電気もついておらず薄暗くて、埃っぽい屋上出入り口。



階段よりはるか高い位置についた窓から、淡い光が差し込んでくる。
月は出ていない。街の明かりだろう。

季節は梅雨、外は大雨だ。

昼間は蒸し暑くてじっとりと汗をかいたが、日も落ち雨の降る今は、とても寒い。






静かな校舎内には、多分もう誰もいない。

俺と銀時だけが、息を潜めてただ向かい合っていた。




耳に聞こえるのは、ただ雨が降り注ぐ音ばかり。


大雨が俺たちの存在をすっかり隠してしまっている。


暗く冷たいこの世界に、二人きりだ。

心細くなんかない。銀時さえここにいてくれるなら。



それも、これが最後となるだろう。




「・・・それで、さっきの質問にはまだ答えてもらってねえぞ」

俺が銀時を見つめながら言う。
暗くてその顔の全ては見ることが出来ない。
うっすらと差し込む光に、淡く浮かびあがる銀時の白い肌が、幻想的で美しいと思った。

「ここで、何をしていたんだ、銀時」

ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐く。
その呼吸に合わせて、やはりゆっくりと、言葉が流れ落ちる。

先ほどまでの怒りや嫉妬といった激しい激情が消えていく。
冷え切った静かな世界に浄化されてしまたように、俺の胸の中も落ち着いていた。

今はただ、目の前の銀時を、見つめていたい。


「・・・だから話をしてただけだって、言ってるだろ」

小さい声で銀時が答える。
その声が小さ過ぎて遠くの雨の音に遮られ、とても聞こえにくい。
声の細さは、まるで銀時本体までも消えてしまいそうに感じられた。

「抱きしめられてたじゃねえか。いつもあんな事させてんのか、テメーは」

「そういうわけじゃないけど、でも、お前には関係ないだろ」

銀時が言いにくそうに、歯切れ悪く答える。
俺とは目を合わせない。
銀時はこの話しから逃げ出してしまいたいようだ。それでも、俺は逃がさない。
うやむやにしておいていい訳がない。俺は銀時と、そして自分の気持ちと決着をつけなくてはいけないんだ。

「さっきも言ったが・・・関係なくもないだろう」

「関係ねえよ。俺が誰と何したって、お前に迷惑かけた覚えねーし・・・」

開き直ったような事を言うが、相変わらず弱々しい姿勢であることには変わりなかった。
強気な言葉とは裏腹に、とても悲しそうにうなだれている。
視線は自分の足元に落ちたままだ。

「お前が誰と何をするかが、俺にとっちゃ一大事なんだよ」

俺の言葉に、怪訝そうに瞳を細めた銀時だったが、そのあと少し口元を緩めて笑った。
笑ったというほどの笑顔ではないが、それでも表情が少しだけ崩れた。
下を向いていた顔を上げて、銀時の赤い瞳がやっと俺の姿を捉えた。

「・・・そっか、トシは昔っから心配性だったもんな。まだ俺のこと、気にかけてくれてんだ」

力無く笑うと、銀時は俺から目を逸らす。
またうつむいて足元を見つめてしまう。俺の顔など見たくもないという事か。


「でも、俺はもう、ひとりで大丈夫だから・・・だから」


「放っておいてくれって、言いたいのか」


俺の言葉に銀時は返事をしなかった。


また、沈黙が続く。
俺にとっては、銀時との沈黙は苦にならない。たとえこんな状況でも、愛しい時間だ。


辺りはどんどんと暗くなり、もうすっかり夜になっていた。
相変わらず雨の音だけが重く厚いドアの向こうから響いてくる。

俺と銀時しかいないこの空間は、まるで切り取られた別世界かのように時間の流れが遅い。
銀時がうつろに動かす瞳さえ、俺にはスローモーションのように見える。

そして銀時の数少ない言葉のひとつひとつが、重く深く俺の胸に沈みこんでしまう。

俺の胸は、銀時の言葉だけで溢れ、耐え難いほどに重苦しい。


それでも、あいつの次の言葉を、切実に待ってしまう。


「・・・トシは俺のこと、軽蔑しただろう」


やっと長い沈黙を破ったのは、銀時のそんな言葉だった。
ずっと足元だけを見て、顔を上げない。

ガキの頃から言いにくい事や、気がかりな事がある時は下を向く。それは銀時の癖のようなものだ。

いつもは顔を上げて大声を出し、とにかく元気の良さがウリの奴だ。
怒られたってイジメられたって余裕をかましてきた。嘘だってつくし、どんな言い訳だってペラペラと調子よく出てくる。
どこにでもいるお調子者のキャラクターのはずだ。


ところが、自分の本心と向かいあう時だけは、じっと下を向く。

自分自身と相談でもするかのように、周囲から自分の世界だけを切り離して集中してしまう。


------------ 銀時が下を向く時は、そんな時だけだ。


殆ど無い事ではあるけれど、俺は何度か見た事がある。
俺は銀時の柔らかそうな真っ白いくせ毛を見つめながら、今までにうつむいてしまった銀時の姿を思い出そうとしていた。

