた。
何気なく見た、明るく光る着信画面。
そこに表示されているのは、たった今まで俺の脳内の全てを占めていた、あの人物の名前。
「ぎ、銀時・・・?」
驚いてとび起きる。
そして着信が切れないうちにと、慌ててボタンを押して答える。
「よお、どうした?」
声が裏返りそうなほどに高揚した気持ちを押さえ、ゆっくり応答する。
繋がった携帯電話の向こうは、ワアワアと騒がしい音がする。
大きな音の音楽や、人の笑い声など、とにかく騒がしい。
「おー、トシー久しぶりー!」
銀時が周囲の騒音に負けじと、大声を張り上げている。
やけに明るく、楽しげな弾む声。一体どこで何をしているんだ?
「かぶき町でー、バイトしててー、今休憩なんだー!大晦日で盛り上がっててねー!
今夜はオールでー、カウントダウンパーティだよもー、超忙しくてさあー」
銀時の周囲が煩くて、話が聞こえにくい。
せっかく銀時が必死に大声出してくれているのに・・・気の短い俺は、少し苛々とした。
「で、どうしたんだ」
愛想の作れない俺は、つい正直にイラついた低い声を出してしまう。
それを聞いた銀時が、少し戸惑うような不安気な声でこう言った。
「あ、ちょっと待って・・・」
そしてすぐに、ガサガサ、バタバタ、バタンと動いているような音が聞こえてきた。
どこかに、移動しているような雰囲気だ。
しばらく・・・30秒くらいだろうか、その音を聞かされながら黙って待った。
銀時の姿を想像する。
じっと銀時が何かしている音を聞くうちに、気持ちが落ち着く。
そしてついさっきまでこいつの事を想い、切なくなっていた感情を思い出す。
ああ・・・そういえば、こんなタイミングで電話をかけてくるなんて凄いことだな。
あいつの声が聞きたかった、気になっていたんだ。そしてあいつも、俺のことを思い出してくれていたんだろうか。
携帯を当てた耳に、ガチャン・・・と、ドアを閉めるような音が響く。
すると突然に電話の向こうの喧騒が消え、ふたたび銀時が喋りだす。今度はもう、大声を張り上げずともよく聞こえた。
「悪ィ、うるさかったろ?外に出たから・・・てゆーか寒ィィィ!コート着てくりゃ良かった!
すげー息、真っ白!煙吐いてるみてーだ。なんか雪とか降りそーじゃね?」
「ああ、・・・だから、なんだよ」
もっと銀時との会話を楽しみたいのに、口下手な俺にはうまく話を広げられない。
とにかく、焦って要点ばかりを聞いてしまう。
「ああうん、あのさ、お前明日の朝・・・空いてねえ?」
俺のぶっきらぼうな対応のせいで、少し元気がなくなってしまった銀時の声。
もしや機嫌が悪いと勘違いさせてしまったのだろうか。
低めの小さな声で、遠慮がちに喋る。
「明日の朝?空いてるっちゃ空いてるけど・・・まあ正月だし家族と・・・」
「団欒してんだ。家族水いらずってやつ?」
「・・・俺はそのことわざ、小学生の頃お前に教えてもらって知ったな」
「そーだっけ?まあ、それじゃ邪魔しちゃ悪ィよな」
相変わらず、俺の様子を伺うような声色だ。
何が言いたいのかは分からない。
しかし銀時の誘いであれば家族よりそれを優先したい。そんな事は当たり前だ。
「構わねえよ」
「・・・じゃあ少しだけ時間くれよ」
「何すんだ?」
「いつもの、あの神社にさ、初詣行こうぜ」
「いいぜ。けど珍しいな、お前が初詣なんてよ?寝正月かと思った」
「さっき言ったろ、今夜オールで朝帰りなんだよ、ついでになんかしたいなって思って・・・」
「ついでかよ、俺は。まあいいけど・・・時間は?」
「7時くらいがいいんだけど」
「分かった。じゃあ明日な」
そう言って、プツっと電話を切る。
携帯電話の液晶画面を見つめながら、じっくりと今の会話を思い出していた。
脳内で会話を反芻すればするほど、心臓が高鳴ってくる。
・・・・・・初詣・・・だって?
明日の朝、つまり新年の一番最初に、あいつに会えるのか・・・。
突然の誘いに、俺はうち震えるほどの喜びを感じていた。
あいつの事を想っていたら電話がかかってきたこと。
誰かを求めたときに、他の誰でもなくこの俺を選んでくれたこと。
新しい1年の始まりを、一緒に迎えられること。
色々な要因が重なり、俺の中で波のように幸福感が寄せてくる。
ついさっきまで不安で苦しくなっていた胸が、今では晴々として軽い。
俺もゲンキンな人間だ。悩みなんて、あるようで無いんじゃないか。
電話だけで、こんなにも安心してしまうなんて。
胸の中がじんわりと温かい。
何でもいい、きっかけさえあれば、あいつに会いたい。
さらに鼓動が激しくなる。
顔が熱い。多分、鏡で見たら赤くなっているんだろうな。
・・・何を緊張してるんだろうか。何を期待しているんだろうか。
諦めると決めたのに。
頭では諦めていても、身体は正直だ。
静かな部屋に、俺の大きな心音だけが聞こえる。
------------はやく明日の朝になれ。
除夜の鐘が遠くの寺から響いてくる。
居間のテレビでは派手に新年へのカウントダウンをし、賑々しく正月番組へとなだれ込んでいる。
静かな俺の自室にも、その騒々しいテレビの音が聞こえてくる。
眠るために電気を消した。
暗くなった部屋の中、俺はベッドで何度も寝返りをうつ。
緊張と興奮で、思うように寝付けない。おかしな高揚感が胸を高鳴らせたままだ。
たかが銀時に会うというだけで、眠れなくなるなんて重症だな。
時々、枕元の時計を見る。もうすっかり夜中だ。
銀時は、今ごろまだ働いているんだろう。
こんな夜中に働くなんて、絶対年齢を偽ってやがるな。
無茶しやがって・・・また、身体壊しても知らねえぞ・・・
そのバイトは、お前にとってそんなに楽しいモンなのか?
カウントダウンパーティとやらで忙しそうに働く姿を思い浮かべながら、一緒に年越しを出来る奴らを羨ましく思った。
そしてあいつの身の回りの事をあれこれと心配し、数時間後に会うことをソワソワしながら待ちわびていた。
---------- 想うのはあいつのことばかり。
銀時で占められた、俺の中。
不安になり、焦り、怒り、諦め、落ち着き、切なく、愛しく想い、そして幸福で満たされる。
矛盾だらけで一貫性のない感情。頭では理解できない複雑な想い。
心の奥底からとめどなく湧き上がるあいつへの想いを、ひとつひとつ、感じていた。
そしていつの間にか、俺は温かい気持ちで眠りに落ちていた。
深く沈むように眠っているうちに、空には明るい初日の出が上がる。
朝霧に包まれた澄んだ世界が、ゆっくりゆっくりと、明るく輝くように色づき、そして広がっていく。
まるで昨年までの慌しく汚れた世の中の空気を清めてくれるようだ。
-------- 俺と銀時の、新しい一年が、また 始まる・・・。