「いつまで寝てんだィ!休みだと思ってダラダラすんじゃないよ!」




聞き慣れないしゃがれた女の声で怒鳴られて、俺は驚いて飛び起きた。


眩しい朝の光の中、寝起きの瞳にうつるのは普段とは違う風景。
一瞬記憶が飛んだ俺は「あれ、ココどこだっけ」とあたりを見回す。


すると上半身を起こした俺の横で、もぞもぞとうごく白い髪の毛、銀時がいた。

「んー、うっせえなあー」

声だけするが銀時は布団に潜ったまま起きる気配がない。
それどころか、また眠ってしまったようだ。

「朝メシ作ってやるから、やはく出て来な」

しゃがれた声の主、お登勢さんはきつい言い方とは裏腹に、にやりと笑ってキッチンへと消えていった。




ああ、そうだ、俺は銀時の家に泊まりに来てたんだ・・・ゲームやら風呂やらで遊んで夜更かししたんだっけ。

昨晩のことを思い出すと、眠りにつく直前のことも脳裏に浮かんだ。



たしか、銀時と手を繋いでいたはず・・・自分の右手は何も掴んではいなかった。

昨晩、そっと伸ばされた銀時の手のひらを掴み返した俺は、このまま離さずにいようと思いながら眠りに落ちたのだが、
眠っている間に放してしまったらしい。


少し寂しい気持ちになった。


自分の右手を見つめ、その手で銀時の頭・・・髪の毛を触る。
真っ白でふわふわした髪の毛を撫でてみると、思ったとおり心地よかった。

俺は銀時のふわふわした髪の毛が好きだ。
見るのも触るのも、いい。


「よお、朝だって。起きようぜ?」

銀時の寝顔を覗き込む。心地よさそうに寝息をたてているその寝顔は、少し微笑んでいるようで可愛らしかった。

どんな夢を見ているんだろう。



子供ながらに俺は、意味もわからず緊張する。

起こさなければいけないと思いながらも、起きないことを心のどこかで願いながら、白い頬に指先だけでそっと触れてみる。



柔らかくで温かい感触に、俺はさらに緊張した。

身体中がこわばって、心臓がどきどきと早鐘を打ったように鳴った。


指先が震えて、手のひらに汗をかきはじめたので俺は銀時に触れていた手を離した。
どうしたんだろう、俺は。


手のひらを自分のパジャマでこすり、汗をふき取る。

なぜ銀時に触るのに、こんなにどきどきするんだろう。


汗もかくし、気分が落ち着かない。
こんな感覚、どこかで味わったことがある。


・・・たぶん、たくさんの人の前で喋る時に感じる、緊張っていうやつと似ている。
人人人って手のひらに書いて飲み込むといいんだって言うけど、効いたことねーな。
今も人人人ってやれば、このどきどきが治まるのだろうか。


まだすこしこわばっている手で、もう一度銀時の髪にそおっと触れる。

「んんー・・・」

銀時が動いて、声にならないうめき声を出す。目が覚めてきたらしい。

「あー・・・おはよ」

「お、おはよう。ていうかもう早くねーよ。」

銀時の瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返しながらゆっくり開いていく。

赤い瞳の色が見えた瞬間、俺はまた緊張した。どきんどきんと心臓が胸を叩く音が耳の中で大きく響く。

俺は自分の内側からうまれる緊張感に耐えられなくなって、銀時から離れベッドから出る。



「・・・お前が寝坊してっから、仮面ライダー終わっちゃったじゃねーか」

今の今までテレビのことなど忘れていたくらいで怒ってなどいないが、何も言うことがないのでわざと機嫌わるそうにしてみせる。

「んー、うん・・・なんだっけそれ」

銀時はどうも朝は弱いようで、いつまでもグズグズとベッドの上でうなだれている。

「やはく起きて顔洗ってきな!朝メシ冷めるだろーが!」

そこへしゃがれた威勢のいい声が飛んできた。

銀時は、「うるせえなー」と文句をいいながら、しぶしぶベッドから出てくる。



2人で顔を洗い、朝食の並んだテーブルにつくころには、銀時もすっかり目が覚めていつもどおりだった。



「おいババァ、あの洗濯機、なんか水こぼれてんだけど、壊れたんじゃねーの」

「何だい、ありゃまだ新品だよ!アンタのホースの繋ぎ方が悪かったんだろ!ていうかババァって言うんじゃないよ!」

銀時とお登勢さんは朝から言い争いが絶えず、メシも落ち着いて食えない雰囲気だ。
俺が戸惑っていると、「何ボケっと見てんだィ、子供は一杯食べなきゃだめだろうよ」と叱りながら、おかずを勧めてくる。