例えば、最近では駅前のファーストフード店でミツバの話をした時。
突然に動揺した銀時は、あの時も何がを考えるようにじっと下を向いていた。

一緒に高校受験の勉強をした時、夜眠れないのだと言った時も、じっと手元を見つめていた。
そう言えばあの時も殆ど顔を上げなかった。

うつむいた白い髪の毛を眺めているうちに記憶が次々に溢れ出て、最終的には幼い頃の銀時の姿が見えていた。
最も鮮明に記憶に残っているのは、初めて出会った時・・・。

初めて話した時。
銀時の白い頭をヘンだと言ったら、あいつは下をむいたまま顔を上げなくなってしまった。
きっと傷つけてしまった。幼い銀時のこころを。


俺は今までの人生であの時が一番、後悔したかもしれない。



今思うと、あの時から俺は初恋をひきずってきている。
・・・話にならねえな。自分で自分に呆れてしまう。

やっと何もかもを終わりにしようとしている。


こんな深刻な状況じゃ、どんな言葉にしても銀時を傷つけてしまいそうだ。

どうせ終わりにするなら、もっと優しい形にしてやりたかった。

銀時に温かな気持ちを渡してやりたかったのに。



改めて想う。


やっぱり俺は、銀時のことが好きだ・・・。




「軽蔑なんか、するかよ」



「・・・それじゃトシは、何でそんなに怒ってるんだ」



「・・・お前こそ、何でそんなに悲しんでいるんだ」



俺はゆっくり、一歩踏み出す。




もう一歩。




もう一歩。




そして、銀時の真正面に立つ。

つい先ほどまで、高杉がいた場所だ。銀時の真正面。手を伸ばせば届く位置。




見つめていた足元の視界に俺の足が入り、銀時が驚いた表情で顔を上げる。





その驚いた銀時の顔を見るか見ないかのうちに、



俺は銀時の身体を、




----------------- 抱きしめていた。






「・・・トシ・・・・・・!?」




銀時の身体が強張る。


全身に力が入った銀時の緊張感がはっきりと伝わってくる。



反射的に俺の腕にも力が入り、さらにきつく銀時の身体を抱きしめる。



銀時のあたたかい体温、なめらかな肌の感触、しっかりとした抱き心地。



俺たちは身長も体重もほぼ同じだ。

運動をしている分、俺の方が筋肉がついているかもしれないが、体型はあまり変わらない。

そんな相手なので俺の腕の中に覆いこむことはできないが、それでもしっかりと背中に腕を回した。



銀時の身体は相変わらず緊張していて、肩がすくんでいる。


突き飛ばされるかとも思ったがそんな事はなく、むしろ完全に固まっている。




銀時は声も出ないようだ。

ピクリとも動かない。

・・・息も止まってしまったんじゃないだろうか。





高杉に抱きしめられていた銀時は、あんなにも自然に身体を預けていたというのに・・・

俺の腕の中ではほんの僅かの隙もなく、気を張り詰めている。俺ですら哀れに思うほどに、おびえているようだ。

それほどまでに、俺と高杉には大きな違いがあるんだな。




この後に及んで、俺はまた少し嫉妬した。





銀時の身体をこんな風に抱きしめるのは、最初で最後だ。


愛しいっていうのは、こういう気持ちなのだろうか。

俺の全ての意識が銀時に吸い込まれている。



腕の中にいるその存在が、俺の全てだ。



いっそこのまま溶け合ってしまえたらいいのに・・・。






想いのたけをこめて、きつく抱きしめ、俺は銀時の肌のぬくもりを感じた。




それから、銀時の耳元で、一言だけ告げた。






「好きだ、銀時」







ずっと言いたくて、ずっと迷っていた言葉。


何年越しだろう。ついに零れ落ちた。


もうこれ以上言いたい事は何もない。この一言だけ、伝えられればいい。





これで、全てが終わった。


ちゃんと言えて良かった。


たぶん、この言葉を、俺の気持ちを、受け取ってもらえただろう。









最後に、銀時の柔らかい髪に右手で触れた。




何度も触れたことのある髪、最近は久しぶりかもしれない。





懐かしい感触がした。

白い色は光に映えて美しく輝き、柔らかく巻く形はいつも俺の気持ちも朗らかにしてくれた。

顔を近づけるといい香りがしたし、何より触れると滑るような指通りが心地良い。

銀時だけの色。銀時だけの香り。銀時だけの感触。







俺はずっとこの髪が好きだったんだ。







最初に会った時に、ヘンだと言って悪かったな。








俺はいつだって銀時を傷つけてばかりだ。





守ってやりたいと願って側にいたのに、それが裏目に出てしまった。





側にいれば側にいるほど、俺は深みに嵌っていく。





俺は銀時のことを、ひとりで勝手に好きになって、勝手に悩んで、勝手に憎んで、最後にはズタズタに傷つけてしまうだろう。





こうして思い切り抱きしめることなど、後にも先にもない。


離したくない。


奪ってしまいたい。


素直に「愛しい」と感じたこころが溢れてしまいそうだ。






これで、最後だ。






柔らかな髪を撫で、もう一度だけ力を込めて抱擁した。

そして未練を振り切る覚悟で ゆっくりと 優しく 銀時の身体を  離した。






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