抱きしめた俺の腕から開放された瞬間、銀時の身体の力が抜けた。
膝がガクンと曲がり強張っていた身体が、今度は崩れ落ちそうになった。
しかしよろけながらも、あいつは自分の足で踏みとどまった。
真っ直ぐに立てず膝が不自然に折られたまま、震えながら竦んでいる。
いつ座り込んでしまってもおかしくないだろう。
銀時はまだ、驚いたように目を丸くしたままだ。
視線が宙を彷徨っていたが、その途中で俺の姿を捕らえた。
俺の胸の辺りから、肩、首、そして顔。
銀時の赤い瞳がゆっくりと動き、視線が上にあがる。
最後に俺の目を見た。俺も銀時の赤い瞳を見つめた。視線が絡み合う。
それでもまだ、あいつは呆然としている。
「・・・・・・悪ィ・・・」
俺に言えるのはそのくらいだ。
ついに告白してしまった以上、もうどうしようもない。
何を謝るというのだろう。好きになってしまった事か、思わず抱きしめてしまった事か、抑えきれずに気持ちをぶつけてしまった事か。
いや、最後まで友達でいてやれなかった事だろう。
俺は銀時の初めての友達、そして最後まで、友達でいるべきだったんだ。
「そういう事だけど・・・もう、忘れてくれて構わねえから」
反応がないので遠慮がちにそう付け足してみる。求めているわけじゃないと伝えたかった。
いつもお前は寂しがっていたけれど、お前のことを好きな奴だってここにいるのだと、そう教えてやりたいだけだ。
口下手な俺では、上手く伝えられていないかもしれない。
頭の中で思いつく限りの言葉を組み立ててみるが、上手く繋がらない。
気持ちを言葉にして伝えることが、こんなにも難しいなんて知らなかった。
銀時の表情は変わらず、まだ驚いたように目を見開き、口も呼吸するために僅かに開かれたままだ。
さきほどから俺の顔をじっと見つめている。
しかしそれは、ただ理解しきれずに固まっているだけで、俺の姿など見えていないだろう。
・・・そりゃ驚くよな。
銀時の様子を見ているうちに、俺の所為だというのにまるで他人事のように同情していた。
ずっと一緒にいた幼なじみの野郎が、突然抱きしめて好きだと言ってきたら、ショックだろう。
友情を裏切られたような気持ちになるかもしれない。
自分のことを、ずっとそんな目で見てきたのかと想像したら、気持ちが悪いだろう。
困惑というショックの後にやってくる感情は、多分怒りだ。この俺を許せないと思うはずだ。
もう絶交だと言うかもしれない。そして俺たちは最も辛い形で、離別してしまうことだろう。
今までの俺たちの思い出も、何もかもが、汚いものになってしまった。
俺を嫌いになれば、当然俺と一緒にいた記憶も消したくなる。
しかし銀時の過去の殆どにこの俺が存在しているのだから、あいつにとっては最悪だろう。
銀時の過去を、思い出の全てを、消したくなるような嫌なものに変えてしまったはずだ。
そうしてしまったのは、俺自身だ。
全てこの俺の所為だ。
「・・・悪かった」
もう一度だけ謝る。
相変わらず、銀時の反応は全くない。
よほどショックなのだろう。いっそ早く激怒して責めてくれた方がマシだと思ってしまう。
勝手な言い分だが、こんな俺の事は早く忘れてくれればいい。
また明日から、新しい人生を歩むんだろう。きっと応援してくれる人が大勢いる。
俺はもう、お前には必要ない。
現についさっき「もう大丈夫」と言われたのだから。
--------------- 俺はもう必要ないんだ。
銀時が何を言うか反応を待っていたが、何もない。
一体どんな感情が、銀時の胸の中にあるのだろう。怒りが憎しみか、俺への同情かもしれない。
どちらにしろ、もう終わりだ。
とりあえず、もう俺の伝えたい事は全て言えた。
銀時から言うことがなければ、話は終わりだ。
あとはもう、ミツバでも高杉でも誰でも好きな奴と付き合えばいい。
俺には止める権利はない。
銀時さえ幸せになれれば、いい。
どうか幸せでいてほしい。
お前にはその権利がある筈だ。
俺は手助けしてやれなかったけれど。
ずっと迷い悩んだが、どうしても好きだった。
それも、ここまでだ。
「・・・じゃあ」
ずっと銀時だけを見つめていた自分の瞳を、ゆっくりと閉じる。
淡い光に浮かんでいた白い肌、白い髪、揺れながら俺を捕らえた赤い瞳。
全てが闇の中に消えて、見えなくなってしまった。途端に、寂しく、心細くなる。
瞳を閉じたまま、俺は踵を返して銀時に背を向ける。
すっかり辺りは暗くなっている。
月明かりもなく電気も消えているので、本当に真っ暗だ。
窓から入る僅かな光、非常灯の緑色の光。それだけでは行動するには当てにならないほどに暗い。
外からはザアザアとどしゃ降りの雨の音がして、空気が冷え切っていた。
銀時に背を向けてから、やっとその寒さに気づく。
階段を降りようとして、あまりの視界の暗さ一瞬たじろいだ。
銀時は置いていっても平気だろうか、この後に及んで気にかけてしまい、慌ててその気持ちを打ち消す。
もう俺なんかに心配されたくもないだろう。
子供じゃないんだ。ひとりでも平気だよな?