その間にも銀時とお登勢さんは

「ベランダに来る鳩にエサやるんじゃないよ!お前のせいでベランダ鳩のフンだらけじゃないか!」
「だって何か欲しそーにしてんだもん、いーじゃねーかフンくらい」

とか、

「アンタは部屋を散らかしすぎだよ!風呂場なんてビシャビシャじゃないか、自分で掃除するんだよ」
「うるせえなー、ちょっと遊んだだけだろ、水なんてほっときゃ乾くからいいの!」

とか

「銀時アンタまた学校のプリント見せてないね!黙って捨てようとしやがって!出しとけって言ってんだろ」
「それもらったのついこないだ・・・あーいつだっけ、ていうかそんなの覚えてねーよ、いーよもう」

などなど、もう次から次へとギャアギャアうるさかった。
朝から元気だなー、すげーなこのオバサン・・・
圧倒されつつ、二人のやりとりを何気なく眺めていた。


2人の会話には2人のテンポがあり、2人の共通の話題があった。
どうやっても俺には割って入れない会話であり、空気だ。


最初は物珍しく思いながら会話を聞いていたが、言い争いながらも楽しそうな銀時を見ていると、次第に疎外感を感じはじめる。
ちぇ、つまんねえ、と思うと一瞬だけホームシックになりかけた。
寂しくて、もう帰りたいような気持ちになった。




その時、俺は以前銀時が言っていた言葉の意味が、やっと分かった。




他人の家族の中で、自分だけひとりぼっちだと感じると余計に寂しい、銀時はそんな思いをするのが嫌だと言っていた。




たとえ寂しく思っても、俺たちには帰る場所と温かい家族がいる。
ホームシックになるだけの帰る家がある。

銀時は寂しくなったらそれで終わりなのかもしれない。
帰っても一人って、どんな気持ちなのだろう。俺には想像もつかない。




銀時がウチへ来るのを嫌がる意味がわかった。




そして、今目の前にいるこのお登勢さんだけが、銀時を迎えてやれる存在なんだと思い知った。
銀時の家族なんだ。唯一の。

俺では何もしてやれないんだろうか。銀時がホームシックになった時、俺が迎えてやれないものだろうか。
今の俺では無理だろうな。目の前に高い壁が見える。





俺が手を繋いでやると安心して銀時はすぐに眠る。

幼い頃はそうだった。



これからも、ずっと俺だけはそういう、存在になってやりたい。


銀時の心の支えに。家族のようなものに。帰る家に。



そのためには、俺はもっと大人にならないといけない。

銀時のために、もっともっと、成長しよう。



銀時とお登勢さんの喧しい会話を聞きながら、俺は心を決めた。






それから、ちょくちょく・・・と言っても月に一度程度だが、銀時の家に泊まるようになった。
2人きりだったり、時には友達も呼んだりして、夜更かしして遊んだり話したりした。

銀時もこうしてワイワイ騒ぐ夜を楽しみにしていたようだ。



俺も銀時と過ごす時間が楽しみだった。

相変わらず銀時の寝顔を見ると緊張するのだが。







年が変わってクラスが違っても、時々こうして泊まることだけは続けた。
クラスが変わると疎遠になりがちなので、俺はそれを恐れていた。





銀時のことが常に心配だったし、何より銀時の心を俺に繋ぎとめていたいと、強く思っていた。






嫉妬や執着心を当時の俺には表現する方法がなく、ただ心の中に溜め込んでいた。

銀時のことを想うと、突然心臓が跳ねるように高鳴りすることを、




俗に言う「初恋」なのだと・・・この時はまだ知らなかった。








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