ゆっくりと足元を確かめながら階段を下り始める。
振り返ると、銀時がまだ俺を凝視したままだ。
ったく、いつまでフリーズしてやがる?
よっぽど嫌だったんだな・・・
そう自嘲しながら前を向いて、黙々と階段を下りた。
一段一段、銀時から離れていく。
もうこの距離は縮むことがない距離だと、実感していた。
そして改めて、銀時のことを思い返す。
ついに言ってしまった言葉。
好きだ、と。
いつか伝えようと思っていたんだ。後悔はしていない。
出来ることならもっと穏やかなタイミングで、あんなにショックを与えることなく、伝えてやりたかった。
激しい嫉妬心に突き動かされて、思わず気持ちが零れてしまったんだ。
ほんとうに好きだった。奪いたかった。失いたくなかった。
こうなる事は分かっていた。それでも伝えたかった気持ち。
大丈夫だ、ちゃんと諦められるだろう。
これでさよならだ、銀時。
最後まで一緒にいてやれなくて、ごめんな。
俺は切ない気持ちを抱えながら、危うい足元に注意を払い、何とか1階と2階の踊り場まで降りてきた。
一歩進むごとに、俺の足は重くなり全身を疲労感が襲う。
時々深いため息が漏れる。
告白した事は後悔などしていない。それでもやはり、辛かった。
冷静になっていると思ったはずだが、まだ心は乱れたままだ。
どうしていいか分からない負の感情が、胸の中でチリチリと疼く。
だめだ、もう、銀時のことは考えるな・・・
目を開けているのが辛い。
大切にしてきたものを、自らの手で傷つけ壊してしまった事実を、いまだ受け止めきれない。
早くこの場所から逃げ出したいような気持ちがしていた。
逃げ出したからと言って時間を遡れるわけでもない。けれど現実から目を背けたい。
やはり、目を開けているのは、辛い。
ふらふらと階段を降りて広い踊り場に着地し、俺がまた深くため息をついた時。
-------------バタバタバタッと激しい足音が、静かな空間に響き、俺の耳に聞こえてきた。
一瞬何事かと思ってぎくりとしたが、それは階段の上から、だんだん近づいてくる。
この足音、この方向、間違いなく銀時だろう。
・・・どうしたんだ、何があった・・・?
俺が階上の方を振り返ると同時に、階段を駆け下りてくる銀時の姿が視界に入る。
「まっ、待って待って待って!!あっ、いた、トシ!!」
つい今しがた別れたばかり、しかもあれほどまでに弱り黙りこくっていたはずだ。
しかしそこに現れた銀時は別人のように勢いがいい。
「・・・お、おい・・・なんだ・・・?」
2段抜かしで転げるように、階段を下りてくる。
勢いがありすぎて自分で自分の足が止められなくなっているようだ。
遠く上にいた銀時が、あっという間に目の前まで迫る。
そして俺の手前まできたのに、その勢いは全く衰える事無く、むしろ加速したまま跳んでくる。
同時に、銀時が「うわああッ」と叫んで俺に体当たりしてきた。
予想していなかった展開に俺は体勢が整っておらず、
「うおぁああッ」「わあああッ」と二人で声を上げ身体が衝突した。
その衝撃で2メートルほど吹っ飛び、折り重なって床に叩きつけられた。
衝突の位置からして俺が下敷きだ。
さすがに二人分の体重が勢いよくぶつかると、とんでもない重さになる。
転んだ瞬間に思い切り頭をぶつけて目から火花が散った。背中を強く打ち、呼吸も止まった。
激しい身体の痛みと割れるかというほどの頭痛、そして眩暈に吐き気すら覚えつつ、なんとか上体を起こす。
「・・・ってえな・・・何しやがる・・・!」
「ワリ、止まらなかった・・・」
すぐ隣で銀時があぐらをかくような姿勢で、やはり座っていた。
「・・・いてぇ・・・」
二人でそう同時に呟き、俺は後頭部を、銀時は膝をさする。
そして、俺たちは座り込んだまま、その視線が重なる。
分けが分からず眉をひそめる俺と、困ったように苦笑いする銀時。
今の衝突のせいで記憶すらも飛んでしまいそうだ。
一体、何が起こったというんだ?
「・・・で、なんだよ・・・銀時」
思い切りセンチメンタルな気分でいたのに、いつもと変わらない調子の銀時に、俺はつい拍子抜けしてしまった。
二度とこうして話すことなどない、そう覚悟をして別れてきたつもりだと言うのに・・・。
改めて苦情でも言われるんだろう・・・そう思って身構えた。
もう何を言われてもいいと、ハラをくくっていた。ブン殴られたって仕方ねえ。
俺は口元を引き締め緊張した面持ちで、銀時を睨むように見た。
「俺、トシに言うことがあったのに・・・いつの間にか居なくなってて・・・ビックリして追いかけて来たんだ」
「いなくなった?最後に声かけただろうが。どんだけビックリしてんだテメーは」
確かに、あの時の銀時はただ呆然としていて、俺の姿など見えていない様子だった。
俺は呆れたが、銀時が悪いわけじゃない。俺のせいだからな。
この調子では謝った事も覚えてはいないだろう。それも仕方がねえか。
さあ、何とでも罵倒しやがれ・・・!
「なあトシ、そりゃあさ、ビックリするぜ?」
銀時が明るい調子で言う。
あんなに消えそうな声で喋っていたのに、この変わりように俺の方がビックリだ。
俺は戸惑いながらも、真剣に銀時を見つめた。
二度と見られないと思っていた銀時の笑顔に、不本意ながらも目を奪われてしまう。
「だってトシ、俺が言おうと思ってたのに、お前から言われるなんてさ」
「なにを?」
「好きだって」
「なにが?」
「トシのこと」
「誰が?」
「俺がっ!!」
「・・・は?」
銀時が何を言っているのか理解できず、俺は考えこむ。
ちょっと待て、順番に言えよ。
頭の中でぐるぐると、聞いた言葉が空回りしていた。
単語だけでは、その関係が全く掴めない。
いつも話の結論から言うのは、銀時の悪い癖だ。
ある程度の前置きがないと、俺には分からない。
眉をしかめて悩む俺を見て、銀時が諦めたようにゆっくりと言い直す。
「だから俺がトシの事を・好きだって言おうと思ってて・それを先にトシから言われたから・・・すげービックリした、の!」
「・・・ああ、なるほどな」
俺が顎に手をあて頷く。
やっと分かった。そういう事か。
・・・そういう事・・・?
「・・・・・・マジでか」
「マジで!!」
今度は俺がフリーズする番だった。
もう一度、今の銀時の言葉を頭の中で繰返し唱えてみる。
言葉としては耳に入り理解したはずだ。
しかし、その言葉の意味が、分からない。銀時は、何を言っているんだ。
それは・・・どういうことだ?
・・・銀時が俺を好きだって・・・?
意味も分からず、実感も湧かず、銀時の言葉だけが頭の中で何度も繰返されていた。
思わず目の前の銀時の姿を凝視してしまう。先ほどの銀時の逆だ。
・・・こいつが俺に告白しようとしていた?
最初はいつもどおりの、へらへらとからかうような笑顔を見せていた銀時。
しかしあまりにも俺が凝視しているので、だんだん恥かしそうに顔を赤くした。
銀時の頬が赤らむところなど、初めて見た・・・こんな表情もするんだな・・・
俺は呆然としながらも、そのような感想を持った。
「ちょ、あんま見るなよ。何とか言えって」
「・・・何とかって言われてもな・・・えーと、耳まで赤いぞ」
「それはテメーのせいだろ!」
銀時の照れ方で、やっと理解してきた。
嘘でも演技でもなくどうやら本当に照れているようだ。
その声は怒っているのに、頬を赤らめて笑っている。
銀時のはにかむような、柔らかな笑顔。
俺の好きな、あの笑顔。
それを惜しげもなく、俺の前で、俺のために、見せてくれている。
その顔を見つめているうちに、俺の心が緊張を解き、ゆっくりと銀時の言葉を受け入れ始めた。
胸の中に沁みこんでくる言葉が、次第に実感へと変化していく。
銀時が俺の事を、好きだと、想ってくれていたのか・・・?
それで、そんなに、嬉しそうに微笑んでいるのか?
俺も一緒に、嬉しく思いたい。喜びたい。
けれどまだ、戸惑っていた。
他にも気がかりな事が残っているからだ。
こんなところでも、俺の用心深い性格が感情を邪魔している。
どうして素直に、真っ先に、心から喜べないのだろう。自分にうんざりしながらも、問い詰めずにはいられない。
本来なら銀時に「ありがとう」「嬉しい」と言うべきところだろう。けれど俺はそれよりも先に卑屈な事を言ってしまう。
「・・・それじゃあお前が高杉と・・・抱き合ってたのは何だったんだ・・・?」
つい、責めるかのような暗い口調になってしまう。
それを受けて、銀時の表情も陰りを見せた。
そして、俺に気を使うかのように優しく、おどおどと、小さく声を発した。
「そうだよな、ちゃんと説明しねーとな・・・気に障るかも知れないけど最後まで聞いてくれるか」
「聞くから、話せ」
「・・・じゃあ長くなるけど・・・」
そう前置きしながら銀時が座りなおし、ぽつりぽつりと呟くように語り始めた。
それは俺に事実関係を説明するというより、銀時が自身の感情を整理しているようなものだった。
とりとめもなく、俺にとっては1回聞いた程度では理解しきれない。
しかし銀時の本当の気持ちを取りこぼさないように、注意深く聞いた。
「最初は・・・お前にミツバを紹介した時、お前に『嫉妬してる』って指摘されて気づいた。俺はトシじゃなくてミツバに嫉妬してるのかもって。
トシの事が好きなのかなって、そう意識し始めたら、どんどん好きになって止まらなくて・・・ていうか、もっと昔から好きだったみてーだし」
銀時はそう言いながら、また下を向く。
片膝を立てその膝を抱えるように座り、そして自分の足元の床をじっと見つめている。
最初は銀時独特の、こうして大事な話をする時に限ってうつむいてしまう癖が、俺は気に入らなかった。
これでは目が合わないし、声も聞き取りにくい。目を逸らされて、まるで嘘でもつかれているような気分がしたからだ。
しかし今では、これが銀時の本心を伝えてくれる時のスタイルだと気づき、逆に嬉しくなっていた。
銀時はこうして、自分の気持ちを確認しながら、ゆっくりと、言葉を選んでいるようだ。
きっと俺と目が合うと、つい照れてふざけたり誤魔化したりしてしまうと、あいつも自分で分かっているんだろう。
視線を合わせずに、嘘をつくどころか、自らの真実を探している。
俺はその行動を邪魔しないように、静かに銀時を見守っていた。
銀時は自分の足元を見つめながら、淡々と、俺に「好きだ」と告げる。
これが、あいつの見つけてきた真実だ。
そう思うと俺は胸が熱くなってくる。その熱の中で喜びが、じわりじわりと、生まれつつあった。
「・・・それでミツバには、何て言ったんだ。俺を紹介する約束だったんだろう」
「俺がトシの事好きになっちゃったから悪ィ、って謝った」
あまりのストレートさにがっくりと力が抜ける。
普通、言わないだろう、それは・・・。
「マジでか、正直過ぎねーかそれ・・・分かってもらえたのか」
「分かってくれたよ、ミツバは本当にいい子だからな。弟も一緒に、応援するって言ってくれたし」
ミツバの顔は知らないが、その弟のニヤケた顔が思い出される。
あの野郎が執拗に銀時との事をおちょくっていたのは、そういう事だったのか。
俺が銀時のことで悩んでいるのを知りながら、一方で銀時も俺のことで悩んでいるのを分かっていた。
そして俺をからかい、銀時を応援していたってワケか。
「・・・総悟の野郎は・・・さぞ楽しかっただろうな」
「総一郎君は色々相談乗ってくれたぜ。トシは男に興味ないからきっかけ作りに女装したらどうだって提案してくれたし!
あん時けっこうアピールしたんだけどなあ・・・やり過ぎた?逆効果だった?お前かなり気持ち悪がってたろ」
銀時が言っているのは、去年の文化祭の時の事だ。ポリポリと頭を掻いて苦笑いしている。
俺は文化祭でセーラー服を着ていた銀時の姿を思い出していた。
全然ダメだと銀時が思うのは当たり前だ。
あまりにも似合っていたから、俺は誰にも見せたくなくて、あの日はずっと苛々としていた。
嫉妬のあまり、気持ち悪いから止めろと散々説教したんだ。
そして銀時に劣情を抱いた自分自身が許せなかった。
それを思い出すと、自分の青臭さが恥かしくなり、俺も苦笑いする。
ここで総悟の作戦は大成功だったと白状しようものなら、銀時も総悟も調子に乗ってまたやるだろう。
また女装なんかされたら、俺は今度こそ・・・どうなっちまうか分からねえ・・・!
いや、ヤバイだろ、それは・・・!!
可愛かった、などと絶対に、一生言うもんか。墓場まで持っていってやる。
「お前ってやけに学校生活充実させてていつも忙しそうだし、真面目で健全っぽいし、俺なんか恋愛対象にないだろうなーって凹んだね。
そりゃもう、どう考えても俺なんか、お前の世界に割り込む隙が無くて。どうして好きになっちまったのかってすげえ悩んで・・・」
女装の話題で苦笑いしていた銀時の表情が、ふと暗くなる。
悩んでいた気持ちを思い出しているらしく、声の調子も落ち弱々しくなる。
それは先ほどまで屋上前の踊り場にいた時の、今にも崩れそうな銀時の様子と同じだ。
「せめて友情は大事にしていきたいと思って、諦めようとしてた。けど、やっぱ好きで苦しくて高杉に相談してた」
ここで高杉の名前が出て、俺は眉をひそめる。
今だにアイツの事は許せない。
再び胸の中に沸々と嫉妬心が湧き上がってくる。
「高杉は俺のこと何でも分かるし俺もあいつの考えが分かる。感覚が似てるっていうのかな・・・」
銀時が俺の顔色を伺いながら、高杉の事を誉めすぎないように気を使っているのが分かる。
それを申し訳なく思う反面、やはり苛々としてしまう感情は隠せない。
「俺がトシとの友情を失うのを最も恐れていたのも、言わなくても分かってくれた。友達でいいからずっと一緒にいたいってのは切実だった。
だからトシの事は諦めろって・・・そりゃそうだよな。その分『自分の事をトシの代わりにすればいい』って言ってくれたんだ」
「それって単に、高杉がお前のことを、好きだっただけじゃねえの」
俺が嫉妬心から突き離すようにそう指摘すると、銀時は困り顔で笑った。
その表情には高杉への想いがありそうで、俺にとっては面白くない。
「そうかも知れない。でも俺が毎日のようにトシ、トシって言うのを黙って聞いてくれた。俺の我侭を全部受け入れてくれた。
ヤツだと思って目ェ瞑ってろって、抱きしめてくれて・・・不毛な話だとは思うけど、俺は何かにすがりたかったんだ。
・・・そうでもしないと、耐えられなくて・・・もし高杉が俺の事を好きだとしたら、この上なく残酷な話だよな?」
高杉が、俺の身代わりになろうって言うのか?
おかしな話だ。そんな献身的な性格じゃないくせに・・・いつか奪い取ってやろうという下心はあったはずだ。
そうでなければ、自分ではない奴の身代わりなんて名乗り出る事はできない。
上っ面だけの奇麗事のようにも聞こえるが、実際は、高杉も銀時に本気だったんじゃないか。
・・・思惑はどうあれ、実際に銀時にとっての救いがそれであったのは真実だ。
銀時が高杉にすがっていたのは、この目で見たとおりだ。
今日の放課後にだって、奪われてしまいそうな危うい状況だった事を思い出した。
俺が早く告白していたら、高杉の野郎が手を出す隙なんか与えなかったのに。
もし過去の俺に会えたら、すぐにでも告白しちまえと言ってやりてえ。
俺は、自分の不甲斐無さを激しく後悔していた。
「最後は、上手くやれよって消えてくれたんだ。もうアイツとの関係は、終わり」
銀時が、心なしか寂しそうに微笑む。
その表情を、やはり面白くない気持ちで見つめる。
上手くやれ・・・か。まるで応援してやってるみたいだな。
もし、銀時が俺に振られていたら、銀時は高杉のものになるだろう。
それだけの下準備は整っていたはずだ。
しかし、今日の高杉は俺に敵意を剥き出しにしていた。
それは、俺が銀時をどう想っているのか、分かっていたからだろう。
高杉は既に、こういう結果になる事を知っていたはずだ。
やはり気にいらねえ。
単に銀時を助ける振りをしながら、邪魔をしていただけのようにも受け取れる。
実際にどういうつもりだったのかは、分からない。
どちらにしろ、恋敵だ。
これからだって油断ならない。一筋縄でいかない野郎だろう。
あいつに売られた喧嘩を買ったはいいが、まだ決着がついていないような気がしていた。
銀時は俺を選んでくれたが、それとは別の次元で俺は高杉に挑発されていた。
眉間にしわを寄せて、どんどん機嫌が悪くなっていく俺に気付いた銀時が、遠慮がちに謝る。
「えーっと、その、やっぱり気に障ったよなあ・・・悪ィ」
その姿を見て俺はやっと我に返った。
そうだ、今は、目の前の銀時のことが先だった。
銀時の話を聞いて、こいつなりの事情も分かり安堵した。やっと俺も気を取り直した。
そして、時間をかけて、やっと納得することが出来た。
ついに、正直になれたんだ。もう、苦しまなくていい。悩まなくていい。
気持ちが明るくなり身体も軽くなったようだ。全ての重荷を降ろした気がする。
次第に満たされた喜びが溢れてきて、重荷を抱えていた事すら遠い記憶になり、もう忘れてしまいそうだ。
嬉しいくせに、まだ、実感が沸かない。
銀時が俺の事を好きだなんて、冗談か、それとも夢か・・・疑ってしまう。
まだこれから先も一緒にいられるなんて、俺が何よりも願っていたことだ。
ずっと側にいられる。助けてやれる。見守ってやれる。俺の全てで、銀時を幸せにしてやれるかもしれない。
銀時を俺のものに・・・しても、いいのか?
いいって事だよな。俺のものになったんだよな?
だんだんと、俺の中で幸福感が広がり、幸せというものの具体的な輪郭が浮かんでくる。
胸の中が、じんわりと温かくなってきた。
・・・銀時が、俺のものに?
何度その言葉を口の中で唱えてみても、現実味が無い。
・・・それはいつ、実感が沸くのだろう・・・?
話がひと段落して、俺と銀時の間に静かな沈黙が流れる。
次の言葉を探していたが、上手く繋がらず、お互いに見つめ合っていた。
これまでずっと見てきた銀時の姿。
もう二度とこうして見つめる事はないだろうと、覚悟していた。
しかし今なお、銀時は俺の目の前に居て、柔らかく微笑んでいる。
俺も、思わず、微笑み返してしまう。
「・・・もう、帰ろうか」
二人で、手を貸し合ってゆっくり立ち上がった。
冷えきった身体を動かすと、先ほどの衝突の所為であちこちが痛かった。
あまりの出来事に、身体が痛いなんて事すらすっかり忘れていた。しかし今では、この痛みさえも愛しい。
つい先ほど作ったこの怪我、この痛み。
銀時が全力で俺をおいかけてきた姿を思い出す。
呆然としながらも、何とか俺を捕まえようとしてくれていたんだな。
あの時の銀時の慌てた表情を改めて思い返すと、なんだか可笑しい。
俺たちはお互いに空回りばかりして、自分で自分を追い込んで苦しんでいた。
苦しむ前に、自分勝手に気持ちをぶつけていれば、もっと早く楽になれていたんだろうか。
・・・いや、それも違うだろう。
あれだけの時間をかけて真剣に悩んだからこそ、自分の想いの大きさに気づいた。
自分と向き合い苦しんだ分だけ、銀時を大切にしてやれるだろう。
時間をかけたからこそ、俺にはその自信がついている。
その自分で出した回答に自分で納得して、俺はひとり頷いていた。
ここへ来る時と、今とでは足取りが全く違う。
つい何時間か前にこの階段を上がった時には、重く暗い気持ちで、焦ってばかりいた。
足元が崩れてしまいそうな不安と戦いながら、耐えていた。
今は世界すらも違う。何もかもが、変わってしまったようだ。
なにしろ俺の目の前に銀時が居てくれている。
それだけで、俺の世界は明るく輝く。
相変わらず真っ暗で、雨の音しか聞こえない冷たい廊下。けれどもう、ここには何の不安も存在しない。
俺たちの周りだけ、穏やかで暖かい世界に入れ替わってしまったんじゃないか。
久しぶりに、柔らかい銀時の微笑みを見ることができた。
それだけでも、俺は嬉しかった。この笑顔が見たいと、ずっとずっと願ってきたんだ。
ただでさえも冷たい床の上に、もう何時間も立ちっぱなし、座りっぱなしで身体中が冷えていた。
一体今が何時かは、分からない。何時でも構わない。
静かで真っ暗な廊下を、二人で寄り添うようにして歩く。
「なあトシ、夜の学校ってなんか怖えーな」
「るせーな、余計な事言うんじゃねーよ。俺は別に怖くねーけど、なんかこう、気分ワリーだろが」
「やっぱ怖いんじゃん。ビビっちゃって、この弱虫」
「ビビってんのはテメーだろうが!!」
「ガキの頃、お寺の肝試しでマジ泣きしたの、誰だっけなー」
「それもテメーだろうが!!」
「え、俺だっけ、マジで?お前だろ・・・?」
「お前が泣き止まないから、仕方なく手ェ繋いでてやってただろ」
「・・・そーだっけか?」
「他のガキどもに指差して笑われて、俺ァ恥かしかったんだからな!」
そんな下らない話をしながら早足で廊下を抜ける。
二人で遠い記憶を掘り起こして照らし合わせ、同じ記憶に安心し、異なる部分を修正していく。
こうしてまた、俺たちは共通の思い出を確認する。確かに、同じ過去を生きてきたのだと思うと、とても心強い。
今日でもう終わってしまうはずだった、二人の思い出。
しかしまだ、明日からも積み重なるだろう。
歩きながら、時々触れ合う肩が、温かかった。
銀時の教室に到着すると、急いでアイツの鞄や荷物を回収する。
やはり夜の教室というのは、気味が悪い。
「おい、次は俺の教室だ、はやく行くぞ」
「げ、嫌だよ、お前の教室って本館じゃねえか。こんな時間にあんな古い建物に入ったら、絶対なんか出るって〜」
「うるせえ、ホラ行くぞ」
そうは言ったものの、俺は銀時を待てずに、急いで廊下を歩いた。
付いて来ないのならそれでも構わない。どうせ今開いている裏門前あたりで落ち会えるだろう。
外はまだ雨が降っている。
さきほどまでの大雨というほどではなく、小雨に落ち着いてきている。
それでもまだ風があり、横から流れてくる雨粒はひとつひとつが大きい。
屋根があるものの、雨と風でびしゃびしゃに濡れている渡り廊下を走って抜け、本館校舎へ繋がる扉を押して開く。
そこは新館の新しいコンクリートの香りと違い、木の生臭さが不気味で、一瞬トリハダがたつ。
古い木造のきしむ廊下は、真っ暗闇だ。
やはり古くすすけた窓ガラスから、校庭の明かりがうっすらと入り込んでいる。
その僅かな光に浮かび上がる廊下は、まるでこの世のものでないような違和感があり、異様だ。
廊下の角や背後に何か出てきてもおかしくない。
余計なものは見たくないので、まっすぐ前だけ睨んで、小走りする。
「ちょっと待てトシ!置いていくなよ!ほんとせっかちだな、テメー!」
すると、後ろから銀時の悲鳴と足音。
全力疾走で俺のすぐ左隣まで追いついた銀時は真っ青で、余裕のない表情をしている。
昔から、怖がりで暗闇が苦手な奴だ。
ガキの頃の肝試しで、銀時がマジ泣きした上に、いつまでも泣き止まなかった事を再び思い出す。
あの頃の銀時はヤンチャばかりしていたイジメっ子だったので、何もない暗闇に震えて泣く姿に違和感があった。
俺も正直なところ、心霊現象の類は苦手だが、銀時の脅えかたは異様に感じられた。
子供心に同情して、何とか助けてやりたいと思った。
当時は脅える銀時をどう励ましていいのか分からず、とりあえず手を繋いでやった。
俺が手を差し出すと、奪い取るような勢いでその手を握ってきて、しかも離さない。
他の子供たちに笑われる度に恥かしく思って、何度も振り払おうとしたが、それも躊躇われるほどに銀時は必死だった。
あの時の、固く握られた手のひらの感触を思い出す。
暗闇を怖がる銀時は、あの頃から変わっていないような気がして、懐かしい。
今、俺の隣に寄り添うようにしている銀時も、まだ怖がりなのだろうか?
「・・・仕方ねえな、ほら?」
懐かしい思いのままに、俺はつい、条件反射のように、左手を差し出してしまった。
ただ手を出しただけなので、この手を見て銀時はどう思うだろうか。
「・・・おう」
そう返事をして、銀時の右手が当たり前のように重ねられた。
その手は柔らかく、温かい。
懐かしく愛しいぬくもりを感じながら、俺もその手を、強く握り返した。
まだ俺のことを頼ってくれている。あの幼い頃と同じように。
握り合う手のひらと同じように、こころもあたたかくなる。
俺は前だけを見つめながらも、口元が微笑んでしまっていた。
誰もいない真っ暗な校舎の中で、俺たちはふたり手を繋いで歩いた。
俺の教室は本館校舎の端っこで、新館からするとかなり遠い。
いつもは、この遠さを苛々としながら急いだものだ。
けれど今は、銀時と手を握り合っていられる時間が延びることが嬉しい。
真っ暗な校舎は気味が悪かったが、その代わり俺の隣で怖がる銀時が愛しい、俺が今思うことはただそれだけだ。
-------------- 手を繋ぐと、途端に会話が途切れる。
言葉にしなくても、手のひらから伝わる感覚だけで、お互いの気持ちが通じてしまうようだ。
あたたかい気持ち、大切に想う気持ち、離れたくないと願う気持ち。
どれも素直に言葉にするのが恥かしいような本音だが、それさえも手を繋ぐだけで簡単に伝わってしまう。
じっと沈黙しながら、それでも俺たちは饒舌に語り合っていた。
手のひらだけではない。
きっと触れ合えば触れ合うほど、気持ちが重なっていくだろう。
これからはいつでも、あたたかなこの手を取ることができるんだ。
言葉がなくとも、視線が合わなくとも、手のひらさえ重ねあわせれば、気持ちが通じるだろう。繋がっているという安心感が俺たちを満たす。
この手をいつまでも離さずにいよう
固く握って
指を絡めて
二人が離れ離れにならないように
眠れない夜も
孤独を感じた時も
この手を重ね
想いを重ねて
これからもずっと思い出を積み重ねてゆこう
そして溢れるほどに積み重なる、たくさんの思い出は
きっと全てがあたたかく、幸福なものになるだろう
そして最後に残るものは、お前の幸せであるように・・・・・・
俺はいつでも、ただそれだけを 強く切なく、願っていくことだろう。
重ねあう手のひらのぬくもり、絡めあう指と指。そしてもう一度、その手を、しっかりと握り直す。
その時、俺の隣の銀時は 嬉しそうに柔らかく 微笑んでいた。
終